第18話 失われた神の聖女

 暗闇の中を2人で歩く。

 鬱蒼と茂った森の中ということもあり、月の明かりも殆ど届かない暗闇の中を平然と歩くことが出来るのは、レオンが暗殺者の持つ技術の一つである夜目を使用しているからにほかならない。

 アイリスに関してはそもそも夜を苦にしていないことから、2人にとって暗闇は特に足の動きを止める理由にはなり得なかった。


 現在2人はアイリスを先頭にして夜の森の中を進んでいるが、特に会話があるわけではなかった。

 それは、周囲を警戒するために集中したいから……というよりは、お互いがお互いに話しかけるタイミングを逸してしまったからにほかならなかった。


 しかし、そんな状況もあたりの景観が変われば別となる。

 荒れ放題で立ち並んでいた木立が所々伐採され、手の入っていなかった荒野が多少整えられた場所まで差し掛かると、流石にレオンも聞かずにはおれなかったのだ。


「なあ。これってひょっとしなくても開拓村に戻ってるよな?」


 周りを見渡しながらレオンは問いかけ、その言葉をずっと待っていたかのようにアリスは足を止めた。

 

「そうだの」

「なんでだ? 一応、これって問題解決のための調査……の、続行中……で、いいんだよな?」


 話しながら自信がなくなったのか尻つぼみになるレオンの言葉にアイリスは振り向くと、


「それで間違いない。我としては過ぎた事は切り替えて、本来の目的に戻ったつもりだがの」

「それで、どうして開拓村に戻る事になるんだ?」


 確かに、レオンはアイリスの手を引いて元来た道を引き返した。

 しかし、それはあくまで開拓村の範囲内に戻ろうと促しただけに過ぎず、開拓村に帰ろうとしたわけではなかったのだ。

 もっとも、それは途中でレオンの手を離して勝手に先頭に立って歩き出したアイリスもわかっていると思っていた。


「……お前の言葉を聞いて、我も少し考えたのだ。この旅が始まった当初から考えていた事ではあったのだが、どうも1人の考えで思考を深めると、どうしても己に都合の良い考えばかりに偏るようだ」


 そう口にしてアイリスは腕を組む。


「レオン。今回の事件の発端は何だ?」

「え? そりゃ、ハゲル達が倒れてた事でゴーストがデミル村に近づいているのがわかった事だろ? その時にスペクターがいる事もわかって、事態が大きくなった」


 アイリスに問われたレオンが答えるも、その答えにアイリスはゆっくり首を横に振る。


「違う。それはデミル村での事件の発端であろ。そもそもこの度の事件の始まりは、なんちゃら子爵の軍が対アンデッドの編隊を組んで出撃した所から始まっていた筈だ」

「……ああ。そう言えばそうだった。それが発端になって、俺にも血仙花の採取依頼が来たんだっけ」


 つい最近の出来事であったはずなのに、随分昔の事のような気がしてレオンは空に視線を向けながら思い出す。


「始め我はその子爵の土地の何処かでマーロゥが眷属を生み出したと考えていた。そして、そのうち漏らしがデミル村に現れた……とな。だが、そう考えると少々おかしな事になると気がついたのよ」

「おかしな事?」


 レオンの言葉にアイリスがが頷く。


「ああ。ただ……そうさの。この話をする前に前提条件を話しておくかの。まず、前提条件として把握しておいて欲しいのは、神とて生まれた時は実体を持っているという事だ。人よりも遥かに高位の存在で永い時を生きるが、生物としての理から大きく外れてはおらぬ」


 「この我のようにな」と、両手を広げてアイリスは続ける。


「しかし、神族とその他の生物が違うのはその肉体が滅んでからだ。例えば人間であれば肉体が滅びれば肉の体は土に還り、魂は輪廻の輪に飲み込まれる。しかし、神族だけは肉体が滅んだ後はその体の一部が神体となり、魂は精神体として世界を巡る。これは、肉体と精神体の寿命が異なる為に起こる現象で、厳密に言えばこの状態の神族は死んではいない。意思の疎通も神体を通せば誰でも行えるし、力の行使も容易く行われる。信仰によって力を増す事が出来るのもこの状態になってからである事から、ひょっとしたらこの状態になって初めて神族は神になる事が出来るのかもしれんの。ともかく、現在世界中で信仰されている神の殆どはこの状態にある。所謂、【新しい神々達】だ」


 アイリスはそこまで語ると一度息を付き、自らの胸に右手を当てる。


「問題は精神体の寿命を迎えた後だ。精神体が消滅すると、残されていた神体は砕け散る。当然だの。その時点で神は死に、その存在は消滅したのだから。しかし、例外が無いわけではないがの」

「その例外が今回の事件に繋がるのか?」

「恐らく……の」


 レオンの言葉にアイリスは頷くが、その表情は暗闇の中においても沈んで見えた。


「先ほど信仰が神の力になると話したが、そういった信仰の残香が、時として神の存在の拠り所となる事があるのだよ。例えばそれは神殿であったり、石碑であったり、伝承として残る口伝であったり──」

 

 そこでアイリスは一度言葉を止めて。


「──己の魂の色に近い者。その魂そのものであったり……だの」

「魂を……拠り所にする? それって、まさか人間に取り付くとかか……?」


 アイリスの言葉に目を見開いたレオンだったが、アイリスはすぐにそんなレオンの考えを否定する。


「まさか。既に消滅した神だ。そこまでの影響力は残っておらぬよ。ただ、人間としては高い能力と、体質を得る事が出来るであろうな。人間たちの間では、そういった人間を確か【聖人】なり【聖女】なりと呼んでおったはずだの」


 そこまで聞けば流石にレオンもアイリスの言いたいことが何かわかる。

 アイリスに一歩近づくと、その瞳を覗き込んで問いかける。


「お前は……アリアさんがそうだと言いたいわけだ」

「……ほぼ間違いなく……あやつは失われた古き神【亡者の君マーロゥ】の聖女であろうよ。そう考えると、これまでの出来事の多くが納得できるものとなる。ただ、そういった先入観が我の目を曇らせていた要因となったのは確かだ。ここで最初の話に戻るがの」


 そこでアイリスも瞳に強い光を宿し、レオンを見返してはっきり告げる。


「我も永い間この世界を渡り歩き、ここ最近は意識体となって世界を彷徨っておったが、マーロゥの残香を見つけたことなどおらなんだ。恐らく、その性質上殆ど敬われることのなかった神であるし、信仰など完全に途絶えてしまったのだろう。しかし、何の因果か己と同じ色を持つ魂がこの世に生を受けてしまった。その魂を拠り所として、わずかながら意識が息を吹き返した。しかし、その魂以外には信仰も、よりどころもない存在だ。当然、自我など存在しまい。そんな存在が、。……我は。神族というものを過大評価し、人間というものを過小評価しすぎてその様な簡単な事実にも気がつかなかったのだよ」


 そして、アイリスは自嘲気味に笑う。


「お前の言葉を聞いて、我は改めてあの神官の事を考えたよ。確かにあの神官に悪意は全く感じられぬ。あるのは善意。その一点のみ。あやつは“マーロゥの声を聞く事が出来る”だけの本当に唯の人間のだろう。それが、恐らくここ最近事情が変わった」


 アイリスの言葉にレオンは眉を寄せた。

 アリアには何の問題もないと続くと思っていただけに違和感を感じたのだろう。


「レオン。我が初めてあの神官に対して言った事を覚えておるか?」

「……たしか、近づくなとか言っていたか? 良くない匂いがするとか言って」

 

 レオンの答えにアイリスは頷く。


「そう。匂いだ。あの時も今も、あの神官から感じる匂いが人間のそれとは違うのだ。そこで思い出してみろ。あの神官は最近Aランクになったと言っておらんかったか? Aランクといえばギルドの華だ。中には当然、あやつの事を崇める奴もおるだろう。神官という立場も合わせてな」

「……まさか」


 レオンの心中に最悪の考えが浮かぶ。

 そして、その予感を肯定するかのように、アイリスは言葉を続けた。


「あの神官を通してマーロゥの信仰が高まっている可能性が高い。それに合わせてマーロゥの自我と力が、徐々に強まっておる結果があの神官の体から漏れ出した匂いだとは考えられんか? もしもそうならあやつ……自らの意思とは関係なしに死者を呼び出してしまっておるのではないか?」


 アイリスの言葉にレオンの心が跳ね上がる。

 アリアは今開拓村にいるのだ。

 一応保険としてウィルを残してきているが、ゾンビやスケルトンならばともかく、霊体が相手ではウィルでも歯が立つまい。


 そう考え、先に進もうとしたレオンの腕をアイリスが握って止める。

 そんなアイリスの行動に異をを唱えようとしたレオンだったが、真剣な表情のアイリスの瞳に喉元まででかかった言葉が止まる。


「急いで戻りたい気持ちはわかるが、まずは我の話を最後まで聞いてゆけ。この話はお前の覚悟を決める為にも必要だ」

「覚悟だって?」

「ああ」


 アイリスは頷き、レオンの腕を取ったままで続ける。


「今回の件の発端。確認はしておらぬから断言はせぬが、恐らく、あの神官はあの時あの場所に居ったのではないか? それが帰還の途中でもなんでも構わん。とにかく、一定時間その場所に留まっていた。ひょっとしたら野営かも知れぬ。そして、デミル村の近くの街道を通り、バラッグの街まで戻っていった。野営の度に死者を呼び起こして……の。道中他の魔物が現れなかったのは、やつの纏う死の神の気配に、魔物が恐怖して近寄らなかったに過ぎん。そして、ここまでの道中で魔物が現れない事にあの神官が不思議には思わなかったのは、それが何時もの事だからだろう。だが、領主にとってそれは違った」


 そこでレオンも考える。

 確かに、今回の開拓村に向かう住民の護衛依頼は元を正せば領主様の依頼だった。

 そして、つい先日霊体による襲撃があった直後に強行する事に疑問を持たなかったわけでもなかった。


「あの神官が辿った帰還ルートと、今回の騒動が起こった場所を考えれば、自ずと疑惑も沸きあがろうというものだ。今回、領主はわざわざあの神官に指名依頼を出し、更には冒険者を護衛として雇い入れている。一応形としてはバラッグの冒険者ギルドを通したようだが、秘密裏に直接その実績を持つ冒険者のいる村の有力者に手を回して同行させるという徹底ぶりだ。更には、あの神官に対して“その実績を持つ冒険者と原因の究明と解決”の依頼を出したようだ。ここで考えるのは……いったい、領主は我らに何をして欲しかったのか……ということだの」


 アイリスの言いたい事はレオンにも分かった。

 だからこそ、アイリスがレオンに何の覚悟をさせたいかも理解する事が出来た。


「……事件解決のために夜、それも、より怪しい場所へ俺と一緒に行くとなれば、当然アリアさんは無意識にアンデッドを呼び出すよな。それも、今回は帰還の為の旅じゃないから、自らがアンデッドを呼び出した瞬間を、俺も含めて目撃する可能性が高い。つまり──」

「──領主が我らに出した本当の依頼。それは【亡者の君マーロゥの聖女】──アリアの殺害だ」


 2人の間に静寂が支配し、生ぬるい風が通り過ぎる。

 自然と視線は開拓村の方角に向かうが、特にそちらの方向から何かの気配を感じるという事はない。


「……どうすればいい?」


 静寂を破ったのはレオンの口から溢れた呟き。


「どうすればアリアさんを救う事が出来る?」

「……なんとも……難しい質問だの」


 レオンの言葉にアイリスは顎に右手を当てて思案げに漏らすが、その態度とは裏腹に言うべき言葉は決まっていたのだろう。特に瞳の色に変化は感じなかった。


「単純に考えるならばアリアを殺せば問題は解決する。アリア自体強力な冒険者であることは認めるが、我の足元に及ぶものでもないしの。しかし、アレを救うとなると事の難易度は急激に上がる。そして、それにはお前の協力と覚悟が必要だ」

「それは何だ? 俺は何をすればいい?」


 勢い込んだレオンの言葉にアイリスはうっすら笑う。

 その笑みは予想通りの返答で満足したかのように見えるし、逆に何かを堪えるような悲しげな表情にもどちらにも取れた。


「お前がやるべき事はそう難しいものでもない。以前我に使用した【服従】の術をマーロゥに対して使用すればいい。そうすれば消滅しかかったとは言え神であるマーロゥの服従に失敗し、お前に術の反動が降りかかろう。だが、現在お前の魂と癒着しておるのは我の魂だ。実力はまだしも魂の強度ならば我の方が上だ。まず間違いなくマーロゥの魂を跳ね返してアリアからマーロゥを引き剥がす事は出来るだろう。だが、問題はその後だ」


 言ったアイリスは自らの右手を見つめる。

 以前に比べれば衰えてしまったその力を見るように。


「如何に消滅しかかっておると言っても、地力は我よりも高い神を相手にしてお前を守れる余裕はあるまい。そして、真実は兎も角として、マーロゥの聖女たるアリアは我ら……いや、恐らく我個人に対してその力を振るってくるであろう。マーロゥが消滅していない限り力自体は失わぬ故、強力な術はそのままにの。もしもマーロゥとアリア。2人同時となった場合、流石の我も対処できるか自信がない。つまり、我がお前に頼みたいのは──」

「──お前がマーロゥを倒すまでの間、俺がアリアさんを抑えること……か。しかし、俺は──」

「分かっておるよ。お前が人と1体1で相対する事でどうなるかは。だが、今はそのトラウマを乗り越えなければ、お前が求める最上の結果──アリアを助ける事は出来んのだぞ? そして、何よりもお前は一番大切な事を忘れておる」


 右手をレオンの頬に添え、アイリスは優しく諭す。


「我は孤独を苦にした程度で“ペット”を飼うような殊勝な存在ではないつもりだ。初めてお前と合い、やり合ったあの時に我が言ったことを覚えておるか? お前の力は一つ一つは大した事がないのだろう。しかし、戦うごとに我の力を吸収し、こちらの不得手な手を持って責め立ててくるお前の戦い方と成長力に……我はその先に光を見たのだ。既に先がなくなり、信仰など欠片もない名ばかり神族の我の道の先に。お前は強い。それは他ならぬ我が知っておる。お前が誰よりも恐怖し、誰よりも強いと認めた我が信じておるのだ。それを信じずして一体何を信じるというのか」


 アイリスの言葉にレオンは驚く。

 確かにアイリスがレオンを認めるような素振りを見せる事はこれまでもあったが、まさか、これほどまでに評価しているとは思わなかったからだ。


「レオン。心理の紐を解け。我の知識を探れるお前ならば、その一端を担う事が出来るはずだ。そう、お前ならば。規模はどうあれ、お前なら。どんなに工夫しても、どのような攻撃を加えても対処されてしまう恐怖をきっとお前は知らないだろう。自らの放った術が、同じようにやり返される恐怖をきっとお前は知らないだろう。お前はきっと高みにゆく。どんな人間も……いや、ひょっとしたらどんな魔物も魔族も。そして神族さえも越えてゆくかも知れぬ。だからレオン──」


 そして、アイリスは両手でレオンの頬を挟み、まっすぐ瞳を見つめて口にするのだ。


「──お前が自分を信じなくてどうする。その様なちっぽけなトラウマなど、軽く跨ぐように乗り越えて見せろ!」


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