門出

 鳥の羽ばたきも虫の鳴き声も聞こえない不自然な静寂が、森の中に沈殿している。

 暦の変わり目にあたるこの日は、月が昇らない。星の光さえ木の葉以外の何物かに遮られたように明るさを感じさせない。

 しかし、周辺は光源の定まらない不思議な明かりに薄ぼんやりと照らされている。

 どうやら、夜の道を歩む卒業生への、教官たちからの心遣いらしい。

(軟弱なことだな。明かりなど自前で用意させればいいだろうに)

 シウル・ノシュキィは肩に掛けていた鞄を足元に置き、息を整えて背丈ほどある石の建造物に背を預けた。


 シウルの頭上には、同じく石造りの重厚な門がそびえ立ち、ようやくたどり着いたレインバスト魔術学院の敷地の東端を示していた。

 巨人が建てたかのようなその偉容の前では、どんな人間も妖精か小鬼のように見える。

「シウル、ただでさえちっちゃいのによけいちっちゃく見えるね」

 静寂を破って、アラニー・ドレップが不遠慮に口を開いた。

「……オレをおちょくってんのか? そんな暇があったら魔術書でも読んでろ」

 あしらわれたアラニーは小さく鼻で笑い、帯に挟んでいた小杖ワンドを軽く投げ上げて器用に回し始める。


 門は大きく開いており、外側には4年ぶりに見る世界――門の内側より生気に満ちた森と、幅が増しはっきり整備された道――が、両手を広げて迎えるように広がっている。

 しかしシウルは、ここでしばし時間を費やすつもりだった。

 この神秘の門が閉じるであろう、真夜中を待つのだ。そして、十中八九やって来るであろう《はぐれ魔術師》キアノス・コルバットを。

「あなたも物好きね。何だかんだ言って、あの青ローブを気にしてるの?」

 カトルールが意地悪く声をかけると、シウルは視線も上げず、

「気にかけたのはお前だろ。導き手なんか気取りやがって」

と淡々と答える。


 再び静寂が訪れ、感覚が麻痺したような時が過ぎていく。

 アラニーが退屈に耐えかね、口を開こうとした、その時だった。

 森の奥から聞こえる、微かな足音。

 落ち葉を踏むブーツの非常にゆっくりとした、しかし確固とした規則的な音。

「来たようね」

「シウル!」

「わかっている」

 短いやりとりが、三人の気分を一気に高揚させる。

 魔術によるぼんやりとした明かりの中に浮かび上がったのは、予想どおりのひとりの青年の姿。

「覚悟を決めたらしいわね……残念だわ」

 シウルの背後から、カトルールのあまり残念そうでもない溜め息が聞こえる。

 その声が聞こえるはずもない距離だったが、キアノスは微笑んだ。

 そして、おもむろに頭上に向けて何かを放り投げるような動作をする。

「……ラテイア・ニューティーオ(輝き続ける光よ)」

 キアノスの魔術により編み出され、両手からゆっくりと放たれた光球はゆらゆらと昇っていき、大木の梢の間に留まってカッと輝きを増して辺りを数段明るく照らす。

「決めたよ」

 にわかにざわめきを増した風が、キアノスの柔らかい声を三人の耳に運んだ。

「そのようだな。そいつを脱がずにここに来たということは……」

「ごめん、いろいろ考えたんだけど」

 キアノスは微笑を浮かべたまま困ったように、しかしきっぱりとシウルに告げた。

 軽く両腕を広げたその全身は、白い光に照らされた真っ青なローブに包まれている。

「やっぱり、通してはくれないんだよね」

「当たり前だ。お前みたいな半端なヤツを出したら、オレの尊厳が損なわれるぜ!」

 シウルがコートを跳ねて荒らげた声に、キアノスは動揺のかけらも見せない。

 それどころか腰のベルトに下げた口の開いた革袋を確認するように手をやってみせ、飛び出しかけたシウルはギクリと足を止めた。

「カトルール、アラニー! 用心し……って、おい!」

 シウルの制止は一歩遅く、赤い小柄な姿が下草を蹴散らして駆け抜けだした。アラニーを止められず舌打ちしたところで、既に背後からカトルールの気配が消えていることに気づきもうひとつ舌打ちを重ねる。

 結局シウルは、苦い顔で門の礎まで下がり傍観することにした。


 赤ローブの妹が距離を詰めてくるのを見て、キアノスも来た道を数歩駆け戻ると、立派な幹を持つ二本の大木の間でくるりと向き直った。

 それを見て、アラニーはシウルとキアノスの真ん中ほどで止まり、両足を軽く開いてワンドを両手で水平に構える。

 ワンドの先端には石とも金属ともつかぬダークレッドの小板がはめ込んであり、そこに刻まれた古代の文字が淡く光り始めた。

「こんなに早く魔術実戦ができるなんてラッキー! テティット・トゥティ! テティット・テティット・テティット……(小鳥さん、おいで! 小鳥さん、小鳥さん、小鳥さん……)!!」

 アラニーはまさしく鳥のさえずりのように甲高い声で矢継ぎ早に呪文を唱え、頭上でワンドを8の字を描くように目まぐるしく操る。

 にわかにその軌跡がパッと弾けると、無数の小さな光の球がアラニーの癖っ毛のショート・ヘアを囲むように現れた。

(あれが彼女のオリジナルか……なんて数だ! ヘタに動いたら蜂の巣だ)

 キアノスは腰を落として身構え、ここに着くまでに何度もシミュレーションしたとおり素早く次の呪文を用意し、対抗する。

「エンタル・ヴァス・ガデルオラ(円を描き我を守れ)!!」

 きっちりと唱え終わり、大きく宙に印を描いて両腕を広げると、枯葉がキアノスの足を中心にして何かに押しのけられたように遠ざかっていく。

「チッ、教科書どおりの“防御障壁”かよ」

 離れてなりゆきを見守るシウルが、小声で吐き捨てる。

「アンタ戦いに来たんだろうに、もう引きこもり? あたしは姉様のように甘くない!」

 アラニーがワンドをキアノスに向け、ぴたりと構える。

「テティティット・オゥジュ(小鳥さんたち、行ってらっしゃい)!!」

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