9 X《エックス》
四月二十四日、月曜日。
朝のホームルームにてスポーツテストの結果が返却されていた。
「佐久間」
昨年のゴールドバッジ――校内首位保持者である
封筒を受け取る。
開封して目を落とした。
「――二位だね」
その一言が総合順位を指していることは明確だった。
このスポーツテストには各種目ごとに校内順位と偏差値が集計される。そして全種目の偏差値を合計した値が総合得点となり、総合順位の計算に使われる。
「おかしいなー。俺の感触では僅差で誠司に勝ったと思ったんだけど」
「なははっ! ワイの勝ちやな!」
誠司は去年の総合二位である。三位以下とはそこそこの差を付けており、ライバルが二位である以上、一位は自分だと疑わなかった。
間もなく誠司の番が来て、封筒を受け取る。
勝利を確信した笑顔は、中の用紙を見た途端に見開かれた。
「な……なん、……ハァ?」
目を落としたまま立ち止まる。
「成瀬。邪魔だから席に戻れ」
「ウソやろ。どういうことや……」
担任の声も届かず、プルプルと全身を奮わせていたが、琢磨にぐいっと袖を引かれて我に返った。
席につき、顔を見合わせる。
「誠司は三位?」
「そや。ワイが三位。で、タクマンは二位やろ? ――おかしいやんけ」
誠司は琢磨の用紙をぶん取り、食い入るように読む。しかし総合順位二位の文字は変わらない。
「わかった。間違いや。スタッフがミスしたんやろ。なっ、せんせーもそう思わへんか?」
「思わへんよ。いいから落ち着け」
普段なら笑いが起きるところだが、誠司が発する怒気が凄まじく誰も笑わなかった。一人を除いて。
「みっともないわね誠司」
「……さやちん。さやちんもおかしいと思うやろ?」
誠司が目を向けた先、廊下側最前列には
体ごと教卓側に向いており、足を組んでいる。スカートが短く、またスタイルの良さもあって眩しく艶めかしい。男子達だけでなく担任もちらりと見るほどだったが、琢磨と誠司は気にも留めない。
「別に。そもそもアンタら、そこまで大したことないじゃない」
「えらそうやないか、さやちん」
「スポーツセンターで受けたんだっけ?」
「そう。用紙はまだ届いてないけど、結果なら見たわ。一位よ」
用紙もないのに「おお」「さすがだ」教室内から感嘆の声が漏れる。琢磨や誠司と同じく、沙弥香もまた運動神経トップクラスの人種として知られていた。
「今年は取れたんだね。おめでとう沙弥香」
「ありがと」
「おめでとーじゃないやろ? それどころやないで?」
「誠司。そろそろ落ち着けって。無様なだけだぞ」
琢磨が軽く睨む。普段は軽薄で涼しい顔をしているだけに、少しの表情変化も際立つ。
誠司は落ち着きを取り戻し、教室を見渡すこともなく空気が緊張していることを感じ取る。
「はー、今年こそタダで学食食いたかったんやけどなー」
気さくな声音で場を
「おっ、さやちんも参加するか? 珍しいやん」
「別に。ちょっと気になるだけよ」
一時間目の授業終了後。教卓前には琢磨、誠司、そして沙弥香の三人が陣取っていた。三人とも自席が最前列にある関係で、しばしばこの配置になる。
「ほんなら始めよか。一位は誰や会議、開催や」
「ネーミングセンスないわね」
「シンプルイズベストが一番やろ」
誠司は自分の用紙と琢磨の分を机に並べる。
「本来はワイと琢磨の一騎打ちになるはずやったんや」
「そうだろうね。俺もそこに異論はないよ」
さも当然のように話す二人だが、その実力は去年から散々見せつけている。誰もその点は疑わない。
「去年のテストでもワイらがダントツって感じやったやろ?」
誠司の問いに答える代わりに、佐久間は机上の用紙を指でコツコツと叩いた。
総合順位こそ二位、三位を占めているが、各種目で見るとそうでもない。たとえば50メートル走は陸上部に、ハンドボール投げは野球部に軍配が上がる。
それでも二人ともオール一桁順位を取っており、総合順位は言うなればオールラウンダーゆえの結果だった。
「ほやけど全種目バランス良く取ってるの、ワイらくらいやろ? ワイらを差し置いて一位を取れるような奴、おったか?」
琢磨は「んー」と
「記憶の限りではいないと思うけどなー。宮本は反復横跳びだけで身体が硬いし、剣道部の剣崎は握力バカで持久力が論外だろ、野球部の大倉も持久力ダメダメだよな、身体がめちゃ柔らかい根本はそもそも運動音痴だし――」
指を折りながら各種目一位候補の名前を挙げていく。
「相変わらず詳しいわね。気持ち悪い」
「なんでだよー。一回見たらすぐ覚えるでしょ」
「覚えないわよ、気持ち悪い」
「ワイもさやちんに一票やな」
「君たち、そんなことを言ってもいいのかな。もうテスト勉強教えないよ?」
「すいませんでした」
二人の声が被るのを聞いて、柔らかな微笑を浮かべる琢磨だったが、すぐに真剣な面持ちをつくる。
「やっぱり思い当たる人物はいないっぽい」
その後も同級生の名前を挙げては検討する男子二人であったが、ふと沙弥香が思い付いたことを口にした。
「ねぇ。これって意味なくない?」
「ハァ? なんでや?」
「琢磨もそう思うわよね?」
「いや、思わないね」
「そういうボケはいいから」
「ボケじゃなくてホントホント」
「これよこれ」
琢磨の言葉を無視して、その襟に付いているゴールドバッジをつつく。
「あー、そやな! さやちん天才やっ!」
スポーツテストの成績首位者にはゴールドバッジが付与され、食堂から自販機まであらゆる費用が免除される特典を享受できる。
授与者の名前と顔は全教職員に共有されるため、携帯や装着の義務はないのだが、ゴールドバッジは言わば勲章でもある。己の承認や顕示のために常に装着する生徒は多いし、首位を取るほどの人間であれば間違いなくそういう欲も強い。
「甘いな沙弥香。
琢磨は名残惜しそうに襟に付いたバッジを撫でる。今日中に返還しなければならないことになっていた。
「エックス? なんやそれ?」
「俺らを出し抜いた奴だよ。他に呼び方が無いからXと呼ぶことにするってだけ。Xって知ってるかな? 数学で習ったよね」
「エックス、ワイ、ゼットのエックスやろ? 洒落た言葉を使うんやな」
「バカは置いといて。どういうことよ?」
バカ呼ばわりされた誠司をあしらいつつ、沙弥香が問う。
「俺らは全種目でA判定を超えている。言葉にするなら、そうだな――どの種目についても、その種目を専門とする運動部員レベルの力を発揮している感じかな。もちろん幽霊部員じゃなくてガチ勢の方ね」
「そんなアンタら二人を差し置いて一位になるのは相当難しいわけね」
「うん。そんな奴がいたら間違いなく去年の時点で目立ってるはずだからね。かといって去年目立ってない奴がたった一年で俺らのレベルに到達できるとも思えないし」
「大した自信ね」
沙弥香の皮肉には応えず、琢磨は手を顎に当てて考え込んでいた。
「でもよータクマン。ガチ中のガチの誰かがパワーアップして追い抜いたってのはあるんやかないか?」
「んー、ないかなー。各種目で一、二位取るようなとんがり君は全員知ってるつもりだから。その中に俺らを超せるほどのオールラウンダーはいない」
「他種目がダメダメでも、一種目だけめちゃめちゃとんがってたら超える、とかはあるんやないか?」
「偏差値というシステムと二位以下の分布から考えれば、それもないな――って、時間がやばいね」
壁時計を見ると、休憩時間の大部分が過ぎていた。
「はー……一位誰や、ホンマに。気になって授業どころやないわ」
「アンタは元から真面目に受けてないでしょ」
「せやな。なはは」
「なははじゃないぞ成瀬」
「げっ、せんせー。こんちゃっす」
そのやり取りに教室内が
間もなくチャイムが鳴り、授業が始まる。
そんな様子を観察していたXこと日向は、観察は終了と言わんばかりに教科書を開いた。
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