5 見送りの意図

「ふうん。意外と本格的なんだな」


 日向は自宅で祐理と一緒に晩飯を食べていた。


 話題はもっぱら春高祭の準備について。

 日向と祐理は同じ二年A組だが、日向はクラスの出し物は手伝わない。図書委員として、図書委員の出し物に関わることになっている。

 日向はA組の出し物について聞いていた。


 オーリーを探せ。

 オーリーと呼ばれるキャラクターを探して遊ぶ絵本が元ネタで、オーリーにふんしたクラスメイトが校内中に散らばり、お客さんに探してもらうという探し物系アトラクションだ。

 A組教室は受付となり、来訪者に対して探すべきオーリーの情報を提供する。来訪者は提供された情報を元に、校内を駆け巡ってオーリーを探索。無事見つけることができたらオーリーからスタンプを押してもらう。受付には景品交換コーナーがあり、スタンプの数や組み合わせに応じて景品をプレゼントするらしい。


「それで、景品はどうするんだ?」

「各自持ち寄るって話してた。豪華な景品を持ってきた人は仕事が楽になるって」

「へぇ。琢磨の奴、上手いことやるな」


 爽やかな長身のイケメンが目に浮かぶ。

 佐久間琢磨。成績も運動神経もトップクラスな要領モンスター。持ち前の賢さで、四十に迫るクラスメイトのホームルームをまとめ上げたのだろう。


「わたしも景品になったよ」

「なんだ、誰かの頬にキスでもするのか?」

「違うよ! そんなの受けるわけないじゃん!」

「ビッチなのに?」

「怒るよ?」


 目が笑っていない。散々見飽きた顔のはずだが、普段は笑顔を絶やさないからか少し新鮮に映った。


「冗談だ。――で、景品って何するんだ?」

「写真撮るの。美女とのツーショット写真」

「要らねえ」

「美女なのに?」

「美女かどうかは関係無いな」

「じゃあ日向は誰となら撮るの?」

「別に誰とも撮らないが」

「そうだ。こっち来て一緒に撮ってないよね。撮ろうよ!」


 祐理がスマホを手に取る。


「いや、勝手に盗撮してるだろ……」


 主に休日に一緒にパルクールで遊ぶ時、あるいは先日のパルクール練習会でも、祐理はこっそり日向を撮影していた。隠す気もないらしく、日向も普通に気付いている。

 その祐理はというと、日向の隣に寄り添い、「一緒にって言ってるでしょ」上体を避けようとする日向の肩をがっしり掴んで引き寄せた。女子とは思えない力強さだ。

 日向はツーショットを複数枚ほど撮られたのだった。


 おとなしくスマホをいじっている祐理を放置して、食事の消化に勤しむ。


「そういえば日向の方はどうなの?」

「どうって、図書委員か?」


 祐理が頷いた。


「ビブリオバトルを行うことになった」

「ビ、ビブル、バトル?」

「ビブリオバトルだ」

「だって日向、滑舌悪いんだもん」


 祐理の指摘は無視して、日向は端的に説明した。


 ビブリオバトルとは言うなれば読書感想のプレゼン――プレゼンテーション大会である。

 各自持ち寄った本を一人五分で紹介。その後、数分で質疑応答を行い、次の人がまた五分で紹介――と短時間でプレゼンのサイクルを回す。そして最後には「どの本が読みたいか」の投票を行い、最も票数を稼いだ者が勝者となる。


「日向は参加するの?」

「しない。運営だからな」


 淡白に応えつつも、日向の内心はまるで違っていた。


(ケッコンだからな……)


 少なくとも春高祭の二日目、一般来訪者が来るメインデーは丸々サボるつもりでいる。

 着々と準備を進めている女装にて、普段の日向とは性別も言動も異なる別人を演じるのだ。女性であれば、男性には取れないアプローチも可能である。たとえば平然と女子トイレに侵入することだって容易い。


 テーマがトイレ盗撮である以上、男性の日向はただでさえ不利なのだ。賞金と知名度のためにケッコンでの優勝を狙う日向としては、手段を選ぶつもりなどなかった。

 もっともただ盗撮するだけなら機器設置型盗撮トラッピングで十分だが、その程度のクオリティでは優勝に至れるはずもない。

 優勝を目指すなら、必然的に高画質やスリルといった要素が不可欠となる。そしてそれは盗撮対象への接近も辞さない現場型盗撮ソルジャーの必要性を意味している。


 日向はそこまで仮説した上で、女装作戦を採用していた。


「空いてるのはいつ?」

「まだわからん。なんだ、俺と回る気か?」

「うん。拒否権は無いからね?」

「なんでだよ。沙弥香とでも回れよ」

「お兄ちゃんが来るんだってさ」

「新太さんか。珍しいな」


 沙弥香の兄、新太は『アラタ』として世界的に知られるトレーサーパルクールプレーヤーである。

 パルクールに対する情熱とストイックさは、日向から見ても相当なものであり、こんな一介の文化祭に参加することなど考えられない。ブラコンの域で慕ってくる沙弥香のため、というわけでもないはず。

 となれば、理由は一つしかない。


(俺を見に来る気か……)


 日向は新太から何かと目の敵――というほどではないが注目されていた。先日の練習会では真剣勝負を行い、本音も語り合ったほどだ。

 あれ以来、心境が変化したのか、新太から連絡が来ることは無かったのだが、興味自体は途絶えていないようだ。


「いいなー、デートできて」


 ちらちらとわざとらしく視線を寄越してくる祐理。


「仮に空いたとしてもお前と回る気はないぞ」

「なんでだよう。照れるから?」

「そうそう、照れるから。心臓バクバクで文化祭どころじゃないからな。というわけで諦めて他の誰かを誘え」

「ぶー」


 性懲りもなくからかってくるかと思えば、すぐにいじける。「喜怒哀楽の激しい奴だ」日向は口にしてみたが、祐理には何の効き目もない。


「わかった、志乃ちゃんといちゃこらするんだ」

「傍から見たらそうかもな。二人だけだし」

「ふっ、二人だけ!?」

「いや違った。山下先生入れたら三人だ」

「ハーレムじゃん」

「どこがだよ」

「わたしもやりたい」


 誤解を招きそうな台詞だが、これは手伝いたいという意味である。志乃や山下が聞けば泣いて喜ぶだろう。

 図書委員としての出し物――ビブリオバトルの運営スタッフはたったの三人であり、当日の進行を回すにはどう考えても足りなかった。もっとも当日楽しむことを諦めればこの限りではないが、二人ともそのつもりはない。当然ながら日向も。

 山下曰く、スタッフを補充するらしいが、思い当たりが無いのか、浮かない顔つきだったのは記憶に新しい。


「山下先生に頼んでみたらどうだ?」

「えー……あの先生、苦手」

「怒られたもんな」


 日向が笑ってみせると、祐理は頬を膨らませて肩を叩いてきた。


「日向から頼んでよ」

「断る」

「なんでよ-。わたしと働きたくないの?」

「うん」

「豪華景品に選ばれるほどの逸材なのに?」

「要らないと言った」

「わたしのことが好きなのに?」

「家族として、な」

「女としては?」

「容姿は嫌いじゃない」


 胸元を見ながら言うと、「へんたい」祐理がジト目を向けてきた。


「行動で言えばお前の方が変態だからな。今まで何回誘惑した?」

「だってなびいてくれないんだもん。どうせ志乃ちゃんみたいな子がタイプなんでしょ?」


 好きな女性のタイプか。何だろうな、と日向は考えた。


 すぐに浮かんだのは『利用価値の高い女』だった。

 家政婦や献身的な妻。自分を支えてくれて、かつ邪魔をしないシステム――

 一般人には縁の無い存在だが、裕福な者ならば実現例も少なくない。現に『裕福な変態』を利用者層として定める『カミノメ』でもその手の話題が出たことがあるし、家政婦盗撮シリーズという作品もあるほどだ。


「タイプと聞かれても、何も思い浮かばないな」


 次に浮かんだのは『盗撮対象ターゲットとして映える女性』だった。

 志乃にも祐理にも多数派の需要を満たせるポテンシャルがあると日向は確信しているが、当然ながら口にするわけにはいかない。


「つまんないおとこだね」

「つまらなくて結構」


 とりとめのない話をしつつ、投げられてくる好意を弾きながら時を過ごした。


 食事も後片付けも完全に終了させてから、


「んじゃトレーニング行ってくるか」

「行ってらっしゃーい」

「……珍しいな。噛みつかないのか」

「どうせ聞いてくれないじゃん」

「まあな」


 祐理の表情や仕草に白々しさは見られなかった。

 ようやく諦めてくれたか、と日向は内心ほっとする。無論、完全に信用するほど脳天気ではない。


 日向は玄関を出て、祐理に見送られるのを背に出発した。

 春日野町をしばし疾走していたが、祐理が見送ってきたことに怪しさをおぼえ、死角で待ち伏せしてみた。


 案の定、祐理が通りがかった。

 これから向かう場所を考えれば、万が一にも目撃されるわけにはいかない。


(悪いな祐理)


 その気の無い謝罪を胸中で呟いてから、日向は駆けた。






「やっぱりいない」


 祐理が日向を見送った理由は、日向の行き先について見当をつけるためだった。


 行き先はまず自宅を出てどちらに進むかで絞られるが、今日は麓に下りない方――春日野町の奥へと通じる側のルートだった。

 こちらのルートには住宅と公園しかない。誰かと会っているわけでもなければ、公園でトレーニングしているはずだ。


 しかし、どの公園を辿っても日向は見つからなかった。


「……案外合っているのかも」


 この限られたエリアのどこかに、日向の知り合いがいたとしたら。

 今もそこにお邪魔しているのだとしたら。

 そう考えると、日向の不可解な行動にも筋が通り始める。


 日向は誰かと会っているのではないか。祐理はそう推測していた。

 祐理の知る日向は人目を気にする類の人間ではない。どこであろうと、誰がいようと、マイペースに、ストイックに己を貫く。

 施設時代――村上学校で過ごしていた時もそうだった。学校にも負けない喧噪のもとでも、常に浮いていた。祐理の目には輝いているようにさえ見えた。世界に日向一人しかいないような、そんな世界観さえ浮かび上がっていた。それほどの男子だったのだ。


 そんな幼なじみが、今は頑なに人目を避けている。


「パルクール関係かなぁ」


 うーんと唸りながら祐理は走る。

 足音は抑えられている。日向の影響で自然と身に付いたものだ。その分、負担は大きいはずだが、呼吸の乱れはごくわずかだ。


「日向が絡むとしたら実力のある上手い人だろうけど、日向と私以外でトレーサーなんて見たことないなー……」


 結局、大した結論は出ないまま、祐理は自宅に戻った。

 手早くシャワーを浴びて着替えてから、日向の部屋に居座るのだった。

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