六月十五日 月曜日

《怪奇の淵》管理人様へ

 友人から実話怪談を集めているサイトがあると聞き、メールを送らせて頂きました。

 私は霊感が強いわけでもなく、生まれてこの方、心霊現象とは無縁の生活を送ってきました。幽霊に対しても半信半疑だったのですが、今回の体験は心霊現象だと認めざるを得ません。

 これから記す恐怖体験は紛れもない事実です。私が実際に目にしたこと、耳にしたことを、できるだけ詳細に伝えたいと思います。

 一人で抱えるにはあまりにも恐ろしいこの体験が、より多くの人の目に触れることを願っています。


     ***


 今年の春から晴れて大学生となった私は、下宿で一人暮らしを始めました。実家から隣町の大学まで毎朝二時間かけてのバス通学は考えるだけでうんざりだったため、大学の近くのアパートを借りることにしたのです。

 もちろん両親は反対しましたが、必死に説得した結果、なんとか認めてくれたのでした。

 あてがわれたのは古いアパートでしたが、私は仕送りをもらう立場なので、文句は言いませんでした。

 一人暮らしを認めたにもかかわらず、どうしても私を放っておけないのか、過保護気味な母はアパートの合鍵を要求し、毎週末、私の部屋を訪れ掃除などをしていってくれています。早く自立したいという私の意思などお構いなしのようでした。

 一人暮らしを始めてから二ヶ月ほど経ち、大学生活にも慣れてきた頃でした。

 何の前触れもなく、私の日常は狂い出したのです……。


 六月一五日、月曜日。

 その日も、大学の講義が終わった私は、まっすぐにアパートへと帰りました。大学を出て歩くこと二十分。アパートに着いたのは午後五時頃だったと思います。

 夕暮れ時でしたが空は厚い雲に覆われ、辺りは薄暗くなっていました。

 私が選んだ――というより両親が選んだ――下宿先であるアパートは二階建ての八戸入りでした。長屋のようなアパートの各階には四部屋が横一列に並んでおり、二階の手前側の外階段を上がってすぐの部屋から数えて三番目の二〇三号室が私の部屋でした。

 いつものように外階段を上ると、ちょうど私の部屋の前あたりに、何かピンク色のモノが落ちているのが目に入りました。

 近づいて分かったのですが、それは女の子を模した人形だったのです。

 赤ちゃんのような顔に真っ黒な目、おかっぱ頭の人形は、ピンク色のドレスを着ていました。柔らかめのプラスチックで出来ている、幼児期の女の子が遊ぶような量産品の人形です。私も小学校低学年の頃までは似たような人形でおままごとをして遊んでいたのを覚えています。

 所々ひび割れたコンクリート地の外廊下に落ちていたそれは、あまりにも場違いに感じられました。

 ……どうしてこんなものがここに?

 私の知る限り、アパートに小さい子供は住んでいないはずでした。

 各部屋の住人と面識があるわけではありません。それでも、生活音が耳に入りやすい環境にも関わらず子供の声を一度も聞いたことがないのですから、住人の中に子供はいないと断言してもよいでしょう。

 しかし、住人の誰かが小さい子を連れて、昼間にアパートを訪れたという可能性までは否定できません。私は学生なので昼間はアパートにいませんし、休日もアルバイトをしていて帰りは夜です。日中のアパートの様子はさっぱり分かりません。

 もしかしたら、昼間にこのアパートを訪れた女の子が人形を落としていったのかもしれません。しかし、お出掛けに持っていくくらいお気に入りの人形だったのなら、落としたことにすぐ気付くはずです。

 では私の部屋の前を通る人、つまり私の部屋より奥にある二〇四号室の住人、もしくは二〇四号室に用があって訪れた人が落としたのでしょうか。これがアニメのキャラクターとかのフィギュアだとしたらそれもあり得ますが、落ちていたのは幼児向けの人形です。もし幼児向け人形を愛好する特殊な趣味の住人が居たとして、果たして外に持ち出すでしょうか。ましてや落としたことに気付かないなんてことがあるでしょうか。

 やはり、誰かの落とし物と考えるには無理があるような気がするのです。

 カラスや野良犬がくわえて運んできたのかとも考えましたが、人形は全くと言ってよいほど汚れていなかったので、その可能性も低いと言えます。

残る可能性としては、誰か、例えば近所の子供による悪戯、という線でしょうか。だとしても、意味が分かりません。こんなことをしても犯人には何の得もないでしょうし。

 結局、そのときの私は考えることを諦め、すぐにアパートの一階に据え付けられたゴミ箱へ人形を投げ込んだのでした。

 講義で疲れきっていた私に論理的思考力が残っているわけもなく、気味の悪いガラクタを処分しようという一心での行動でした。

 ちょうど次の日は火曜日で、燃えるゴミの日です。朝には収集車に回収されて、焼却場に運ばれることでしょう。

 なんだか一仕事終えたような達成感を味わいながら、自室である二〇三号室へと私は戻ったのでした。

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