3 次熱3

 日向は耳も良い。

 喧噪を嫌い、静寂を好み、闇夜の自然を踏破できるほどに遊び暮れ、耳を鈍らせる音楽への興味関心も皆無――

 本人に自覚は無いが、人並以上に優れた聴覚を持っていた。


 だから教室内を包み込む話題も掴んでいた。サボって逃げることもできた。


 影でネタにされていることは知っている。

 どうでも良かったし、どちらかと言えば歓迎するべきことだった。日向の演技が通用していることの証左なのだから。


 そんな小細工だが、間もなく崩れ去るだろう。

 日向はそう直感しながら、教室に近づくスピードを緩める。入室タイミングを不自然無く合わせるためだ。


「違うもん!」


 祐理の怒号。

 声量は大きいが、まるで迫力に欠けている。滑稽だと感じるのは自分だからだろうか。


 日向は少しだけ歩みを早め、何食わぬ顔で教室に入った。


「……」


 何事かと困惑する演技をしつつ、抑えていた気配――僅かな呼吸や動作音の抑止――を解除する。


「おっ、日向ちゃん」


 教卓にもたれている琢磨が気づき、わざとらしく言ってみせたことで、視線の集中砲火を浴びた。


 そのうちの一つ、祐理は視線だけでなく身体ごと近づいてきた。


 興奮している。しかし足音はさほど乱れていない。

 無意識レベルで丁寧に動けているということだ。紛れもなく日頃の鍛錬の賜物である。


 こんな時でも相手の身体能力を観察する癖が発動してしまい、日向は内心で苦笑いを浮かべた。


「ねぇ日向。見せてやってよ。日向は凄いんだよ?」

「いきなり何だ。俺に向かって俺が凄いってのも意味わからんのだが」


 しらを切りながらも、間近で見上げてくる祐理と目を合わせる。

 温和な童顔は珍しく怒気をまとわせている。


「だてにわたしが愛してないもん」


 表情を変えない祐理に腕を掴まれ、豊かな谷へと誘われた。

 皆の視線、その色が変わる。

 羨望が半分、驚愕が三割、残りが好奇。


 ――いや、コイツは例外か。


 沙弥香の制裁を食らったばかりの人物が日向のすぐ背後、出入口の戸にもたれていた。見やると、想像どおり腕を組み、厳しい目つき。

 この後訪れるであろうであろう面倒に、日向は思わず嘆息しつつも、


「祐理。離せ」

「わたし、日向にも言ってるんだよ?」

「いや意味わからん」

「いっつも平気な顔してさ。悔しくないの? 影で何言われてるか知ってるの?」

「知らないし興味もないんだが……」

「だよねー。でもわたしは違うの」


 祐理が手首を掴んできた。片手が何かをまさぐる。

 目的は袖のボタンだった。

 身体を隠すために、この時期でも欠かさず着ている長袖。祐理がこれをまくろうとしているだと日向は気付く。


「やめろ」

「パルクールだって凄いんだよ? 運動神経だって佐久間君より強いよ? スポーツテストだって――」

「祐理」


 忙しなく動く口を、頬ごとつまんだ。


「落ち着け」

「……ふぁい」


 興奮していたことを自覚したのか、日向の指に熱が伝わってきた。

 呼応するように日向も頭を回転させ、反射的に言い訳を考える。

 祐理がダメ男に惚れているという方向で印象操作しようとひらめいたが――


「お前やったんか!?」


 面倒のもと――成瀬誠司が、どんどんと踏みながら距離を詰めてきた。

 筋肉質の腕が伸びてくる。一瞬、避けようとした日向だったが、激昂させるだけだと考え、すぐに取りやめた。


 祐理から手を放した直後、胸倉を掴まれ、引っ張り上げられる。


「渡会君! お前がエックスやったんやな!?」

「エックス?」


 日向が鬱陶しそうな顔をつくり、よく焼けた手首をばしばしと叩いてみせると、誠司は「ああ、すまん」手を離した。


「今年のスポーツテストの一位が誰かっちゅー話や。ワイが三位で、タクマンが二位。一位がわからんかった。ずっと探しとったんや。まさかの渡会君っつーのは意外やったけどな」


 もう一度誠司が手を伸ばしてきた。

 腕を掴むらしいとわかったが、今さら避けても仕方がない。日向は受け入れ、あまつさえ握りやすいよう少し脇を広げた。


 誠司に上腕を揉まれる。握力が容赦無い。


「すごいでしょ?」

「せやな。ワイでもわかるわ。質が違う」

「日向ちゃん、オレもー」


 すかさずやってきたのは琢磨だ。反対の上腕を掴まれる。こっちはおちょくっているのか、いやらしい手つきでくすぐったい。


「両手に花だね」

「花じゃねえだろ」

「日向にとっては花でしょ?」

「えっ、日向ちゃんってやっぱりそっち系……」

「違う」


 日向はぶっきらぼうに腕を振り、琢磨の拘束を解いた。

 他方の腕も振って、誠司の方も弾く。


「渡会君、どういうつもりなんや。あれか、実は俺強いんだぜ、いうやつか?」

「俺TUEEEEね。オレも気になるから知りたいな」


 前半は誠司、後半は日向に向けた言葉だ。


 こんな衆人環視のもとで自分を語る欲求など日向にはない。

 何とか逃れようと頭を働かせようとするも、


「そうね。アタシも知りたいわ」

「わたしもわたしも。付き合い長いけど、ちゃんと聞いたことないもん」


 沙弥香と祐理の援護射撃を食らってしまう。


「いやお前らは知ってるだろ。別に大したことはなくて、単に目立ちたくないだけだ」

「そうかなぁ。目立つとかそういうの気にするタイプじゃないじゃん」

「……」


 祐理の鋭さに、日向は舌を巻いた。


「何かあるようね。とっちめて吐かせるわよ」

「ワイも協力するで」

「オレも」

「わたしも手伝うよ」

「僕も手伝うであります」


 しれっと紛れ込んだクラスメイト高井を認識しつつも、日向は頭を抱えた。

 抱えたふりをした。



 ――そこまで考えを巡らせる学校とも思えんがな。ガシアにも気付いておらんし。


 ――俺もそうだと思いますが、まあ念のためです。


 その意識は春高祭の少し前に遡っていた。


 あの時、日向は念入りな撤収作業を行った。春高に設置したすべてのカメラを回収して佐藤に預けた。

 カメラだけじゃない。自宅の金庫に保管していた分も対象にした。

 空になった金庫にはダミーのアダルトコンテンツを置いている。とある性癖であることが一目瞭然なラインナップにしてあるが、どれも合法的に手に入るものだ。ドン引きくらいはされるだろうが、犯罪者認定されることはない。


 芽は摘んだはずだ。



 日向が胸中で安堵していると、サンダルの音が耳に届く。

 生徒には許されていない履き物。にわかに教室の空気が変わった。


「そろそろ席に着けよー」


 先生の一言により、足を動かす音と椅子を引きずる音が混ざり始めた。


 席に戻ると、ほぼ同時に着いた祐理の視線を感じる。

 振り向くと、意地の悪い笑みを浮かべながら言ってきた。


「楽しくなってきたね」

「どこがだよ」


 日向は気怠そうに答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る