浅葱色の時 ~新選組短編集

御陵又七郎

じぶ

「なんや、それは」


「へえ」


なんでも金沢の料理らしい。鴨の肉を使うらしいのだが、詳しい作り方はわからない。それで女将に教えを請いに来たのだが、京で生まれ育った女将にわかろうはずもない。


「鴨を使うんなら、鴨鍋ちゃうの」


「へえ、でも鴨鍋はどこのお国でも鴨鍋言うんと違いますやろか」


「せやなあ」


胡世こよは蛸薬師の「めがね屋」という名の茶店で給仕をしていたところを見染められ、あるお武家に囲われる身となった。そのお武家が金沢の生まれなのだと言う。


故郷の料理が食べたくなった、と急にお胡世にねだったらしいのだが、何分お武家は料理に疎いようで、鴨の肉を使った汁物という以外何もわからぬらしい。


「わざわざそれが食べたいと言うてはるんやから、普通の味付けとは違うんやろうなあ」

「へえ、でも旦那様にお聞きしてもとんとわからしまへんねん」


「困ったなあ」


二人はしばらく考え込んだ。


「じぶ言うぐらいやから、なんか、こうじぶじぶと煮るんかいなあ」


「じぶじぶ煮るってどういう塩梅ですのやろか」


「じぶじぶは・・・」


「じぶじぶやがな」


その帰り道、三条の通りを折れたところで人だかりが出来ていた。浪人が一人引っ立てられているようだった。


(何なんやろう)


お胡世もついつい野次馬に加わってみた。すると、隣で見ていた中年の商人風が、若い娘だと見て声をかけてきた。


「なんや浪人が捕まったらしいで」


随分口の臭う男であった。しかしお胡世は然有さあらぬ体で会釈して聞き返した。


「そんなら、また勤王のご浪士ですやろか」


すると中年の商人風は、自分の眉に唾をつけて


「ちゃうちゃう。そこの角の蕎麦屋の天ぷら蕎麦ア食うてたところが、この天ぷらは汁を吸うてビタビタである、こんな天ぷら蕎麦を武士に食わすとは何事か、我こそは勤王の志士誰々であるぞ言うてごねよったらしい。せやけど、あれはどう見てもタダの食い詰め浪士やで」


「はあ、そうどすか」


「新選組もご苦労はんなこっちゃで」


(新選組…)


「ところでネエチャン」


お胡世はソソクサと逃げた。



小走りに走って、橋を渡ったところでお胡世は立ち止まった。そして閃いた。


(汁を吸ったビタビタの天ぷらを煮立てたら、「じぶじぶ」になるんやないやろか)


お胡世は家へと急いだ。


鴨肉に麦粉をまぶしてみた。するとブクブクと煮立ってくる。これに違いないと翌日、お胡世は朝一番に蛸薬師の「めがね屋」を訪ねた。



「女将さん、これじぶじぶ違いますやろか」


「じぶじぶやなあ。でかしたでお胡世ちゃん」


ところが、いざ食してみると麦粉を使った分、味がまったりとしてしまって、どうもはっきりしない。


そこで出来上がりに山葵を溶いて入れてみた。後味がピリッとして味に締まりが出た。


「出来たな、お胡世ちゃん」


「はい。おおきに女将さん」


「そうか、作ってくれたか」


その夜、旦那様は「うまいうまい」とずいぶん嬉しそうに食べてくれた。お胡世は苦労した甲斐があったと喜んだ。


食べ終わったあと、旦那様は言った。


「随分とうまかった。久しぶりに食ったよ。ところでな、お胡世」


「はい、なんでございましょう」


「これまでご苦労であったな」


「へえ」


「暇を取らせる」





「お国に帰りはるんどすか」


「まあ、そう言う事だ」


なんというひどい話でしょう、これまで尽くしてきましたのに、と散々泣き言を言ったが、旦那様はただただ笑うだけで取り合おうとしなかった。せめてもの心付けだと随分金子を渡されたが、お胡世の気持ちは晴れるはずもない。


国に帰る気にもなれず、やむなくお胡世は「めがね屋」にしばらく世話になる事にした。


旦那様と暮らした借家は間もなく引き払われていた。諦め切れないお胡世は、決して近づいてはならぬと旦那様にきつく言われていた西本願寺の屯所を訪ねる事に決めた。


門番に事情を話したところ、噂と違い意外にも親切に応対してくれた。


「しばらくお待ちを」


と言われ、待っているとすぐに一人やって来て


「お胡世さんですか。お話しは伺っております」


と中に案内された。





「お待たせ致しました。新選組局長近藤勇と申します」


「お胡世と申します」


このお方が鬼と言われた新選組局長の近藤勇か、お胡世は萎縮した。どうぞ顔を上げられよと言われたが、上げられたものではない。しかし、思い浮かべていたのと違い、随分と優しい声をしている。


その優しい声の新選組局長が、遺憾な事だがと前置きをして静かに語った。


「田中寅蔵君は切腹されました」


「はあ?」


お胡世は我が耳を疑った。近藤の丁寧な説明によれば、お胡世を追い出したその夜から旦那様こと田中寅蔵は行方をくらまし、数日後寺町の本満寺に隠れていたところを発見され、屯所に連れ戻された上で切腹したらしい。


近藤の説明は続いたが、お胡世の耳には入らなかった。


最後に深々と頭を下げると、近藤は部屋を去って行った。お胡世は何も考える事が出来ず、ただ呆然として座っていたが、見兼ねたのか幹部らしい隊士が二人入ってきて、沖田だの永倉だのと名乗ったあと、お胡世を随分と慰めてくれた。


お胡世は、かえって申し訳ない気がしてきて


「田中がお世話になりました。失礼致します」


と短く挨拶だけして、逃げるように屯所を去った。


その後の行方を誰も知らない。






「田中さん、最後に国の料理が食べられて良かったですね」


「うん、何でもじぶというのを作ってもらったらしい」


「へえ、じぶですか」


「それがな」


「お胡世さんが作ったのは、実は同じ金沢の料理でも麦どりというものに近かったらしい」


「麦どりですか」


「だが、思いもかけず麦どりが食せたと、田中君は喜んでいたよ」


「ならば良かったんですね」


「これはくれぐれもお胡世さんには黙っておいてくれと、念を押されたがな」



明治の世になって、大阪の心斎橋に小料理屋があり、その店の「じぶ煮」が大そう評判になったという。谷干城などは随分贔屓にして、大阪を訪れる度にこの店に足げく通ったらしい。


それは、金沢では「麦どり」と呼ばれる料理に近いものであったらしいのだが、この店の評判が広まるにつれ、次第にそれを「じぶ煮」と呼ぶようになったという。或いはこの店の女将はお胡世だったのかも知れないが、今となっては調べようもない。(終)

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