ささっと読める短編集

村雨 優衣

初めての沖縄

 沖縄の修学旅行。とある雑貨店。


 そこで僕は初めてコンドームというものを買った。


 特に使う予定はないのだけれど横にいる田中が買うと意気込んでいたので、しかたなくだ。とはいえ、興味がないということではない。むしろ大いにある。


 コンドームが入った紙袋を強く右手に握りしめ、田中は満足げだ。背中にリュックがあるというのにそれをしまわないあたりバカなのだ。もちろん、僕はすぐにリュックにしまった。

 女子がいないことを確認してから店外へ。強い陽射しと湿気、それと初めて買ったコンドームという未知がさらに身体の熱を上げている。


 「田中、お前それ買ったはいいけどどうするんだ?」


 「いや、定番だろ? バカが竹刀買うのと同じだよ。俺たちは少し利口だろ? だからあとあと邪魔にならないものをチョイスしたんだよ」


 「・・・あとあとって。使う予定もないくせに」


 「うるせぇな。備えあれば憂いなしだろ?」


 行くあてもなくただ前に進んで行く。国際通りの人混みには他の高校の学生も多くいる。その中で何人の高校生がコンドームを買っているのだろう? そんなバカなことを考えてしまう。きっと思考が同レベルだから僕はこいつと仲良くできるのだろう。残念だ。

 

 「そういえば、お前好きなやつとかいるの?」

 

 ようやく右手に持った紙袋をリュックに入れ、田中が冗談っぽく言った。


 「いないよ」


 「いや、いるだろ。ズバリ当ててあるよ。っていうかバレバレだしな」


 ニヤリと田中が邪悪に笑う。こいつのタチの悪いところはバカなのにたまに鋭いところだ。


 「・・・まぁ言うだけ言ってみろよ」


 「三島だろ?」


 「別に好きじゃないよ」


 本当は好きだ。二年くらい前から好きだ。


 「おいおい、ビンゴかよ。お前、嘘つくとき癖あるからすぐ分かるよ」


 「なんだよ、癖って。具体的に言えよ。どんな癖だよ!」


 「言うわけないだろ。そんなのつまらん。それより三島のどこらへんが好みなんだよ」


 「さぁ・・・なんでだろうな。まず可愛いだろ? それに優しいから」


 「ふぅーん。じゃあ好きなのは認めるんだな」


 あぁ僕はバカだ。田中は鼻から息が多めに漏れる。その顔には、してやった、と透明な文字で書かれている。僕には確かにそれが見えるのだ。


 「なぁもうなんでもいいから今のこと黙っとけよ。他のやつに言うなよ?」


 「言わない。言わない。多分・・・」


 田中の視線がサーターアンダギーを販売している店に向けられる。僕はそれを無言のまま通り過ぎようとしたけれど、奴の図々しさは止まることを知らなかった。ピタリと止まった奴の両足の先がその店に向けられていた。


 「サーターアンダギー食べたらもっと言わない。絶対言わない。神に誓う」


 「おい、絶対ってほんとだよな?」


 田中に念押しするため、目をしっかりと見つめ、言葉の語尾も強めた。


 「分かってるって。俺が三島のこと相談のってやるから。その講習代とでも思ってくれ」


 「・・・分かったよ。もし破ったらサーターアンダギー返してもらうからな。物理的に」


 サーターアンダーギー150円。こんな暑いのよく食べようと思うなぁ。奴にとってサーターアンダーギーは沖縄の楽しいイベントの一つなのだろう。

 田中は修学旅行の三日前まで、サーターアンダーギーという言葉すら知らなかった。教室で初めてサーターアンダーギーという言葉が田中の耳に入った時、奴はそれをエクスカリバーや、アルマゲドン、そういった超常的なものと捉えたらしく、「それって課金アイテム?」と真顔でスマホをいじりながら答えた。僕はそのことをネタにしないかわりにジュースを一本、田中に奢ってもらった。

 今に思えばそのツケが今ここで精算されているのである。しかも僕が奢ってもらった缶ジュースよりも30円高く。


 ***


 修学旅行の夜。なにか劇的なことが起こってくれないだろうか、と心はざわめく。じめっとした暑さに潮の香りを残したその夜は、きっとなにも起きなくても一生記憶に残るものになるだろう。


 「おい、鈴木! 今夜は寝かせないよ?」


 105号室。今日一日の疲れを癒すために用意された僕らの一室。そのドアノブに右手で軽く握りながら田中は流暢にそう言う。普段は僕のことをお前と称して呼ぶのに、いきなり苗字で言うあたり若干キモい。もちろん、これが田中なりのジャークなのは分かっているけれど。


 「お前は本当に悪意の塊だな」


 さらっと流し気味に僕が返すと、田中はニタリと笑いドアを開けた。 

 部屋はシンプルでベッドが二つに、26型テレビが一つ、それに玄関横にはユニットバスがあり、内装色は茶色を基調としていた。

 

 「ヤッホー」田中が手前側のベッドにダイブする。「やっぱ、旅行に来たらこれしなきゃな」 


 「まぁ、その気持ちは分からなくもない」


 僕も残った方のベッドに後ろから埋もれるようにダイブした。すると、ふくらはぎの疲れがドッと顔を出す。このまま小一時間、ずっと知らない天井のシミを数え、疲れ果てて寝てしまうのも悪くない、そんな気分だ。けれどそれは、


 「お前、そのまま寝るなよ。もったいないからな」


 田中の言う通りなのである。


 「分かってるって」

 

 ベッドの外に足を出し座る。正面には田中のいるベッドがあり、奴はその横に置いた自身のリュックから昼に買ったアレを取り出していた。

 

 「なぁ中身どうなってるか気にならねぇ?」


 僕は童貞。田中はきっと童貞。その中身がどうなっているかはなんとなく想像できるが、それでも今日一番の胸の高鳴りがあった。

 だから僕は無言のまま、コクリと首だけで賛成の意を表した。


 静かになった二人だけの空間にパカ、パカと紙パルプの箱の音。箱のサイドをしっかりと止めたセロハンテープも、田中は丁寧に取り除き、蓋口に親指の爪を入れ込んだ。


 「開けるぞ?」


 「おう」


 そっと開き、田中は中身をつまむようにして上に挙げた。すると銀の光沢を宿した長くて平べったいものが目の前に現れる。


 「・・・これがコンドームか」


 田中はそれにキリトリ線があることに気がつくと、長い長方形の平べったいから、およそ正方形の平べったいに句切っていった。それからさらに奴はあることを発見する。


 「ウラ、オモテ・・・」


 コンドームにウラとオモテ? なんだウラとオモテってコイン感覚なの?  

 箱中に一緒に入っていた説明書を確認する田中の目は真剣だ。困惑する僕を置き去りしている感が強い。


 「おい、ウラ、オモテってなんだよ。気になる言い方しやがって」


 「待てって。こういうのは間違った使い方すると取り返しのつかないことになりかねないんだぜ」


 「使う相手もいないのに?」


 「うるさい童貞、シャラップ!」

 

 貴様も童貞だろうが。そう思ったけど黙った。なにより今は情報が欲しかったのだ。

 それから二分ぐらいして田中が、「なるほど」と声をあげる。


 「なぁ、なんなんだよ。説明してくれよ」


 「いや、お前も買ったんだから自分の開けて見りゃいいだろ? 説明するのは流石に恥ずかしいだろ」


 田中が気難しそうに口を歪した。とそれと同じタイミングで、

 「おじゃま! 下のロビーでトランプするけどあんた達も来る?」

 と明るくて聞き覚えのある声が部屋に。三島だ。ノックなしで突然現れる意中の相手、きっと普通なら嬉しいはずなのに・・・


 「三島、ストップ!」

 

 反射的に放たれた僕の言葉と同時に、田中は布団の中に見つかりたくないそれらを隠した。が、ここで問題がある。それは三島はクラスで女子の中で1、2を争うくらいお転婆だということだ。『来るな』という掛け声が『来て来て』と逆に魅惑のスパイスとなって彼女の耳に届いたのは言うまでもないのだ。

 黒のポニーテールを揺らしながら三島の進行は止まらない。1メートル、2メートル、3メートル、4メートル、と距離を潰していき、そして僕らのすぐ横でその足を止める。

 

 「ねぇ田中。今なにか隠したでしょ?」

 

 「いや、そう見えただけじゃないの?」


 「ふぅーん」三島は少し上に吊った猫のような瞳を悪戯っぽく輝かせ、「ねぇ鈴木。ほんとに田中、なにも隠してないの?」と、優しい声に合わせて微笑む。

 こんな時なのに三島の仕草ひとつひとつが魅力的で、その表情に目がいく。

 それに、なんかいい香りまでする。


 「なにも隠してないと思うよ」

 

 この状況下じゃ、この言葉以外はないだろう。そう内心でぼやきつつ、自然で淀みのない一定の表情を僕はキープした。三島の表情は表情は変わらない。悪戯めいた光が瞳の奥で揺れている。けれど不思議なことに、ならば布団をめくってやろう、という強行感も感じない。むしろ秘密を共有した親友みたいに、「そ。じゃあ下のロビーで待ってるからすぐ来なね」そう囁き、僕らに背を向け、来たルートを歩き出す。

 

 僕と田中はその華奢な背中を目で追いながら、ほっと一息零した。声もないままに田中の表情が語りかけて来る、助かったと。僕も同じだ。すごく助かった、と肩から滲み出る雰囲気で伝えた。


 が、すぐに気づくのである。気づかされるのである。

 

 「あんまり、はしゃぎすぎるなよ。男子なのは分かるけど。床落ちてるよ」

 

 「・・・・・・・」

 「・・・・・・・」

 それはオモテではなくウラと書かれていた。

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