10 前々日

 春高祭に向けて。ケッコンに向けて。日常は慌ただしく過ぎていき――

 六月十六日、金曜日の夜を迎える。


 日向は人気ひとけが皆無な春高内を歩いていた。

 いつものようにガシア経由でセキュリティの発動――最後に退勤する教職員が発動させることになっている――を確認した後、それを部分的に解除して校内に侵入。最後の下見を行っているのだった。

 廊下は黒一色に等しい。春高の辺りは春日野町でも最も標高が高く、周囲には山々の自然しかないがために、光は全く期待できないのである。せいぜい月明かりくらいだが、焼け石に水だ。

 しかし日向は日中のように歩いていた。足音も抑えられている。仮に警備員がいたとしても、視認しない限り、その存在にも気付けまい。


(いよいよ明後日か……)


 ケッコン――美穴びけつコンテストで優勝し、撮り師としての株を上げることが日向の目標だ。JKPJKぺろぺろこと日向は、自身が盗撮場所として常用している春高を舞台に選んだ。


 春高祭。

 文化祭という世界観スパイスで味付けされた女子高生。それもJKPの名のもとに、多くの利用者によって既に親しまれている女の子たち。


 日向にはこれしかなかった。自分のすべてを切り売りし、注ぎ込み、アピールしなければ、優勝は叶わない。それほどにケッコンは厳しい戦いになると予想された。

 何よりテーマは穴――女性器の盗撮なのだ。ただでさえ男撮り師は不利な上、性器の盗撮自体は既に腐るほど転がっている。ただ盗撮しただけではかすりもしない。


(準備は間に合った。イメトレでも成功してる。いけるはずだ)


 日向は最高の作品を撮るために妥協することなく手を尽くし、また大胆な判断も下してきた。


(十中八九、気付かれるけどな……)


 日向の春高での盗撮活動は一年以上になるが、気付かれたことはただの一度もない。無論、撮り師ならば踏襲するべき条件である。

 一度でもバレてしまえば警戒される。無防備な一般人と用心深い被害者とでは、盗撮の難易度は天地もの差に及ぶこともある。無知で、不用心で、無自覚な盗撮対象ターゲット。だからこそ盗撮は成り立つ。

 気付かれることは死を意味するといっても過言ではない。


 そんな常識を、日向はあえて破ろうとしている。注意深い日向でさえ気付かれるほどの


 女装による女子トイレへの侵入。

 不審がられないよう女性的な動きの模倣トレース

 気付かれることを前提として、気付かれた時の行動や逃走経路をどうするか――


 そこまでして挑む価値が、このケッコンにあるだろうか。


(――ある)


 日向は頷いてみせた。

 何度考え直しても、この結論は変わらなかった。






 下見を終えて自宅に戻ると、リビングでくつろぐ祐理に出迎えられた。


「どこ行ってたの?」

「お前も飽きないよな。ほっといてくれないか」

「やだ。好きな人のことが気になるのは当然だもん」

「へいへい」


 祐理はとうとう気持ちを隠さなくなったが、日向はまるで動じなかった。

 元々人懐っこいこともあって、今までと大差無い。逆を言えば、好意のアピールは今までも幾度となくぶつけられていたわけで、それに気付かなかったほど日向が鈍感だったとも言える。


 祐理は動画を視聴していた。女性トレーサーだ。

 日向は作り置きしていたチャーハンをレンジで温めた後、祐理の隣に座る。ぱくぱく食べながら画面を覗き見た。


「行儀悪いよ日向」

「心配するな。こぼさない」

「じゃあご飯一粒でもこぼしたらキスしてね」

「いいぞ」


 そんなことで小言がなくなるのなら安いものだった。日向はこぼさない。


「……むう」

「どうした?」

「少しくらいどきっとしてくれてもいいじゃん」


 拗ねる祐理をまじまじと見る。

 不安そうに尖らせた唇。てかっているのは油か、それともリップクリームか。いずれにせよ、艶めかしいことに変わりはない。


「しねえよ。その内側には数え切れないほどの菌が眠っている」

「言い方! わたしのはキレイだもん。日向にも勝つし!」


 祐理が「いーっ」と歯列を披露する。人工物と疑うほどの白さが整然と並ぶ。それを支える歯茎も健康的な血色をしている。

 日向はもぐもぐと口を動かしながらも、一応、歯垢を探してみたが、既に歯磨きを終えたようだ。

 もっとも食後の歯磨きは日向の習慣であり、それを祐理が真似をして、今まで続けていることは知っているので、わかりきっていたことではあるのだが。

 咀嚼したチャーハンをごくりと飲み込んで、


「論点が違うな。菌に清潔という概念は無いんだよ」


 あるのは性質のみであり、それが人にとって有害かどうかが焦点なのだ、と日向が続ける前に、祐理は「ふーんだ」とそっぽを向く。動画の視聴を再開した。立てかけていたスマホは日向側から逸らされた。

 食事に集中できそうな流れだったが、日向は念のために動くことにする。


「シャーリーか」

「知ってるの?」

「トレーサーなら誰でも知ってるだろ」

「日向、仙人なのに?」

「仙人にも知れ渡るくらいの人物ってことだろ。別に興味はないが」


 シャーリー・ブラウニー。世界で最も有名な女性トレーサーの一人。

 抜群のルックスと持ち前の器用さを発揮し、競技選手やパフォーマンスはもちろん、グラビアや映画出演もこなすマルチタレント。去年はハリウッド映画に出演し、パルクールの名を日本中に響かせた。


「実力も大したことないしな」

「そうかなあ。少なくともわたしよりは凄い」

「人生経験の差だ。あと数年もすれば、俺の定義なら祐理が勝つよ」

「……ありがと」


 祐理はスマホに目を落としたままだったが、横顔でもほころんだのがわかった。


「何なら聞くか? 俺が考える定義の話。実力とは、すなわち――」

「そういうのいいから」


 微笑の横顔が真顔に戻る過程をリアルタイムに見た日向だった。

 おくびにも出していないが、内心には焦りがあった。


(まさか被るとはな……模倣トレースしやすいから選んだんだが、有名どころは外すべきだったか)


 日向は疑問の解消に動く。食事に戻らず、会話を続けた。


「……なんでシャーリーなんか見てるんだ? 他にもトレーサーはいるだろうに」

「別に? なんで?」


 祐理が顔ごと視線を向けてきた。


「もしかしてシャーリーはトレーサーじゃないとか、ネット掲示板のくだらない書き込みみたいなことを言うつもりですかい日向さん?」

「そこまで言うつもりはないですよ祐理さん」


 不審を抱かせてしまったようだ。祐理のノリに合わせつつも、日向は露骨すぎた己の行動を悔いた。

 どう対応するか迷いつつも、とりあえずは頭をさして使わずとも語れる持論を投げる。


「ただ、好きなタイプではないな」


 トレーサーには二種類――鍛錬の過程を表現するタイプとしないタイプがいる。


 もっと端的に言えば、努力を見せるタイプと見せないタイプ。

 日向は前者で、己の努力過程こそがトレーサーの自己表現なのだと捉えている。しかしこれは少数派で、無闇に努力を見せず、さらりと結果だけを示すことを好む方が多数派である。


「才能の塊みたいな人間が、たまたまパルクール界隈にやってきて、ちやほやされているようにしか見えない」

「実力も伴ってると思うけどねー」

「伴ってるのがむかつく」

「子供だねぇ」


 祐理の、温かいものを見るような眼差しがくすぐったい。気付かないふりをする。


「ああ。パルクールは泥臭く暑苦しくってほしいからな」

「どっかの老害トレーサーみたいなこと言うんだね」

「さっきから思ってたけど、お前、結構ネット見てんのな」


 インターネットには知った気に持論を振りかざすトレーサーがちらほら存在する。中にはブログをつくってまで長々と書く者までいる。

 トレーサーには実力至上主義なところがあるため、彼らは相手にされてはいないが、祐理は目を通してはいるらしい。


「簡単に流してるだけだよ-。わたしはむしろ日向がシャーリー知ってたのが意外だった。さっき見てた動画も別に名前とか出てなかったし、シャーリーにしてはガチな格好で、普段のシャーリーらしさは無かったから。一月も前の動画だしね」

「……」


 口をつぐんだ日向を、祐理は目を細めて睨む。やがてニタリと笑うと、


「さてはこっそりシャーリーの動画を視てたんでしょ! 可愛いもんね」

「……ああ、そうだ。可愛いし、特にお尻が素敵だからな」

「さいてー」

「何とでも言え」

「なんか怪しいとわたしの直感が告げている」


 当日見られても自分だと気付かれないためのカモフラージュとして、真似しやすい女性トレーサーシャーリーに目を付け、その動きを練習してきた――などとは言えるはずもない。


「面倒だから先に白状しておくと、最近お前らのせいで女性トレーサーにハマってる。パルクールする女子はエロい」

「沙弥香ちゃんに言ってもいい?」

「やめてくださいお願いします」

「なら本当の事を言いたまえ」


 祐理がずずいと顔を近付けてくる。お風呂上がりの、良い匂いがした。


「今日のチャーハン、美味しかったろ? ――うん、美味い」


 そんな祐理を無視して食事を再開する日向には、どぎまぎのどの字も無い。


「うー……」


 祐理は至近距離で睨んでいたが、日向は全く動じずにチャーハンを消化し続ける。

 一分もしないうちに祐理は折れ、動画視聴に戻った。






 夕食を終え、入浴も済ませてからリビングに戻ると、祐理がテーブルで勉強に勤しんでいた。

 集中はできていなかったようで、すぐに顔を上げる。


「勉強しなくていいの?」

「ああ。毎日コツコツやるタイプだからな」


 赤点を取らない程度に毎日少しずつ勉強するのが日向のスタイルだったが、最近はそれさえもできていない。勉強する暇などなかった。

 撮り師という事情はさておき、そんな日向の忙しさは祐理もわかっている。勉強しなければ確実に赤点になるという要領の悪さも。


「やろうよー。というかやりたい。寂しいもん」

「勉強は孤独なものだろ」

「赤点になるよ?」

「俺はぎりぎり免れる」


 日向は床に座ってストレッチを始める。自分の部屋にこもっても良かったが、祐理の様子を探るための、あえての行動だった。


「そういえば日向が勉強してるとこ、最近全然見てない気がする」

「授業中にテスト勉強してるからなぁ」


 嘘だった。テスト勉強は全くと言っていいほどしていなかった。

 しかし、赤点を認めて補習に時間を費やすほど時間に無頓着でもない。

 そんな日向が密かに行っているのが、問題と解答の盗み見だった。


 盗撮のために佐藤にクラッキングしてもらったのは、なにもガシア――学校侵入アプリ用の仕込みだけではない。教職員が利用するファイルサーバーにもアクセスできるようになっている。

 といっても直接春高側にアクセスするのではなく、同期コピーミラーリングによって複製された方にアクセスする。さすがに直接は危険すぎる。複製であれば、無知な日向が何をどうしようと、春高側に波及することはない。

 無論、教員がテストの問題や解答をファイルサーバーに置かなければ盗み見は叶わないが、幸いにも春高はITを積極的に活用する体制となっている。教職員は例外無くデータをファイルサーバーに置く。


「あやしい」

「なんでだよ」

「最近の日向、本当に怪しいよね」


 祐理がテーブルから離れて、こちらにやってくる。目の前で腰を下ろしてきた。


「学校でも席にいないし、今日も遅かったし、図書室に行ってみたら大体帰ってるし」


 日向はクラスの出し物準備を免除され、図書委員の出し物を担当しているが、先日志乃と交換条件を交わし、この作業もほぼ免除してもらっている。

 もちろん、日向を尋ねてくる祐理をはじめ、対策は打ってあった。


「ちゃんと仕事はしてる。問題はない」

「みたいだね。志乃ちゃんも凄いって言ってたよ……ってそうじゃないよ! そこは疑ってないしどうでもいいの! なんでそこまでして早く帰ってるのかが気になるんだよう!」


 声の抑揚に合わせて自分の膝をぽかぽかと叩く祐理。

 年甲斐のない落ち着きの無さは微笑ましくもあったが、それはすぐに止み、


「――ねぇ日向。本当に何してるの?」

「このやりとり何回目だ。パルクールだっつってるだろ……」

「明日も?」

「ああ」

「残念でした。先約がいます。わたしです」


 祐理が文化祭を一緒に見て回ろうとすることは想像に難くなかった。

 本番は明後日の日曜日、一般公開デーであり、日向も祐理もこの日に出し物スタッフとして働く――もっとも日向はサボって撮り師として働く――ことになっている。逆を言えば明日、教職員限定の一日目は丸々手持ち無沙汰だ。

 本当は日向が空いていることが祐理に伝わらなければ理想だったのだが、志乃からの報告で伝えざるを得なかったと聞いている。


 祐理のフラストレーションが溜まっていることは嫌でもわかる。

 日向離れしてもらうために冷たくあしらうこともできたが、今の祐理に対しては火に油だろう。祐理の行動力はよくわかっている。本気になられて、下手に嗅ぎ回られても面倒だ。


(やはり一度発散させておくべきだな。前日を費やしてでも)


「……わかったよ。一緒に回ろう」

「いえい」


 破顔する祐理。

 そんな幼なじみ兼居候を見ていると、これで良かったのだと思えてしまう。気が緩み、和んでしまう。


(甘いな、俺も)


 そんな自分に嫌気が差した。

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