第2章 魔王ちゃんのいる暮らし

第8話 魔王に山は難しい

「それで、ベルガは普段どこで寝てるの?」


 落ち着きを取り戻したステラが気を取り直して聞いてくる。

 

「どこって……山だけど」

「からかわないで。山はわかってるわよ。山のどこ?」

「えー……基本的には木の上だな」

「だから、木の上ってどこの木のことなの?」

「どこの木? うーん、強いて言えば魔獣の匂いが薄いところに生えてるところの比較的高い木か」

「だ・か・ら! その魔獣の匂いが薄いところっていうのはどこにあるのか聞いてるのよ!」

「そんなのはそこら中にある」

「そこら中? 寝床がたくさんあるってこと?」

「どこでも寝床になるって意味ではそうなるけど」

「どこでもって――ん?」


 ステラはハッと何かに気づいたように固まった。そして眉を寄せてゆっくりと小首をかしげる。


「……どこでも?」

「どこでも」


 それからその状態のまま10秒ほど沈黙したあと、恐る恐るといった風に改めて口を開いた。

 

「それはもしかして……決まった寝床はなくて、屋根がないどころかベッドも布団も何も使わずに寝ているということ?」

「そういうことだな」


 俺が首肯すると、ステラが途端に青ざめた。険しい顔を、脂汗が一筋つたっていく。

 

「なんかまずいか?」

「……雨の日は?」

「大きめの木の枝の上なら葉でほとんど濡れない。よっぽどひどいときは洞穴の入口のあたりで雨宿りしながら起きてる。奥はだいたい魔獣か動物がいるからな」

「木から落ちたりしない?」

「今のところはないな。暴風で落ちかけたことはあるけどすぐ起きたし」

「……風。そうよね、風もあるわよね……」


 世界の終わりを予見したかのような悲壮感に、俺は首を傾げた。

 

「ステラは嫌か?」

「嫌よ! そりゃ嫌か嫌じゃないかでいえば嫌よ! でも無理言って面倒見てもらおうとしてるのに贅沢言うのも嫌よ!」

「……大変だな」

「ええ、大変ですとも!」


 顔に不安をいっぱいに貼り付けながら、こだまが返ってくるほどいい声で言い切るステラ。なんかちょっとかわいそうになってきた。

 ……あ、そういえばさっき聞きそこねてたな。

 

「魔術でなんとかできないのか? あの魔王の館みたいなの……あれほどのものでなくても、なんか作ったりとかは?」


 まあ結局、あれが幻覚なのか、瞬間移動とか離れた空間をつなぐ魔術なのか、それとももっと別の何かなのかはさっぱりわからないんだが。

 

「…………」


 ステラは黙り込む。

 さっきの絶望の表情に、今度はなぜか虚勢を張るような作り笑いがミックスされていた。もはやこの表情は形容不能な一種の前衛芸術と言える気がする。


「え、何? もう1回言ってくれる?」

「いや、魔術でどうにかならないのかって」

「あ、あー、魔術ね。うん、魔術」

 

 壊れた人形のようにしきりにうなずくステラ。

 もしかして本当に魔術を使うということに思い至ってなかったんだろうか。いや、それにしてはいろいろ様子がおかしすぎる気もするが。

 

「どうなんだ?」

「それは……その、まあ……なんというか……」


 空を見上げたり下を向いたり、視線だけ明後日の方角に飛ばしたり、落ち着きという言葉とこれほどまでにかけ離れることができるものかと感嘆するくらい、ステラは挙動不審になっていた。

 そして何か妙な覚悟を決めたようにごくりと喉を鳴らした。その目には3日連続で徹夜したあとみたいなハイな異様さがあった。

 

「そ、そりゃそうよ! だって私魔王よ、魔王! 小屋でも家でも城でも国でも山でもなんだって建てられちゃうんだから! わっはははは!」


 国までは魔王の仕事で間違いないが山は多分神の領分だと思う。いや、それくらいの気概があった方が魔王らしいとも言えるか?

 

「それは……頼もしいな」


 いや、正直頼もしいどころか不安しかない。だからといって本当にできるのか、とか疑ってかかのは嫌だし、とりあえずはその言葉を信じるしかないんだが。

 と、頬をかきながらかけるべき言葉を探していたときだった。

 

 ――ぐーぐるぐるぐーぐるぐるぐーるぐる。

 

 何か奇怪な音が森の中に鳴り響いた。

 新種の魔獣か? 狼型か犬型の唸り声……それか鳥型の鳴き声? しかしそれにしては気配をまるで感じない。魔獣ならかなり厄介だ。

 そうでないとすると地響きか地鳴り? でも、こんなか細い音で空気も地面も震わせない地鳴りがあるか? 何か重大な異変の前触れ……?

 そうして俺はここ最近で最大級の警戒態勢に移行していたのだが、その問いの答えを教えてくれたのは目の前のステラだった。

 ステラの顔に浮かんでいたはずの混沌は羞恥の朱に塗りつぶされ、小さな右手が自分自身ののお腹に添えられている。

 

「……まさか、腹の音?」


 俺が言うとステラはお腹に当てていた手を慌てて離し、目を見開いて激しく首を横に振った。

 

「ちちちちち、ちちちちちちち、違うわよ!」

「なんだそのリズム感のいい否定は」 

「今の音はっ、そのっ……あれよ!」

「どれ?」

「えー、あー、うー……」


 それぞれの手で柔らかそうな頬をわしづかみにしながら悶えるステラ。


「……そう、呪文の詠唱よ!」

「ぐーぐるぐるぐーぐるぐるぐーるぐる、が?」

「恥ずかしいから再現しないで!」

「恥ずかしい? なんか恥ずかしい魔術を使ったのか?」

「うっ……そ、そういうわけでは……」

「じゃあどんな魔術を? なんで再現されると恥ずかしいんだ?」


 俺の問いに対して答えに窮したステラは目をつぶって考え込む。数秒も立たないうちにその目はカッと見開かれた。

 

「――やっぱり恥ずかしい魔術使いました!」

「……いや、それはそれでどんな魔術だよ」

「そ、それは……恥ずかしいから秘密で……」

「まあ別にそれでもいいが、今日から俺の中でお前は山中で突然恥ずかしい魔術を使うやつっていう認識になるぞ」

「…………」

「空腹で盛大にお腹鳴らしちゃう腹ぺこちゃんと、唐突に口にも出せないような恥ずかしい魔術を使うやばいやつ、どっちがいいんだ?」

 

 俺が諭すように言うと、しばらく酸っぱいものを口に入れたような顔で硬直してから観念したように肩を落とした。

 

「……腹ぺこちゃんの方がいいです」

「正直でよろしい」

「で、でもあんな音恥ずかしすぎるわよぉ……」


 ステラは上気した顔を両手で覆ってその場にうずくまる。消えてしまいたいとばかりに、体の体積を極限まで減らそうとしていた。

 

「別に動物である以上誰だって腹は減るんだから恥ずかしくなんてないだろ」

「じゃあベルガは人前でうっかりおならしちゃっても恥ずかしくないの? 動物がみんなそうだからって、裸で出歩いても恥ずかしくないの!?」

「ない」


 俺が即答すると、ステラは真顔で俺を見つめた。

 

「うん、ベルガはそういう人ね」

「だろ?」

「むしろ嬉々としてやってそう」

「そこまでは歪んでない」

 

 王都にいたときたまにそういうやつを見たが、さすがにあいつらの気持ちはまだ俺にはわからない。でも少なくとも、国王よりはあいつらの方が親近感が湧くのは事実だ。

 

「ま、それはおいといて飯にするか。まあ俺は食ったばっかりだからいいけど」

「……なんか悪いわね」

「そういうのはなしだ。ちゃんと約束したんだからな」


 なんか申し訳なさそうにしているステラに言って、俺は額を軽く小突いた。

 

「……そうね。ありがとう」


 ステラはうなずいて花が咲いたように笑った。

 

「じゃあ俺が飯獲ってくる間に家建てといてくれ」

「うぇ」


 花が一瞬で枯れた。

 

「……大丈夫か?」

「だっだだだっだ、だっだだだっだ、だーいじょーぶよ!」


 またやけにリズミカルに言って親指を立てる。


「この辺りは魔獣も凶暴な獣も出ないから大丈夫だと思うが、なんかあったら大声出せよ」

 

 ステラがこくこくとうなずいて応える。

 俺はその様子の不審さに釈然としないものを感じながらも、一端その場にステラを残して狩りに出かけることにした。

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