第9話 魔王ちゃんの恥ずかしいひ・み・つ

 魔獣ではない普通の鹿を一頭獲って戻ってきた俺は、ステラとその目の前にあるものを見て無言で目を細めた。

 

「……なんだ、それは」

「ひゃいっ!?」


 背後から声をかけると、ステラは可愛い悲鳴を上げて肩を跳ねさせた。

 

「び、びっくりするじゃない……」

「ああ、すまん。それで、これはなんなんだ?」


 俺は、ステラの胸の高さくらいまである……なんだろう? 木の枝を組み合わせたもの、としか言いようのない構造物を指して言った。

  

「……家よ」

「いえ……家?」


 ステラの胸の高さくらいまである太めの木の枝4本が、長方形の四隅になるように地面に突き立てられている。そしてそれぞれの枝の先端を支えとして網状に編まれた木の枝が乗せられ、その上を木の葉が覆っている。

 ものすごーく好意的にに見れば、公園とかによくあるガゼボだとか東屋に見えなくもない……が、どう贔屓目に見てもそれは家と呼べる代物ではなかった。

 

「家よ」


 こちらを見ずに繰り返したステラの横顔をながめながら、俺は更に目を細める。

 

「これを……魔術で?」

「うぐっ……」


 みぞおちに重めの一撃を食らったような声を出して顔をしかめるステラ。

 

「その、これは……」

「――そうよ! 魔術でこの家を建てたの!」


 ステラが開き直ったように叫ぶ。

 

「本当に?」


 俺が問い直すと、ステラはやけになったように大きな身振り手振りを交えながらまくしたてる。

 

「ええ! 魔術を使って歩き回って木の枝を集めて! 魔術を使って手で地面に刺して! 魔術を使って丁寧に木の枝を編んで! 魔術を使って上から隙間なく木の葉をかぶせたのよ! 全部、全部全部、魔術を使ったわ!」

「ええと、それは……」


 さすがに察したものの、いくら遠慮と無縁の俺でもこのあまりに残酷な事実の真偽をはっきりと聞くことははばかられてできなかった。

 しかし、らしくない気遣いが余計に追い詰めてしまったのか、ステラはそのままのテンションで、やや涙目になりつつひときわ大きい声で叫んだ。


「ええ、そうよ! そうなのよ! 私――魔術が使えないの!」


 絶叫に驚いた鳥が2、3羽木の上から羽ばたいたあと、俺たちの周囲を痛いほどの静寂が包んだ。

 魔術が使えない。どういう理由なんだろう。俺と同じで魔力がないとか? それはさすがにあり得ないような気もするけど、刻印の継承に適格性が関係ないということならそういうこともあるのかもしれない。

 

「ま、まあそんなに気にするようなことでも……」

「魔術を使えない魔王がいる!?」


 凄まじい破壊力の反論に、俺はぐうの音も出せなかった。しばらく黙って見つめ合ってから、俺はようやくぐうの音の「ぐ」の字ほどの価値もない慰めを口にする。

 

「ほら、飛べない鳥だっているし……」

「飛べない鳥が鳥の王様になれるの!?」


 またしても俺は自分が最大級の罵倒を受けたように心を痛め、ただうつむくことしかできなくなってしまった。

 

「なんか……ごめん」

「そうよね! 本当に生きててごめんなさい!」


 生まれて初めて何も悪くないのに本気で謝る俺と、支離滅裂な謝罪を叫ぶステラ。清々しい森の空気の中、淀みきった混沌がここにはあった。

 ……なんだこれ。どうすればいいんだ。

 

「その、魔術を使えないっていうのはどういうことなんだ? 原因……というか、見込みはまったくないのか?」


 なんとか気を取り直して論理的に事態にアプローチしてみる。

 ステラはしばらく黙り込んでから小さく首を横に振った。

 

「もちろん魔力そのものはあるわ。魔術もまったく使えないってわけじゃないのよ」

「なんだ、それならそんなに落ち込むことないだろ」


 こっちは無魔力だぞ、無魔力。あー、学院のあの腹立つおっさんの顔を思い出してしまった。あの野郎、いつか絶対後悔させてやる……。

 

「本当にそうかしら」


 感情を失った声で言ったステラは、顔の前で人差し指を立てた。よく意味がわからずにそれを見つめていると、唐突にその指先に火が灯った。

 

「これだけ」

「えっ?」

「私が使える魔術これだけ。ちなみにこれ以上大きくできない」


 再び沈黙が俺たちの間に横たわる。なんとも言えない。なんとも言えなすぎる。

 魔術を使うことのできる可能性すら持たない俺にとっては十分にすごいことではあるが、王都では大通りで派手な炎のパフォーマンスを何度も見かけている。ステラもわかってるだろうし、これを褒めるのはさすがに白々しすぎる。

 

「その……まあ、これからだって! ほら、火は文明への第一歩だし……」

「何千年もかけなきゃどうにもならない。実質無理ってことよね。わかってるわ」


 逆効果! 何を言っても逆効果だこれは……!


「よし! この話おしまい! 魔術のことは忘れる! 家のことは後で考える! 今はとにかく飯を食う!」

「そうね、私なんかが他の生き物の命を犠牲にしていいとも思えないけど、その鹿はもう死んじゃってるし今回は食べない方が失礼よね……」


 ますますネガティブ方向に転げ落ちていくステラを尻目に、俺は手刀で鹿を切りさばいていく。食べやすいサイズに切った肉を、ステラが集めて使わなかった枝に刺してステラの前に差し出した。

 

「ほら、食え」

「……えっ、生で?」

「俺はいつもそうしてるが」

「だ、大丈夫なの?」

「少なくとも俺は体調に異変をきたしたことはない」

「ベルガは参考にならないわよ……」


 もっともだった。でも神木に力を与えてもらう前から特に何もなかったから、大丈夫なような気もする。

 でも今までにも一度も体を壊したことはないし、子供のころ街で疫病が発生したときも俺だけピンピンしてたからやっぱりあてにならないような気もする。


「まあしょうがないわよね。仮に私が苦しんで死んでも誰も悲しまないし」


 ステラは陰鬱につぶやいてから恐る恐る赤い肉のついた木の枝を俺から受け取った。枝の両端をもって肉を顔のすぐ近くまで運ぶ。しばらくじっと肉を見つめたあと、ステラは覚悟を決めたように唾を飲んだ。

 

「……ん? ちょっと待った」


 口を半開きにしていたステラが怪訝そうにこちらを見る。


「どうしたの? 人がせっかく勇気を振りしぼったところなのに」

「いや、ほら……これ」


 俺は非難がましいステラの視線を誘導するように、顔の前で人差し指を立てた。

 

「その指が何?」

「俺の指じゃない。ステラの指のことだ」


 俺がにやりと笑って言うと、ステラは一瞬眉間にしわを寄せたが、すぐに何かをひらめいたように目を見開いた。

 

「――そっか!」



 約15分後。そこには香ばしい匂いを放つ鹿肉を頬張るステラの姿があった。

 

「ふふ、鹿肉もなかなかいいものね!」

「ああ、ステラの魔術もな」

「ええ!」


 さっきまでの曇った……というか大嵐のような顔とは一変して、晴れやかに笑って肉にかぶりつくステラ。お察しの通り、文明の歩んだ最初の小さな一歩の偉大さを噛み締めているところである。

 食い物は大切だ。腹が減った状態だとろくなことを考えないからな。俺なんかろくでもないことすら考えられないレベルまで行った。先代魔王とうんたらかんたらーズのみなさんにはこの場を借りて改めて謝罪しよう。


「んふふ……」


 しかしうまそうに食べる。そのせいで、さっき魔王の館でたらふく食べたばかりだというのに俺も少し腹が減ってきた。

 俺の視線に気づいたステラが、小さく首を傾けた。

 

「ベルガも食べる?」

「ああ、じゃあ一口だけ」


 新しく肉を切り取って焼いてもよかったが、今食べたいと思ったならすぐに食べたほうがうまいに決まっている。

 ステラが差し出してくれた肉に、俺は遠慮なくかぶりついた。

 脂が控えめでよく引き締まった肉。どうやら当たりの個体を引いたようだ。これならステラが満足するのもうなずける。

 と、よく味わってから何気なくステラの様子を窺うと、ステラは自分の手元に戻した鹿肉を見つめて何やら頬を染めていた。

 

「…………」


 ごくり、と唾を飲み込む音がする。その視線の先の肉をよく見てみると、俺がかじってできた跡があった。

 

「ああ、悪い。嫌だったらその部分だけ切り取るか残すかしてくれ」

「えっ……なんか言った?」


 顔を上げたステラは慌てたようにまばたきを繰り返す。

 

「いや、俺の食ったところ嫌だったら残してもいいぞ、って」

「い、嫌じゃないわよ別に」

「そうか? まあうまい肉だしもったいないもんな」


 俺が言うと、なぜかステラはぱあっと笑顔を輝かせた。


「そ、そうそう! もったいない! もったいないから仕方ないわよね!」

「……うん?」


 その謎の気分の急上昇の理由がわからず首をかしげる俺などお構いなしに、ステラはおずおずと肉に、俺がかじりついた場所に歯を立てた。

 

「――――っ」


 ステラは真っ赤な顔でぎゅっと目をつぶり、座ったまま足をバタバタさせ、右手で膝をばしばし叩いて悶ていた。

 ……そんなに嫌ならやめとけばいいのに。

 意外と他の生き物の命に対して律儀なやつなんだな。

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