3 契約2

「沙弥香ちゃんってさ、実は日向のこと好きでしょ」


 今朝の騒動――沙弥香が春子に掴みかかる騒動があったと日向は祐理から聞いた――から少し過ぎて、昼休み。

 いつものごとく日向は逃走を阻まれ、窓際最後尾の自席で、スクールカースト頂点集団の中に放り込まれていた。


「んなわけないでしょ」

「オレもそれ思ってた。日向ちゃんとだけ妙に打ち解けてるよね」


 運良く誠司と志乃はいないが、それでも騒がしさは変わらないらしい。

 毎日毎日くだらない話題を、よくもまあ途切れさせずに盛り上げられるものだ、と日向は感心する今日この頃である。


「むしろ逆よ。世界で一番嫌いな男ね」


 沙弥香が睨んできたが無視して、弁当箱から四角い物体を取り出す。

 まがまがしい色合いの、おおよそ食べ物に見えない物体だが、もはや場の誰も突っ込まない。

 口に放り込み、咀嚼。


「イヤよイヤよも?」

「好きのうちー」


 琢磨と祐理の沙弥香いじりが盛り上がっているが、当の本人はこちらを向いたままだ。

 そんなに俺のことが嫌いなのか、と日向は胸中で苦笑しつつも、その鋭くも美しい双眸と目を合わせた。


「アンタのことは嫌いだけど、実力は認めてるわ」


 特に話すこともない日向は、黙ったままもぐもぐしていた。


「これは真面目な話なんだけど、アタシはもっと成長したいのよ。お兄ちゃんを見返したいし、あの女にも負けたくはない」


 あの女、とは春日春子のことだろう。

 新太が春日家からの指導依頼を受けたと聞いている。


「というわけで、アンタの練習に同行させなさい」

「……」

「聞こえなかったの? アタシも一緒に練習するって言ってんのよ」

「断る。さっきから何なんだよ」


 今朝に、休憩時間に、と既に数回は聞かされていることだった。


「なんでよ。見られて困るものでもないでしょう?」


 なぜかは知らないが、今日の沙弥香は妙にしつこい。

 唐突すぎて頭が追いつかない日向だったが、経緯がどうあれ、容認できるはずもない。


 日向は手を止めた。


「集中できないからダメだ」


 嘘である。困るどころではなく、社会生命が終わってしまう。

 撮り師として盗撮の計画と練習をしていることなど、絶対に見られるわけにはいかない。無論、知られてもアウトだ。


「アンタ、そんなにの心臓だっけ?」

「挑発しても無駄だぞ」

「パルクールは環境に適応するものでしょ? アタシという障害にも適応してみなさいよ」


 ――一理いちりある。


 日向はそう思ってしまった。


「アンタ、今迷ったわよね? 迷ってるってことは、もう答えは出てる」

「うるさい」


 日向がぶっきらぼうに拒絶する一方で、祐理は沙弥香の台詞を真似していた。直後、沙弥香の制裁を食らった祐理から、聞き慣れた笑い声が響く。


「そもそもなんで俺にこだわる?」


 沙弥香はくすぐり攻撃から祐理を解放し、


「お兄ちゃんをぎゃふんと言わせるために決まってるじゃない。アンタと仲良くなれば、お兄ちゃんは悔しがるはず」

「回りくどいな」

「どういうわけか知らないけど、お兄ちゃんはアンタを買ってるからね。アンタと付き合える余地があるってわかったら、たぶん春日家の仕事もやめるわ」

「別に買われてないし、買いかぶりすぎだと思うが」


 さすが新太の妹なだけあって、新太の特徴をよく掴んでいるが、正直に認めるわけにはいかない。

 今も琢磨が祐理を度外視して、顔ごとこちらを向いて傾聴している。

 既に琢磨を超える運動能力だと知られた日向だが、これ以上目立つのは避けたかった。


「じゃあなんでお兄ちゃんはアンタを気にしてるのよ?」

「知らねえよ。そもそも新太さんとはイベントで出会ってからの関係だ。ぶっちゃけ友達だな。祐理もそうだろ。な?」


 施設に指導に来たという文脈は隠しておく。

 この事実を知るのは沙弥香と志乃だけで、琢磨もまだ知らない。別に知られたところでどうというわけでもないが、あえて晒す必要もない。


「そうかなぁ。新太さん、わたしにはびっくりするほど興味無いけど」

「おい祐理」


 自分と新太との関係を隠したいとする日向の意図アイコンタクトがまるで通じていない。あるいは、あえて気付かないふりをしているのか。


「でしょ? そうでしょ? お兄ちゃんはその辺の男とは違うのよ」

「なんでオレを見るの?」

「お兄ちゃんはね、正真正銘のパルクールバカなの。パルクール界のアインシュタインよ」


 琢磨を無視し、熱量をぶつけてくる沙弥香。

 これだけでも兄想いブラコンなのが見て取れる。もう少し声量を抑えてほしいところだが、もはや隠す気も無いのだろう。


「そのお兄ちゃんがアンタのことは気にしてるのよ? わかる? 昨日も体育祭を見に行こうとかほざいてたわ」

「……」


 一瞬、体育祭で新太と対峙する未来を見た。


 日向は今回、玉砕する覚悟――大事になることも厭わずに望むつもりだ。盗撮の決定的証拠さえ掴まれなければ、せいぜい停学で済むのだから。


 しかし当日、新太が来るとなれば、そうもいかない。

 盗撮も、逃走も、何倍もやりづらくなる。


「可愛い弟子みたいなものなんだろ。そのパルクールバカと一番つるんでたのは、間違いなく俺だからな」

「とにかく、しばらくアンタのお世話になるから」

「……」


 強引すぎて言葉を失う日向だった。


「そうね、平日は体育祭の練習があるから、週末よね。遊びに行くわ。てか泊まりに行くから」

「沙弥香ちゃんウェルカーム」

「ウェルカムじゃねえ。俺の家だろ」


 言った瞬間、日向はしまったと認識。


「え? 俺の家?」


 琢磨が冷静に突っ込んできた。祐理が居候していることは沙弥香と志乃しか知らない。

 学校側がどう扱っているのかは知らないが、同じ屋根のもとで過ごしているなど話のネタになるのは目に見えている。


「は? アンタの家に泊まるわけないでしょ。気持ち悪い」

「なら良かった。言っておくが、気持ち悪いのはお前だからな。それくらいしかねない迫力だったぞ」

「言うわね」

「わたしもそう思う」

「祐理、ちょっと来なさい」


 最近の流行りなのだろうか、祐理は再びくすぐられて、ゲラゲラと苦しんでいた。

 校内トップクラスの美少女二人の、そんなシーンは貴重にしてご褒美。鈍い者でもわかるくらい、室内の視線が窓側最後尾に集まる。


 日向は淡々と四角い昼食を口に運びつつも、とっさに誤魔化した沙弥香の機転に感謝した。

 直後、そもそもこの会話の元凶も沙弥香だと気付き、撤回した。

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