キョウアイする。

七竈 奏

第1話支配的メランコリア

滑らかなシーツが直に肌に触れる。

それか少し冷たくて薄いタオルケットを

胸元で抱きしめた。

身じろぎをして生じる擦れる音と

肌から伝わるシーツの感触が気持ちいい。

窓からは青緑色の光と打ち付けるような

雨の音が漏れている。

既に街の雑踏は遠く姿を眩ませていた。


この感覚。

まるで世界に私一人だけのような感覚。

私が私を支配できている心地よさ。

今の気持ちにぴったりとフィットして

抜け出したくなくなる。


そんな怠惰に身を浸らせていられる環境に

安堵して、私はゆっくりと瞼を降ろし

青い暗闇へと思考を投げた。


その時。

トントンと木のドアをいたわるような

ノックの音が聞こえた。

雨の音に紛れてしまいそうなほど

小さな音だったから、

私はそのままノックの音など

聞こえなかったものとして

もう一度目を閉じた。


なのに。


次の瞬間にはドアを軋ませて

ノックの主が静かに部屋へと入ってきた。

誰なのかなんてわかっていた。

私の部屋の合鍵を渡しているのは

一人しかいないのだから。


私は侵入者に一瞥も向けることなく

ドアに背を向けてもう一度暗闇を探す。

けれど暗闇は私を誘ってくれない。

私を夢に落としてくれない。

怖くなる。焦る。はやく、早く

私を自由なまま現実から遠ざけてほしい。

気持ちとは裏腹に侵入者は

足早にベッドへと向かってくる。


不意にベッドが不均等に軋んだ。

背中に気配を感じ、私は逃げ出したくなって

タオルケットを強く握ると

剥き出しの肩が大きな掌に包まれた。

普段は冷たいその手がなぜか温かく、

その温かさとシーツの冷たさの温度差が

たまらく切なくなった。

鼻先がぎゅっと締め付けられ

強く握りしめていたタオルケットが

斑に濡れる。


こんな形容しがたい抽象的な感情で

泣いてしまうなんて。

ただ、男に触れられただけで

泣いてしまうなんて。


また、面倒な女だと思われるだろうな。


そう思うとより一層虚しく切なくなる。

結局、この男には私の心のうちなど

解らないのだ。

私にこの男の気持ちがわからないのと

同じように。


ただ、いつものように泣けばよかった。

いつものように涙が滑り落ちるだけの

泣き方なら、この暗い部屋のなかで

私が背を向けている男に、私が泣いている

なんて気づかれることはないだろうから。


けれど、私はいつものように泣けなかった。


私の肩は不規則に痙攣を始め

肺にうまく空気が入らなくなっていく。

焦燥と羞恥でより一層胸が痛くなり、

吃逆のように声が漏れるのを抑えられない。


気づかれまいと必死に

躰の震えに堪えていると

突然、肩に触れていた手がシーツとの間に

滑りこみ、冷めた躰が男の両手によって

抱き込められる。


首に吐息。肩に体温。背中に鼓動。


腕の中で回されて男のほうを向かせられた。

涙でぐしゃぐしゃになった顔を

見られたくなくて、

男の胸に顔を押し付け

細い背中に手をまわして泣く。

まるで母親がぐずる赤子をあやすように

男は規則的なリズムで私の背中を撫でる。

男の厚いタートルネックが

私の声を外に漏らさずにしてくれる。

そんな気がして、私はもう涙を

こらえることなく泣きわめいた。


つまるところ、これだから

私はこの男がきらいなのだ。

私の感情を制御してしまうのは

いつもこの男なのだ。

私の複雑で錯乱した感情を、男は

いとも簡単に単純な感情へと変えてしまう。


私が泣いていたのには様々な理由と

混ざり合った感情があったはずなのに。


この男の胸の内に入った瞬間「寂しかった」というたった一つの言葉だけで

すべて丸く治められてしまった。


そして私はまた、私を支配する自由を

自ら手放し、私を支配するこの腕のなかで

安心して眠ってしまうのだろう。

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