第21話 語らいはディナーのあとで(2/2)

「私が自分の本音と本性に気づいたのは10歳のときでした」


 フローリアはため息とともに、自分の過去を話し始めた。


「アリサに読み聞かせるための絵本を探しに、図書館に行ったのです。私はそこで1つの物語に出会いました。いじめられてばかりの女の子が王子様に見初められ、きれいなドレスで王子様と踊り、誰しもに祝福され結し、お姫様になる。そんな物語です。そんな物語に、私は憧れてしまったのです」


 膝の上で組んだ手に視線を落としながら、落ち着いた声音で語る。


「折しも、本物の王城での舞踏会が近くに迫っていました。私は街に帰ってきていた父にお願いしました。私も舞踏会に連れて行ってほしいと。私も素敵なドレスを着て踊ってみたいのだ、と」


 フローリアの、歯ぎしりの鈍い音が聞こえた。


「父は言いました。『悪いがあそこはお前が行ってもしょうがないところだ。あそこにはお前に関心を持つ人間など誰もいない。お前が行ってもつらい思いをするだけだ。何、普通も悪くない。いずれお前に見合う相手を紹介してやる』と」


 何かを振り払うように、否むように、首を力強く横にふる。


「その上、私の部屋に無断で入ったらしい兄が、意地の悪い笑みを浮かべながら例の絵本を持って私たちのもとに来ました。兄は『勘違いするなよ。ドレスがこの姫を美しくしたんじゃない。美しい姫が、着るべき衣装に袖を通しただけ。選ばれたから特別になったんじゃない。特別だったから選ばれたんだ。お前は身の程を自覚して隅っこで小さく丸まってろ』と言って、意地悪く笑いました」


 ほんの少し顔を合わせただけの俺でも、そのときの口調や仕草はありありと想像できた。別に同情はしないが、あの兄貴の不愉快さについては諸手を挙げて同意できるところだ。

 気づけばフローリアは右の拳を震えるほど固く握っていた。


「そのとき私は生まれて初めて人を殴りました。殺す気で。死ねばいいと、本気で思いながらです。殴られた兄は倒れ込みました。そして床に転がったまま、驚きの表情で無様に私を見上げました。そのとき私は気づいてしまったんです。人なんていうのは、ふとした拍子に高みから転げ落ちるのだと」


 フローリアは開いた手のひらを、もはや見慣れた不敵な笑みで見つめる。


「それなら、平凡な人間がふとした拍子に高いところに上り詰めることもあるのだろうと思いました。生まれ持ったものがすべてではないのだと。そしてお兄様を見下して笑う自分に気づき、私には、蹴落とし、這い上がるための底意地の悪さがあるということも知りました」


 屋敷に来てからの態度からして家族との関係が人格形成に影響しているだろうとは思っていたが、一番大きいのは兄貴との軋轢の影響だったようだ。


「そう。この性根の悪さこそが私の本質なのです。私なら、どんなにみじめな思いをしてでも上り詰めていける。平凡な、普通の少女では終わらない。あの最低な父と兄に目にもの見せてやる。誰よりも光って、誰よりも目立って、いつか私だけの王子様が私を見つけてくれるまで、高みを目指し続ける。私はそう誓いました」


 右手を自分の頬に添えると、そっと撫でるように下に滑らせた。


「まず、寝る間も惜しんで独学で身体操作魔術を習得しました。それまでの私の姿を知っていた人はみんな、私の仮初めの美貌を滑稽だと笑い、馬鹿にし、軽蔑しました。でもそんなことはほんの少しも気になりませんでした」


 むしろ嘲弄されるべきは彼らの方だとでも言わんばかりに鼻で笑う。


「あとは経歴。権力の中枢に食い込むには王立魔術学院出身という肩書きは必須です。とはいえ、私にはまともに試験を受けて王立魔術学院に入学するほどの能力はありません。なので当然のごとく搦手です。身体操作で別人になりすまして偉い人を脅したりして、なんとか入学にこぎつけました」


 目に宿る光には後悔も罪悪感もない。ただ自分が道なき道を切り開いてきたことへの自負だけがある。


「とにかく、どんなに汚くてもできることはなんでもやってきたんです」


 そこまで話したところでフローリアは1つ息をついて顔を上げ、じっと俺を見つめた。その目はなぜか、ここまで語ってきた下衆な内容に反して真摯な輝きを湛えているような気がした。

 

「見下ろすことは、私がこれまで這い上がってきた高さの証明なんです。見下すことは横並びの人波から1人分、上に抜け出したことの証明なんです。私は弱い人間です。どうしようもなく。だから強さの実感がないと次の1歩が踏み出せない。自分より弱いものを確かめないと、また上を目指すための勇気が湧かないんです」


 フローリアは微笑を浮かべたまま、挑発的に目を細めた。


「嫌な女でしょう? どうぞ嘲笑ってください。蔑んでください。私は気にしません。罵倒も侮辱も、やがて私が見下ろすときの彩りになるだけですから」

 

 誇るべき自分ではなく、嘲るべき自分を誇る。それがこのフローリア・ウォズラインという人間の本質らしい。言葉より何より、その瞳がそれを雄弁に語っている気がした。

 だから俺は、盛大に笑ってやった。

 

「ははははっ」

「……本当に笑いますか」


 抗議するようににらんでくるフローリア。


「自分で言っておいて何を言う」

「まあ腹を立てたりはしませんが愉快なものではないですしね」

「でも今のは嘲笑ったわけじゃない。単に面白いと思ったから笑っただけだ」

「面白い? 何がですか?」


 少し不機嫌そうに眉を寄せながら言うフローリア。俺は少し間を取るように小さく息を吐いて、ソファに体を預けた。


「全部だな、全部。お前の生き方、お前の全部。思ってたよりずっと面白い。人を見下すのは弱い自分がまた上を目指すため、か。なかなか悪くない。てっきり大所高所でのんびり寝そべって人を見下してるものかと思ってたからな」


 どうやら、印象を180度改めないといけないらしい。

 この腹黒女は生まれつき与えられた恵まれた立場のせいで、自分が強いと勘違いしている弱者なのだと思っていた。しかしその実質は並みの人間の何倍も自分の弱さを自覚し、それでも強くあろうとする弱者だったわけだ。

 

「……馬鹿にしてますか?」

「いや、褒めてる。本気で見直したんだ。ほら、俺が宿で強盗に言ったこと覚えてるか?」


 一瞬の間をおいて、記憶をたぐるように眉を寄せるフローリア。


「……奪うことは相手の命の一部を奪うことでだと自覚しろという話ですか?」

「そう、悪事をなすならその悪事の重さを真正面から受け止めろって話。それができなきゃ善人でも悪人でもない半端者だ。その点お前は自分自身の、それに自分の行いの悪どさをしっかり理解して生きているわけだ」

「それ、本当に褒めてます?」


 半眼でにらむフローリアに、俺は大きくうなずいた。


「ああ、そうやって正しく悪事を働けるやつはなかなかいない」


 俺がそう言うと、何かが琴線に触れたらしいフローリアはやや目を見開いて固まった。そして頬の熱さを確かめるように顔に手を当て、乾いた唇をなめる。


「なかなかいない……というのは、私があなたにとって……」


 そこで一度言葉を区切ると、フローリアは深呼吸をしてから真っすぐこちらを見つめた。吐き出した息に緊張が溶けているように見えた。


「あなたにとって私は――他の人とは違う、ということですか?」


 質問の主旨はよくわからないが、イエスかノーかで言えば間違いなくイエスだ。俺はうなずいて笑う。

 

「そうだな。貴重な存在だ。俺はそういうやつが好きだし、勝手に仲間意識を持っている。だから見直した」


 フローリアはなぜかわずかに頬を赤くした。

 

「す、好き……」


 フローリアはただ権力の頂点に立とうとしているのではなかった。権力の頂点に立とうとしているものを引きずり下ろし、復讐しようとしているのだ。どちらかといえば、俺の同類だと言っていいだろう。


「あ、あの、えっと……ありがとう、ございます」

「別に礼を言うようなことじゃないだろ」

「で、でもそんなこと言ってもらえたの初めてで……」

 

 言ってフローリアはだらしなく朱色の頬を緩めた。

 それから何かに気がついたように両手を胸の前に上げ、祈るように固く握り合わせる。

 

「で、では……その、私と結婚――」

「いやそれはない」


 ソファから腰を浮かせていたフローリアは、前につんのめって転びそうになる。

 

「な、なんでですかぁ……」

「俺は名実ともに正義に敵対する。前にも言ったが、実がどうあれ名だけでも貴族っていう王国の正義の側に立つことになるのであれば結婚は許容できない」

 

 フローリアの意識がどうであれ、結果として貴族の頂点に収まることを目指しているという点で俺の道とは決して交わらないのである。

 

「はあ……」


 いつになく盛大に肩を落とすフローリア。いや、1回同じこと言ってるんだからそんなにがっかりすることないと思うんだが。

 

「そもそもさ、父親と兄貴を見返してやることと王子様と結婚すること、どっちが大事なんだ?」

「そ、それは……」

「今の話だと、王子様との結婚に対する思い入れも結構強そうに聞こえるんだが。もし本当にそうなら俺が相手じゃ不足だろ」


 俺が言うと、フローリアはなんとも言えない感じの複雑な表情になった。


「え、ええと……正直に白状しますね」


 そう前置きして、少しだけ頬を緩めた。

 

「確かに王子様に対する憧れはあります。それは認めます。それと、あなたの人柄が私の理想の王子様と違うのも確かです。それでも、私を助けてくださったあの瞬間のあなたは、王子様のようにかっこよくて……素敵でした」

「素敵? 俺が?」


 ――ちょっと待て。

 じゃあステラの解釈通り、単に俺を利用しようとしてただけじゃなくて、本当にそういう憧れの対象としても見てたってことなのか?

 

「で、でも一瞬だろ? その程度の相手でよかったのか、お前は」

「そ、そこは正直私にもよくわからないのです。あの一瞬で本当にあなたのことが好きになったのか、それともお兄様を倒すことを優先してその一瞬以外の部分については無意識に妥協したのか……」

「いやいや、でもとにかく俺は王子様じゃない。そんな一瞬の感情のせいでずっと大切にしてきた気持ちをふいにするべきじゃな――」

「そ、それはそうかもしれませんが!」


 言っている途中で、フローリアが強い口調で割り込んできた。

 

「……その、今は私もそう思います。多分、私は浅はかでした」

「それならやっぱり俺じゃない方がいいってことだろ」

「いえ、でも、あの……」


 言いよどむフローリアは、気づけば顔を真っ赤にしていた。

 

「でも?」


 焦れた俺が促すように言うと、フローリアは膝の上でギュッと拳を握って固く目をつぶった。

 

「でも、もうどうでもいいんです!」

「どうでもいい? 何が?」

「王子様が、です!」


 その発言に、俺はさらなる混乱に追い込まれた。

 なんでそうなる。何かそこまで追い詰められるようなことがあったか? 一体いつ、昔からの夢をかなぐり捨ててでも兄貴を打倒しなくてはならないというほどに思いつめることになったんだ?


「いや……なんでまた」


 フローリアは胸の前でツンツンと指を突き合わせながら言葉を紡ぐ。


「なんというか、お、王子様なんてもうどうでもいい……というか、ある意味もう王子様は見つけてしまったというか……私を特別な存在にしてくれる王子様に出会ってしまったというか……!」


 絞り出すように言う肩がプルプル震えている。それはなんの感情の表れなんだ? 王子様をあきらめることへの悔しさ? それとも他の何か? 

 ……駄目だ、フローリアが何を考えてるのかさっぱりかわらん。

 

「えー、あー、その王子様っていうのは誰なんだ?」


 俺の問いにフローリアが目をゆっくり開ける。そしてまっすぐに、何かに熱く潤んだ瞳で俺の目を見つめる。

 

「だ、だから、それはもちろん……あ、あ……」

「あ? アリサ?」

「違います!」

「じゃあ誰」

「だから、あ、あ、あな……」

「あな?」

「あな、あ、あ……」


 そして「あ」の形に口を開けた状態で、微動だにしなくなる。そのまま何も言わず硬直すること5秒。


「――やっぱり無理ですっ!!」


 フローリアは両の拳を太ももに叩きつけると、その勢いのままソファから立ち上がり部屋のドアの方に駆け出していく。

 

「あ、おい!」


 制止する俺の声にも構わずフローリアはドアノブを回し、体当りするようにドアを押し開け――られなかった。

 

「ふぎゃっ!」


 顔面を盛大にドアに打ちつけていた。そしてドアに体を貼り付けたまま、ずるずるとその場にへたり込む。

 

「――もうどうしたらいいのかわかりませんよぉ……」


 泣きじゃくるような声音でそんなことを言うフローリア。

 ドアを引けばいいと思う……って話じゃないよな。多分ドアの開け方に困ってるわけじゃない。それはさすがにわかる。

 どうしたらいいのかわからない、という状態になったのはいきなり立ち上がった時点だろう。そうなると、フローリアが逃げようとした理由も何もわかっていない俺にはもはやアドバイスのしようがない。

 ……ああもう、本当に俺には何が何だかさっぱりだよ。

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