第20話 語らいはディナーのあとで(1/2)

「ふう、食った食った」

「……さすがに食べ過ぎではないですか?」


 フローリア、フローリアの父及び兄と夕食を共にしたあと、俺はフローリアの部屋のソファで膨れた腹をさすっていた。

 

「この1食で、私たちで3人で食べる量の2日分は食べたと思いますよ」

「なんだ、その程度か。俺は全部食い尽くしたあと屋敷も食ってお前らの財産全部食いつぶしてやろうと思ってたのに」

「屋敷を食うってなんですか。お菓子の家ですか、ここは」


 おかしな家ではあるだろうな。

 別に仲の悪い家族はいくらでもいるだろうし、いてもいいと思うんだがここまで苛烈に対立してるのは見たことがない。

 少なくとも、妹に塩の小瓶を渡すよう要求して、飛んできた小瓶で額にあざを作る兄貴というのは、そうそういるものではないだろう。

 

「そういえば母親はどうしてるんだ」

「母ですか? リシュリーの街です。どこの家も大抵はそうですよ。妻を領内に残して当主は王都住まい。元は貴族の反乱を牽制するための国王主導の施策だったそうですが、今はみなさま国王のご機嫌取りにお忙しいので」

「なるほど」


 それに加えて魔術学園に通うフローリアもここに住んでいる、というわけか。とすると週末に戻るのは母親に会うためだったりするんだろうか。

 フローリアは向かいのソファから真面目な顔で俺を見据えた。

 

「それで、食事にはご満足いただけた様子なので伺いますが、婚姻について前向きに考えていただけるようにはなりましたか?」

「ないね。腹の中のこれは全部お前を出し抜く方法を考えるためのエネルギーだ」


 ポンポン、と腹をたたいて肩をすくめる。

 

「そうですか……。では、1つお聞きしても?」

「なんだ」

「もし、私と結婚しないならステラさんを殺すと言ったらどうしますか?」

「……どうだろうな」


 正直、即答ができなかった。

 ステラが殺されるということは、あいつの面倒を見るという約束を違えるということになる。ステラ自身のことも決して悪くは思っていない。可能な限りは助けたいと思う。

 問題は、そのために信念を曲げられるかどうかだ。

 フローリアの言った、貴族であって貴族でないという言葉は半分は真実だろう。父親と兄はともかく、フローリアについてはそれほど不快だとは思わない。

 だからといって、貴族の成り上がりの片棒を担ぐなんて想像するだけで怖気の走る話は、そうたやすく受け入れられる話じゃない。

 普通の人間なら違うんだろう。その程度の些細な矜持のために人の――いや、魔王だけど――命を見捨てることなんて言語道断だと、そう言うだろう。

 でも俺はそうじゃない。むしろ俺自身は今こうして悩んでいることに驚いている。俺が他者の命ごときのために自分の信念を歪められるかどうか考えるなんて、珍しいこともあるものである。

 

「結婚を受け入れるかもしれないし、お前と、お前に関わる人間……アリサや幼なじみも含めて皆殺しにするかもしれない。お前が本気でその脅しをかけてきたらもう一度真剣に考えるさ」

「そうですか。最後の一手としての可能性はあるようで何よりです」


 ホッと息をつくフローリア。

 現状、フローリアがステラを人質に要求していることは、俺を交渉のテーブルに着かせることだけだ。それを今後、傷つける、命を奪うなどの脅しをかけることで翻意を促すつもりということだ。

 安堵の吐息は、奥の手を捨てずに済んだことへの安堵だろうか。もしくは最終的な交渉の決裂が、ステラの死、そして自分が人殺しになるという結末を必ずしも意味するものではないと知ったからだろうか。

 いずれにせよ、フローリアはそれだけ本気ということだ。この女はなぜ当主の妻としての地位……いや、貴族の頂点に立つことをこれほどまでに切望しているというのだろうか。

 

「なんでそこまでする。そんなに権力が欲しいか? それとも人を見下すのが楽しいからか?」


 俺が問うと、フローリアは少し意外そうに瞬きをした。

 

「それは理由次第では協力の可能性があるということですか?」

「違う。ただの興味本位だ」


 俺が首を横に振ると、フローリアは腕を組んで首を傾けた。


「まあいいでしょう。家族でもなんでもない女の子の面倒を見ている辺り、意外と情にほだされやすかったりするのではないかと思ってお話します」

「それ、これからほだそうとする相手に言うことか?」


 というか、やっぱり俺とステラが兄妹なんかじゃないことはとっくに察してやがったな。

 

「まず、権力そのものにはそれほど興味はありません。何かがしたいわけではないのです。人を見下すため、というのはあながち間違いではありませんね」


 フローリアは真面目な顔で考えを整理するように目を伏せる。

 

「端的にいうと、私は傑出した存在になりたいんです」

「傑出?」

「別にそんな大層な話ではないんですよ。他の人たちと同じでいるのが嫌なんです。憧れられたい、選ばれたい、高みに行きたい」


 次第にフローリアの口調が熱を帯びていく。これまでの態度や振る舞いからはからは想像できない口ぶりだった。


「頭抜けた人間になりたい。特別な存在になりたい。凡百の人間に埋もれない、まばゆい光を放つ存在でありたい」


 そして次の言葉は、醜い歯ぎしりの音とともに吐き出された。

 

「――普通のまま終わるなんて、絶対嫌」


 俺は黙って、その静謐な烈火の奔流を見つめていた。

 そんな俺の視線に気づいてか、フローリアは下に落としていた視線を上げると小さく咳払いをした。

 

「失礼しました。少しみっともなかったですね」

「いや、今までのお前のなかで一番まともだったが」


 俺が言うと、フローリアは目を丸くしたあとでくすりと笑った。

 

「あなたも結構人の醜いところや滑稽なところを見るのが好きですよね」

「美しいものよりは醜いものが、透き通ったものよりは濁ったものが、輝くものよりはくすんだものが好きなだけだ。俺は汚いものの味方だ」

「汚いもの……」


 フローリアはぼそりとつぶやき、あごに手を当てて再び視線を落とす。少し考え込んでから上目遣いに俺を見た。

 

「1つ、私の秘密を教えて差し上げます」

「結構だ」

「そう言わずに」

「秘密とか面倒くさそうなものに巻き込まれたくない」

「聞かなければステラさんを殺します」

「奥の手の使い方が雑!?」


 洒落にならない冗談をかましてくれる。というかこれ、些細な頼み事は何もかも受け入れないといけないということなんじゃないのか。

 

「秘密というのは、私の容姿についてです」

「勝手に話し始めた……」


 いや、聞く以外の答えを出すつもりはなかったけども。

 フローリアは両腕を広げ、豊かな胸を誇示するようにして不敵に笑った。


「ベルガさんは私のこと、きれいだと思われますか?」

「俺は興味ないからどうでもいいが、一般的な基準に照らせば美人の部類に入るだろうと推察する」

「お褒めに与り光栄です」


 今の、遠回りしすぎて道に迷ったみたいなのが褒め言葉にカウントされるのか。

 困惑する俺をよそに、フローリアはにやりと意地悪く笑った。

 

「でもこれ、すべて嘘なんです」

「……嘘?」

「ええ、嘘。この顔も、身長も、脚の長さも、胸の大きさも、何もかもみんな嘘。本当はもっと普通なんです。決してブスでもチビでも短足でもツルペタでもありませんよ? 何もかもが、よくも悪くもないんです」


 卑下するでも誇るでもなく、淡々と言うフローリア。

 

「どういうことだ? 魔術か?」

「そういうことです。体のあちこちにに魔術陣を刻んでいます。他者の認識の操作ではなく、私の骨格や筋肉や肌や脂肪を根本的に変える魔術」

「ほう、それはすごい」


 わりと素直に感心する。傍目には全然わからない。

 少しだけ得意そうに口角を上げ、フローリアがうなずく。


「ありがとうございます。それでこの秘密を明かすことで何が言いたいかというと、つまり私はものすごく普通の人間だということです」

「貴族の家に生まれておいてよく言う」

「そうですね。環境には恵まれていたのでしょう。立派な家、豪華な生活、そして――威厳ある父と神童ともてはやされる兄。私の身の丈に釣り合わないものばかりが私を押しつぶすように取り囲んでいたわけです」


 なるほど、上等な環境も当人の受け取り方によってはコンプレックスの根源でしかないわけか。貴族ってやつにもそれなりの苦労はあるんだな。

 フローリアは苦々しげに唇を噛んでから続ける。


「ことあるごとに父は私を哀れみ、兄は私を蔑みました。悲しかったし、悔しかったけれどそれでいいと思っていました。醜く悪態をつくよりは、自らの凡庸さを潔く認めた方が美しいのではないかと、そう思っていたので」


 フローリアが小さくため息をつく。

 

「でも私はそんなに利口な子供ではい続けられませんでした」


 そしてそう言いいながら、自嘲気味に笑って首を横に振った。

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