隣の芝生に興味はない
家族というのは、分かりやすい存在だ。
家に入った瞬間に、空気や匂い声や態度で、今日の家族の気分なんかがわかるのだから。
給料日恒例に、私が買ってくるケーキを極端に母が喜ぶ姿を見ると、何か私に頼みごとがあるか後ろめたいことがあるときだとわかってしまう。
私は思う。
今日は夕飯を食べてお風呂に入ったら、早めに自分の部屋に逃げたほうがいいと。
せっかくの給料日。気分の良いままで一日を終らせたい。
今日買った大量の本は、出勤用のバッグに詰め込んで隠してある。
私自身、自分のオタクっぽい趣味や給料日の贅沢を、誰にも文句を言われたくない。
とりあえず、この重い本を部屋にしまいたい。
「着替えてくるね。」
そう言って。私は自分の部屋に閉じこもる。そして、クローゼットの引き出しの服の下に今日買った本を入れて、その上に服を被せる。
これで、証拠隠滅。
まるで、隠れキリシタンかのように、私のオタク趣味は部屋のあちこちに隠してある。
絶対に、家族にはばれない場所に。
本来ならオープンにしてもいいのかもしれないけど、自分の大好きなものを一ミリも否定されるのは、自分を全否定されるようで好まない。
そのくらい、私にとって生きがいの趣味なのだ。
部屋着に着替えてリビングへ行くと、夕飯の冷やし中華が食卓に並んでいて、私と両親はそれを食べて、BGM替わりにかけられたテレビに、父が反応するのに対して私と母は相槌をうつという、静かな夕飯。
やっぱり家族はわかりやすい。
なんだか今日は、母が静かだ。いつもなら、テレビを見て笑って見ている母の口数が今日は極端に少ない。
なんだろう。今日は何を頼まれるのだろう。お金?いやな報告?無茶なお願い?
そんなドキドキした状態で夕飯を食べて、すぐに母が私が買ってきたケーキを小皿に入れて持ってきた。
今月のケーキは、コーヒーのケーキ。安売りだったのと、期間限定にそそられて買った。
私が黙って、ケーキを一口食べたときだった。
「那月、これ届いてたよ。」
と母が黄色の封筒を、私に渡した。
この封筒、何度も同じようなものを見たことがある。封を開けなくても、内容はわかる。
「よっちゃん、授かり婚だって。」
母が続けていう言葉に納得した。
ちなみに、よっちゃんというのは、佐藤依子。私の幼馴染で、家も近所の同級生。中学生までは一緒に学校に行って、高校が違ったため、そこかたは近所でも顔を合わせれば挨拶する程度だった。
こんなとき、自分がひねくれているなと思ってしまう。
すぐに、よっちゃんにかかるお金を計算し始めてしまう。
封筒は結婚式の招待状だから、まずそれは欠席と出すとして…ご祝儀に一万円。近所付き合いのことも考えると、小物かなにかもプレゼントしたほうがいい。これはネットで安くて良いものを探そう。
そして、授かり婚なら…出産祝いも考えなければ。
計算すると三万円。
三万円かぁ…。三万円だったら、何が買えるだろうと考えると、ため息しか出ない。
だめだ。お祝いの気持ちが全くわかない…。
「これ、よっちゃんのお母さんが届けてくれたんだけど、すごく喜んでてね。そうよねー。結婚に、そのうえ孫までできるんだから。那月もねーいつかはねー。」
母は、やっぱり私に結婚してほしいようだ。
この一言に、とてつもなく重みを感じる。
父もケーキを黙って食べながら、小さく頷いている。
そういえば、この光景を何度見ただろうか。私の同級生や、近所の人が結婚すると、両親はわかりやすいように羨ましそうに話すのだ。
私は、そんな両親の反応に何も言わない。正直、両親の気持ちに応えられないから。そんな気が全くないし、両親がいくら羨ましがっても、その夢を叶えてあげることは、今の私にはできない。
何かこの話題に反応すれば、両親に変な期待を持たせてしまうだろう。
私は、近所の人や同級生が結婚したと聞いても、全く焦らない。
心配するのは、お金のことだけ。
両親には見える隣の芝生は、きっとすごく青いんだと思う。
でも、ごめん。
私…まったく隣の芝生に興味ないや…。
そんな中で、母が口を開いた。
「そういえば、那月だって二年前の壮一さん良かったのにねー。」
お母さん、その話はしないで。そう思ったら、目の前のケーキがただの甘い塊になってしまった。
自分が何を食べているのかもわからない。
母の一言で、苦い思い出が頭の中に一気によぎって、その場から逃げ出したくなって、それができないイライラでケーキを口の中に詰め込んだ。
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