〈第1章 卒業、そして旅立ち〉

卒業

「……ということだから、なんだかんだ問題はあった訳だけど君もひとまず卒業。ハ! この時期が一番疲れんのよね」

 リーンは、成績所見の書類を背後の机にバサリと放ると言葉を切って笑いかけた。

 その視線の先には、約束の時間ぴったりに現れたキアノスの姿があった。標準的な学院生服——丈のたっぷりした長袖シャツ、ウェストは細いベルトで絞り、重ねた上着にはハイ・クラスの紋入りベスト。そして、同じくゆったりしたズボンに革の靴——を、一分の隙なく着用している。

「ありがとうございます。全て、先生のご指導のおかげです」

 胸の前で両腕を交差させて完璧な礼をする青年を見て、リーンは再びにんまりと笑った。先ほどからの面倒くさそうな口調とは裏腹に、嬉しくてたまらないのだ——膝をつき深々と頭を下げていたキアノスには、その表情は見えなかったが。

「さてと。問題があった、って、過去形で言っちゃったけど、実はまだ大変なのが残ってんのよね。お前に一人前の証をくれてやらなきゃなんない」

 クッションの敷き詰められたソファからおもむろに立ち上がり、リーンは爪の長い指を軽く口元に当ててキアノスを見下ろした。

 顔を上げたキアノスの表情が、ほんの少し強張った。濃青の瞳が、ふっと翳る。

「承知しています。僕の力が、その“色”を定めないほど未熟であることでしたら……」

「うーん、未熟っていうのとは違うと思うんだけどな」

 基礎クラスならまだしも、ハイ・クラスの卒業までこぎつけながら自分の《独創魔術オリジナル》が見つけられぬ者は珍しい。だが、2年間指導してきたリーンには、キアノスの力が他の生徒に劣っているとは思えなかった。

「大丈夫、そんな悲壮な顔をしなくても、お前にやるものはもう揃えてある」

 リーンはほっそりとした全身を優美に反らせ、緩いウェーブを描く茶金の髪を肩にはね上げて、親指と人差し指で宙に“解呪”の紋を描いた。目くらましの魔術が解け、整頓され尽くしているように見えていた部屋の隅に、積み上がった箱の山が現れる。

 ヒールを鳴らして箱を取りにいったリーンは、息をひとつ吸う間躊躇った。ちらりとキアノスを見やり、息を吐くと同時に艶やかに表情をくらます。

「キアノス・コルバット、卒業と旅立ちを祝しリーン・ブラウレイよりこれを贈る。……おめでとう」

 キアノスは両手を差し伸べ、平たく大きな箱を受け取った。その腕がかすかに震えていたように見えたのは、リーンの見間違いだったろうか。

 キアノスは表情を硬くしたまま、無言で蓋に手をかけ、一気に中身を露わにする。


 そこに入っていたのは、一着の長衣ローブだった。


 レインバスト魔術学院に卒業証書は無い。その代わりが、卒業生の魔術師としての姿勢を表すローブである。

 すべての物質・物体に宿るエネルギー《カウェル》に対する対する知識・理解を深め、世の中の役に立てようとする者——白。

 力としての《カウェル》を追い求め、行使する術を磨く者——黒。

 自らもまた《カウェル》のひとつであると認め、自然体で術を編む者——赤。

 卒業に際して指導者から与えられる、その三色いずれかの色——もしくは組み合わせの色のローブが、世に出た卒業生たちの身の証となってくれる。

 キアノスは、柔らかく真新しいローブをそっと手に取った。

 室内のランプに仄かに照らされたそれは……


 夜空のようなダークブルー。


 キアノスは、微笑みを浮かべて再び深々と頭を下げた。

「ほう……不満じゃないの? お前のローブは規格外なんだよ?」

 細く長い指で青いローブを撫でるキアノスに、リーンは今度は意外な気持ちを隠さなかった。

「とんでもない、不満なんて……僕にはもったいない、神秘的な色です! これを纏い、この色に相応しい魔術師になれるよう、先生の教えを胸に精進してまいります」

 型に則った礼の言葉ではあった。しかしリーンは、これほど穏やかな笑顔を見せる生徒を他に知らなかった。


 卒業時に与えられたローブは、魔術師を名乗る以上は常に身につけなければならない。白、黒、赤以外の規格外色のローブ、つまり《はぐれ魔術師》の烙印は恥と考えられ、せっかく卒業しておきながら魔術師として生きることを諦めてしまう者も多いのだ。

 それを、この若者は笑みとともに受け容れた。リーンの今までの生徒の中で、何人いただろうか?

「そうか。それを受け取るのなら、お前にはまだ渡さなきゃなんない物があるんだけど、その前に。お前から聞いておきたいことはあるかい? 教え残したことはないと思うが」

 リーンは、再びクッションに埋もれるようにソファに腰掛け、赤いワンピース型のローブの裾を蹴り上げるように足を組んだ。

 しきたり通りの問いかけとはいえ、この「卒業の日、担当の教官に『何でも』尋ねてよい」というのは、彼女にとって教員生活の褒美のような時間なのである。

「先生……では、お言葉に甘えてひとつだけ、ずっと伺いたかったことが」

 躊躇いがちなキアノスの声にリーンの瞳がすっと大きくなった、その時。


「失礼しまぁす! ハイ・クラス2組ディナ=ラージェスタ・セラルーテ、卒業試験の結果をぉ、あ!」

「…………あ」

 明らかに場違いな軽い足音と甲高い声が、キアノスの口から言葉を奪い去った。


 キアノスと同じような、簡素な学院生服。だが、ド派手な幅広の赤革ベルトと、ベストを縁取るように雑に縫い付けられた真っ赤なリボンが、振り向いたキアノスを唖然とさせた。

「ごめんなさーい! まだ前の人いたんだぁ!」

 わざとらしく舌を出して明後日の方を向く少女。

 間違いようがない。

 爆発騒ぎの最中に、キアノスが足を引っ掛けた……

「き、君は……」

「あーっ!! ちょっと、そこのアンタ! 昨日はよくも乙女に恥をかかせてくれたわね。消し炭にしてやるから後で食堂の裏まで来いっ!」

 両足を踏ん張って人差し指を突きつける少女に、ヒールの音が迫った。

「消し炭もいいが、ディナ。お前の時間はもっと後だったはずだ。それまで、他でなすべき事があったんじゃないのかな?」

「あ、あれ……そうだっけ。まぁいいじゃん」

「呆れたヤツだ、同胞の門出に闖入するとはね!」

 眉をはね上げて大声を叩きつけるリーンに、ディナという少女は怯む気配もない。

「だってあたしも門出だもん! ねぇ先生、あたし卒業でしょ? ねぇねぇ!」

 ぴょんぴょんと踵を上げ下げする度に、真っ赤な髪が背中で跳ねる。

 キアノスは両者の顔を交互に見やりながらそろそろと後退し、部屋の壁際でやり過ごすことにした。

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