4 欠席者2
あぐらをかいた日向の上に、志乃が腰を下ろす。
スキンシップをねだる志乃に根負けした結果だった。
「……なんか手慣れてません?」
「気のせいだ」
「いいえ。私が座りやすく、日向君も痛くないポジションですよねこれ。それに柔らかいものが当たらない位置でもあります。固くしても良いんですよ?」
手慣れているのは事実だった。
日向は子供によくモテる。
公園でトレーニングをする様は、冷めた大人には不審者しか見えないが、純粋な子供にはヒーローそのものだ。加えて日向は本心から楽しんでいるため、その感情は子供たちにも伝搬し、高揚感を生じさせる。
子供たちの反応は様々だが、ボディタッチされることも少なくなく、こうして上に座られることもあった。
というより、まさに同じように座られたことがあり、当の女の子は「なんか柔らかい」と日向のそれを発見。自分には無いそれに目を輝かせ、日向は見せろだの触らせろだのと
「日向君の方から抱きついてくれませんか? もっと近くで感じたいんです」
志乃が遠慮無くもたれてくる。同時に座り直しては、何を探るように尻を動かしたり上下に揺らしたりしてきた。
「……」
「照れてます? 私の勝ちですね」
「挑発に乗るのは
「言い訳がましいところが可愛いと思います」
「目的の設定と言ってくれ」
日向はおんぶのように志乃の背中から抱きついた。
ふわりと志乃の匂い――純粋な体臭が鼻腔をくすぐる。
人工的な香りはほとんど無い。普通の女子には間違いなくまとわりついているはずのそれは、意識的に抑える努力をしない限り、薄まらないはずだ。
(頑張ってるんだな……)
日向は以前、人工物は好みじゃないと発言したことがある。
志乃が律儀に取り入れたのは明らかだった。
「温かい。それに固いです」
「反応させたつもりはないが」
「そっちじゃなくて。体全体が、です」
「鍛えてるからな」
志乃には最初、身体のこわばりが見て取れたが、彼女の鼻がすんと動いた直後、すぐに柔らかくなっていた。
日向が志乃を嗅いだように、志乃もまた日向を嗅いだのだ。
そしてそれは、どうやら臭いではなく匂いだったようである。
異性のにおいが良いと感じた時、それは生物的に相性が良いことを示している。遺伝子レベルの仕様なのだそうだ。
日向はその手の説に懐疑的だったが、現に志乃はスムーズに緊張を解いてみせた。
自らの意思でそうしたとは思えない。生理現象として反応したと考えるのが自然だ。
つまり、その手の説を信じるならば、志乃から見て日向は相性が良い相手だということになる。
一応志乃の告白を受け入れたとはいえ、独り身でいたい日向としては耳が痛い話だった。
「もう少し脂肪が欲しいところですね。岩肌に寝そべっているみたいで、正直気持ちよくないです」
「
「心配ありませんよ。そのうち慣れて、愛おしくなります」
「太ももを揉むな」
もみもみと探るような手つきがくすぐったい。
「私のも触っていいですから」
何を、と問う思考を日向はシャットアウトする。
同時に太ももにも力を入れることで志乃のスキンシップを拒否しつつ、「早速話し合いたいんだが」半ば強引に話を続ける。
「残りの学校生活はどう立ち振る舞うつもりだ? 面倒くさいラブコメは嫌だぞ」
「私は隠しても構いませんが、女の子は鋭いのですぐにばれると思いますよ?」
「……隠し通す方向でいく。学校では今までどおりでいてくれ」
「イチャイチャですね」
志乃はどん、と胸元にもたれてくると、優しく頬ずりを始めた。
「お手柔らかに頼む」
「わかりません」
「いやホントに」
なすがままにされる日向だったが、確認したい点は他にもある。
「志乃はこれで良いのか?」
自分にすっぽりと収まる志乃の髪を撫でながら、その質問をぶつける。
「何がですか?」
「恋のことはよくわからんが、こじれる気がする」
「構いませんよ。言ったじゃないですか、私には日向君が一番だって」
「志乃はそうだが……」
志乃が良いなら問題はない、と割り切りたいところだが、日向の頭はもやもやしていた。
愛された飼い猫のようにくつろぐ志乃を抱きつつも、少し思考に耽る。
(――ああ、単に面倒くさいってだけか)
結果、志乃が一歩リードしたことがばれてしまい、祐理と沙弥香がうるさくなって面倒くさくなるのが嫌なのだという懸念に至る。
「そういえば以前、沙弥香が告白してきた後に言ってたよな志乃。こじれることはない、みたいなことだったか。あれ、どういう意味なんだ?」
六月の終わり頃、強引に泊まりに来た沙弥香は、下着姿で日向に告白してきた。
まさかの事態に祐理もバグり、なぜか服を脱いで沙弥香に詰め寄っていたが、その時に志乃が言ったのが、
――お前ら、せっかく仲が良いのに、亀裂が入るぞ?
――ご心配には及びません。
当初はその言葉の意味がわからず、わかろうとする気もなかったが、今となってはそうもいかない。
選手生活が始まるまでの間、なるべく物静かに暮らすためには、十中八九祐理と沙弥香を
この事は先ほどの『あそび』にもなるだろう。
どこまでも打算的な日向だった。
「ああ、あの時ですね。あれは日向君が
「アイドル?」
「はい。日向君って誰にもなびかないじゃないですか。恋はしないと言うアイドルみたいにストイックなんです。だから私も、祐理さんも、沙弥香さんも安心できてました。独り占めできない、みんなの日向――とでも言えばいいんでしょうか」
「なるほど、そういう構図になってたのか……」
自分がモテるとは夢にも思ってなかった日向だが、こうして言語化されると嫌でも意識してしまう。
どうにもむずがゆかった。
「もちろん今は違いますよ。私は言わば声優と結婚した男性ファンみたいなものです」
「そのたとえはよくわからんが……。志乃がいいなら、いいか」
「心配してくれてありがとうございます。はぁ好き」
志乃が上目遣いをしつつ、唇を尖らせてくる。
「なあ志乃」
「……はい」
一向に応じない日向を前に、頬を膨らませる志乃だったが、拗ねて会話を拒絶するといった面倒まではしないようだ。
そんな物わかりの良さが、日向にはありがたかった。
無論、常に自分のペースに従わせるわけにもいかない。どこかで志乃に応える必要は出てくるだろう。
そう思うと頭が痛い日向だったが、今はせっかくの二人きりだ。今後のためにも、可能な限りの便宜は整えておきたかった。
「志乃は――」
(いいのか、この質問は……)
言い淀む日向を見上げる志乃は、真剣な眼差しで傾聴を示しつつ、首を傾げて続きを促してくる。
「志乃は――俺を軽蔑しないのか? 俺が何をして停学になったのか、聞いてるだろ?」
日向は文化祭と体育祭で相当な罪を犯している。
一久のおかげで、だいぶ軽い罪に軽減こそされたものの、当事者の春子を始め、日向と対戦した面々が納得しているかどうかは別問題だ。
そもそも動機がなんであれ、盗撮をしたという事実に変わりはない。
(あいつらとは一年もしないうちに離れるが、志乃は違う。一緒に暮らす以上、はっきりさせないといけない)
「どうでもいいことです」
志乃の返答はあっさりとしていた。
「スリルと挑発のために春子さんを盗撮した――そういうことになっているのでしょう? 停学と競技デビューで償うという体裁も取り繕ったわけですし。なら問題はないと思います。私自身もそうです。私にとって大切なのは日向君と私だけですから」
「……」
日向は志乃を抱きしめることで、そのどこか一途すぎる視線から逃げた。
盗撮という理由で離れるほどやわではないようだ。
もちろんこれは日向の悪事――撮り師として何十何百という女子を盗撮し販売してきた事実が知られていないからこそだろうが。
(いや、知られたとしても受け入れてくれそうだな。志乃はこっち側の人間だ。一久さんの言葉を借りるなら、才能がある)
さすがに志乃も盗撮したとは言えないが、と日向は胸中で苦笑した。
「そんなことより、パルクールしないんですか? 見たいです」
「今週は引っ越し準備をする」
「来年なのでしょう? 早いと思いますが」
「生き方ががらっと変わるからな。今のうちに清算しておきたいんだよ」
「と言いますと?」
「……とりあえず離れないか」
「嫌です。話し終えるまで離しません」
志乃はちゃっかりしている。今は間違いなく日向につけ込んでスキンシップができる好機だ。
しかし、その発言は、話し終えたら離れてくれるとも取れる。
日向は嘆息しつつも、話を続けることにした。
「
「日向君は既に十分すぎるほどミニマムだと思いますが……ちなみに断捨離とミニマリズムの違いはご存じですか?」
「さあ。新太さんと一久さんに勧められただけだからな。これから調べる」
「私がお教えします。早速お役に立てて嬉しいです」
志乃は日向から離れ、テーブルにつく。
すっかり冷めたコーヒーを味わった後、とんとんと指でマグカップを叩いた。その視線は向かい側の椅子に向いている。「へいへい」日向が座ると、志乃はいつもの得意気な顔を浮かべて。
「最大の違いは商標の有無ですね。断捨離は一個人によって開発されたもので、れっきとした登録商標なんですが――」
さぞ楽しそうに語るのだった。
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