第3話 いつからか、恐ろしくなった場所
学校からの帰宅途中、毎日のように通る神社の前で足を止める。
古びた石造りの鳥居の奥に、小さいながらも威容を称えた社がある。
一応うちの近所は皆ここの氏子ってことだから、僕にとっても氏神様なんだけど。
七五三とかもやってもらった神社ではあるんだけど。
「……相変わらず、何て言うか、近寄りたくないんだよねぇ……」
ぼそりと呟いた独り言に返答はない。
背後の守護者は何も言わず、ただそこにいる。
周囲を通るまばらな人々は、僕の独り言を気にしてもいない。
まぁ、下校途中の高校生の独り言なんて、誰も気にしないか。
昔は、別にこんなことはなかった。
むしろ、小さい頃の僕は、この神社が大好きだった。
宮司さんもその奥さんも、神社の人は皆優しかった。
今でも優しい。
神社は何も変わっていないのに、僕は何故かそこに近づきたくない。
何となく神社に近寄るのが億劫になったのは、多分、小学校に上がった頃だ。
七五三を終えた頃には、もう、何となく神社に近寄らなくなった。
幼稚園の頃は、家に帰るまでに神社に遊びに行きたくてたまらなかったのに。
長い石の階段も、広い境内も、優しい宮司さんも、僕には楽しい遊び場だった。
用事のある母の代わりに、宮司さんの奥さんに子守をして貰ったこともある。
それぐらい、僕にとってこの神社は親しみの在る場所だった。
それが徐々に近寄るのが嫌になっていった。
17歳になった今、僕は、階段下の鳥居を見上げるだけで、精一杯だ。
この鳥居をくぐって、石階段を登り、境内まで足を運ぶのを、拒む心がある。
理由は知らない。
ただ、嫌だ。
何故か解らないけれど、近寄るのが嫌なのだ。
そして。
《アキラ、何ヲ立チ止マッテイル》
(あぁ、ごめん。何でもないよ。帰ろうか)
《ソレガ良イ》
(うん)
普段、危険が迫ったときぐらいしか僕の行動に口出しをしない守護者が、口を挟む。
まるで、あまり長く僕が神社の前にいるのが良くないと言いたげに。
明確に理由を説明したことも、そこが危ないと告げられたこともない。
ただ、意味も無くこの場所にいることを咎めるように、《彼》は帰宅を促す。
いつも、いつでも。
いや、違う。
僕が、神社に近寄るのを拒み始めた頃から、《彼》はそんな態度を取ってきた。
僕がそこを嫌うならば、近づけないと言いたげに。
不思議だった。
幼少時、僕が神社に喜んで通っていた頃、《彼》はそんな態度は取らなかったのに。
本当に僕の守護者は、何を考えているのか解らない。
(ねぇ……)
《何ダ?》
(君は、神社が嫌いなの?)
《……イイヤ。嫌ッテナドイナイ》
(ならどうして、僕をここから遠ざけようとするの?)
《…………》
思い切って問いかけた僕に、返事は無かった。
あぁ、いつもそうだ。
僕の守護者は無口なんじゃない。
答えたくないことは、決して答えてくれない。
貝のように口を
きっと僕は、いつまでたっても《彼》の真綿から抜け出せない。
優しいのに、その優しさは僕には残酷だ。
まるで何も解らない幼子のように封じ込められて幸せだと思えるわけが無い。
けれど僕の守護者はそうやって、僕を全てから遠ざけようとするのだ。
……まぁ、《彼》の行動は今に始まったことじゃない。
今むしろ問題なのは、僕自身の変化だ。
毎朝通る神社の前。
何故だろう。
日に日に僕は、あの場所が怖くなっている。
思えば、昔から、あの神社以外の神社、……神域と呼ばれる場所は、苦手だった。
あそこに入り浸っていた幼少時ですら、僕は他の神社は怖かった。
お祭りがあるからと連れて行かれた先の神社で、大泣きしたことを覚えている。
その時感じた怖さと、今感じている怖さは別物だ。
それでも、自分が神域を忌避しているという現実だけは、確かにここにある。
寺は平気だった。
修学旅行や遠足で向かった有名な寺も、別に怖くはなかったのだ。
仏像を前にしても、畏れはあっても、恐怖はなかった。
そこから導き出せる結果として、僕が恐れているのは神域ということになる。
神社だけでは無い。
池でも山でも森でもなんでも良いけれど、いわゆる「神様の住まう場所」とされる場所は、怖い。
何故怖いのか解らない。
けれど、近づきたくないと思ってしまうのだ。
勿論、近づいたからって、中に入ったからって、何かがあるわけではない。
《彼》も別に、危険を伝えてきたわけではない。
畏れているのではなく、恐れているのだ。
その意味も、理由も、僕にはさっぱりわからない。
ただただ、居心地が悪いほどの恐怖を感じる。
《アキラ!》
「……ッ!」
考え事をしていた僕の肩を、《彼》が引いた。
鼻先すれすれの場所を、歩道に植えられていた街路樹が掠めていく。
息を飲んだ僕の前で、どぉと音を立てて倒れた。
どくどくと早鐘を打つ心臓を抱えながら、僕は慌てて周囲を確認した。
……幸い、下敷きになった人はいなかったらしい。
良かった。
街路樹の向こう側、通り過ぎたばかりだった自転車の持ち主が転んでいた。
後輪に樹が引っかかったらしい。
それでも、咄嗟に自転車から手を離したのか、巻き込まれてはいなかった。
自転車も、枝の下敷きになっているだけで、すぐに引っ張り出せそうだ。
大きな被害が無いことに、僕は安堵する。
《怪我ハ?》
(無いよ。ありがとう。……この樹、何で倒れてきたの?)
《……一部ガ朽チテイル》
(何で?)
《知ラヌ》
(そっか)
じっと守護者が視線を向けたのは、街路樹の根に近い場所だった。
確かによく見てみれば、そこだけ色が違う。
ぽっきり折れるというよりは、ぐにゃりと崩れているような変な感じだった。
腐って崩れ落ちたという感じに見える。
周囲が大騒ぎをしている中で、僕はそろりと街路樹から離れた。
僕がそこにいても出来ることはないしね。
騒ぎに巻き込まれる前に、さっさと帰ろう。
外にいると、また何かに巻き込まれるかも知れないし。
そうして立ち去ろうとして、ふと気づいた。
さわさわと、神社の方から風が吹いている。
別に珍しいことじゃない。
そうだというのに何故か、妙な怖気を感じて息を飲む。
神社の周囲は木々に囲まれている。
晴れていても妙に薄暗いその木々が、何故か、気になった。
これは恐怖なのか。
興味なのか。
解らないままに足を止めてしまう。
……理由がわからないままでも、あの場所は確かに僕にとっての特別なのだろう。
幼少時は親しんだ場所。
今は恐れている場所。
理由は違っても、あの場所は、僕にとっては、きっと、意味がある。
……意味が無いのならば、僕の感じる恐れの説明が出来ないのだから。
《アキラ》
「……」
《アキラ、人ガ集マッテ来ル》
(……そうだね。帰ろうか)
ほんの少しだけ、苛立ったような声が脳裏に響く。
小さく息を吐いて、僕は彼の提案に頷いた。
そう、帰ろう。
帰るべきだ。
これ以上何かが起こる前に、安全な、家に。
今日も僕は《彼》に護られている。
《彼》がいなければ、きっととっくの昔に死んでしまっていたんだろう。
だから、《彼》の言葉には従おう。
……僕だってまだ、死にたくない。
家に戻る途中で思い出した、「七つまでは神のうち」という言葉が、妙に心に突き刺さった。
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