3 開幕
花火のような轟音が春日野町に響き渡る。
午前九時。春日野高校文化祭――春高祭が開幕。バーゲンセールのように何十何百という人がなだれ込む。
それを遠目に見ながらやり過ごし、落ち着いたところで入場する一組の男女。
校内は雑多な装飾と服飾が入り乱れている。気合いの入った私服姿から他校の制服姿まで、中高生が多い。放課後の繁華街のような光景だ。
「沙弥香。離れなさい」
「嫌よ。迷子になるじゃない」
沙弥香は新太にぴたりと寄り添い、腕に抱きついていた。
気合いと言えば、沙弥香もそうだった。
春高の制服ではあるのだが、スカートは太ももが半分くらいは露出するほど短く、ブラウスも前ボタンが外され胸元が見えそうだ。
まるで意中の男を誘惑するかのような攻めの格好だが、新太は見て見ぬふりを決め込んだ。
「クラスメイトもいるよね。目立つよ?」
「構わないわ。お兄ちゃんとのデートの方が大事」
「デートじゃないよ。兄妹で見に来ているだけ」
「それをデートと言うのよ」
新太は嘆息してみせたが、沙弥香の拘束はちっとも緩まなかった。
どころか、どこで覚えたのか胸も押し当ててきている。
新太は女優やアイドルと一緒に仕事をする機会もあり、アプローチを受けたことも一度や二度ではない。こうやって体でアピールされることにも慣れている。
これが女性の距離の詰め方なのかと楽観視できれば良いのだが、新太はそんなに無知ではなかった。
「いいかげんお兄ちゃん離れしてほしいもんだよ。良い人とかいないのかい?」
「いないわよ。お兄ちゃん以外は」
「知ってると思うけど、兄妹間の恋愛は普通じゃない」
真面目な口調で言ってみせた新太だが、沙弥香は意に介さない。
「恋愛じゃないわ。家族愛よ」
「家族なら胸を押しつけてきたりはしないよね」
「するわよ。この前、3.8メートルの
新太は内心でもため息をついた。
新太はパルクールの第一人者『アラタ』として日々忙しく過ごしている。
実力を探求するのはもちろんのこと、パルクールという文化を正しく広める使命も自負しており普及活動にも余念がない。実際、芸能人のレベルで知名度があり、今も変装のためにメガネと帽子を着用している。
実家に帰ってきたのは全くの偶然だった。本当は今日も練習するつもりだったが、仕事が延期した旨を電話越しに沙弥香に聞かれたのが運の尽き。
絶対に一緒に行くと言って聞かない沙弥香は、両親も巻き込んで三対一の状況をつくりあげ、新太は押し負けたのだった。
「それにお父さんもお母さんも楽しんでおいでって言ってたじゃない」
「うん、そうだね……」
新太は沙弥香の内心――兄としてではなく男として自分を好いていることを理解しており、どこかではっきりと拒絶するつもりでいたが、沙弥香は家族愛だという。
両親も「仲が良いのは結構」と判断し、どころか何かとパルクールバカな息子を抑制する意味で沙弥香に協力的だ。
「ねぇ、まずはどこに行く?」
「沙弥香に任せる」
「アタシはお兄ちゃんの希望を訊いてるのよ?」
上目遣いで覗き込んでくる妹の双眸を受け流しながら、新太は考える。
今回も断ろうと思えばできたし、何なら仲違いやその先――絶縁をしてでも離れる選択肢も温めているが、まだそこまでじゃない。
それに今回は一つだけ気になるものがある。
新太が尊敬し、また敵視もしている、一人の男。
「そういえば日向君は、図書委員なんだっけ?」
「また出た。アイツなんてどうでもいいじゃない」
「お兄ちゃんの希望だよ?」
「ぐっ……」
嫌いな野菜を食わされたように顔を歪めた沙弥香の手からパンフレットを取り、素早く舐めて図書委員の出し物を探す。
一流の実践者だけあって情報処理も速く、その速読のような手つきを沙弥香はうっとりと眺めた。
「図書室でビブリオバトルか。春高は――良い高校だね」
新太は校舎の前で立ち止まり、周囲をぐるりと見回した。
高校に通っていない兄が何を思っているかはわかりようがないが、沙弥香のやることは一つだった。
「本の紹介なんて聞いてもつまらないわ」
「沙弥香。そういうことをいう妹に育てた覚えはないよ」
「違うわよ。アイツに出し抜かれるのがむかつくって言いたいの」
「仕方ないじゃないか。彼は凄いんだ」
新太は再び歩き出す。
校舎に入った。図書室に行くのだろう。こうなっては止められない。
日向への羨望と嫉妬を、腕を組むことで解消する。
「アタシも凄いわよ。リイサさんだって追い抜けるし、この前のスポテでも一位になったわ」
沙弥香の発言は誇張ではなかったが、新太にとっては取るに足らないことだ。
そもそも日向というトレーサーについて知っていたら、そんな発言などできやしない。雲泥、いや天地ほどの差がある。
無論、正直に告げるほど新太は無神経ではなかった。
「リイサちゃんに追い付いてから言いなよ。彼女、まだまだ伸びるよ?」
「アタシよりも?」
「さあ。センスは沙弥香に分があるけど、リイサちゃんは仕事を選り好みせず何でも吸収していくからなぁ」
階段を登って二階へ。図書室の入口が早速見えてきた。
「……アタシも本格的に頑張ってみようかなぁ」
「楽しいことばっかじゃないよ」
「知ってる。でもリイサさんみたいになれるんでしょ?」
「リイサちゃんが目標なの?」
そんな話は聞いたことがないと新太は首を捻ったが、
「うん。お兄ちゃんと一緒に仕事してるじゃん」
沙弥香と一緒に仕事をする光景や、兄妹トレーサーとして特集が組まれる光景などを想像して、「うわぁ……」新太は呟くのだった。
「あれ? 沙弥香?」
と、そこに爽やかな声が差し込まれる。
新井兄妹が同時に振り向いた先には、誰もが整っていると評するであろう春高生が一人。
「琢磨じゃない。どうしたのよ。誰もはべらせてないなんて珍しいわね」
「いや、どうしたはオレの台詞なんだけど……」
琢磨は戸惑いを覗かせながら沙弥香と、彼女が抱きつく先の、がたいの良い男を交互に見やる。
「えっと、彼氏さんですか?」
「そうよ」
沙弥香が新太を抱き寄せる。
そんな妹は無視して、新太は淡々と口を開いた。
「兄です」
「はじめまして。佐久間琢磨といいます。沙弥香とは友達です」
「へぇ、男嫌いの沙弥香にしては珍しいね」
差し出された琢磨の手を新太が握る。
「おお、ごついですね」
「力仕事だからね」
「差し支えなければ仕事内容を訊いても?」
唐突な踏み込みに、新太は美少年の両眼を見つめ返す。彼の、当惑の色はとうになくなっていた。
さっきのやりとりから察するに、二人が友達なのは間違いあるまい。
そして沙弥香の様子は明らかに普段と異なっている。この要領の良さそうな男が当惑するほどに。
にもかかわらず、琢磨はすぐにそれを引っ込め、注視と呼ぶがごとき注目を新太に向けている。
「話があるなら、あとで聞くよ」
琢磨は一瞬ぽかんとした後、「なるほど」手を離すと、軽く会釈をした。
「ぜひお願いします」
「……琢磨?」
「なんでもないよ。ところで図書室に用があるの? まだ入れないはずだけど」
疑念をスルーされた沙弥香だったが、開館時間の認識に違いがあるとわかり、思わず兄を見る。
「日向君に会いたいだけだったから」
「お兄ちゃんきもい」
「沙弥香。そんな言葉を言ってはいけない」
「だってそうじゃん! 日向日向って! 何? アイツと付き合ってるの?」
「ははは、それもいいかもね」
新太が高らかに笑うと、沙弥香は顔を引きつらせた。
兄のパルクールバカっぷりは嫌というほど知っている。たとえ性的指向がそうでなくとも、日向の近くで過ごすためならその程度の選択肢は選びかねない。
「絶対にダメだからねっ!?」
「お兄さん。オレはどうですか? 容姿も性格も自信ありますよ?」
「うーん。興味ないからいいや」
「興味の問題じゃないでしょ」
「沙弥香と付き合った実績もありますよ?」
「えっ!?」
兄が今日初めての驚きを言動に乗せる。
「……な、何よ。もう終わったことよ。コイツのことなんて何とも思ってないわ」
顔を背けながらとげとげしく話す沙弥香は無視して、新太は琢磨にお辞儀をして、
「よりを戻してもらえませんか」
「すみませんがお兄さん、オレじゃ彼女のお眼鏡に叶わないみたいです」
「ちょっとお兄ちゃん!? どういうつもりよそれ!」
「え、鬱陶しいブラコンの妹を引き離す光明を見つけた兄の行動だけど」
沙弥香が悔しそうに唸りながら頬を膨らませる。
普段の冷たく尖った見た目とはギャップがあり、新太と琢磨は顔を見合わせて笑うのだった。
会話が落ち着いたところで図書室へ。
関係者以外立入禁止の張り紙がしてあったが、新太は臆することなく入っていった。
しばらくして戻ってくる。
「ちょっとだけならいいだって」
今度は沙弥香と琢磨は顔を見合わせた。山下という司書の厳しさと冷たさは知っている。部外者の滞在が許されるとは到底思えなかったのだ。
再度室内へと入っていく新太の後ろで、琢磨はわざとらしく呟く。
「さすがだね」
その一言で沙弥香は気付く。琢磨は新太の正体に気付いている。
「……本当に気持ち悪いわね」
「なあに、退屈なだけさ」
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