5話

出立の日、アリーシャは夫、ウィンチェスト伯爵と共に妹と賓客を見送る為、正門へと足を運んだ。


城に宿泊していた貴族や、どこから聞き付けたのか王子殿下と剣姫を人目見ようと野次馬も集まって、城前は昨日の剣術大会さながらに賑わっていた。周りを見渡し、少し苦笑する。いやはや、我が妹ながら、有名になったものだ。それを、知ったらエレーンは慌てて否定しそうだと想像して、また笑みが溢れた。




当のエレーンは、用意して貰った馬車に自分の荷物と共に一通の手紙を仕舞い、早々に乗り込んだ。

故郷に戻っても、また王都に向かう際に商都アレスには立ち寄る手筈になっている。


「では姉様、父様に必ずや報告致します。お返事、お持ちしますね。」


馬車の窓から身を乗り出し、姉の手を取る。


「リチャード兄様、姉様をどうか宜しくお願い致します。姉様はじっとして居られない性分なんですもの。」


ウィンチェスト伯爵はにこやかに頷いた。


「まあ、すっかり叔母気取りなのかしら?」


そう言いながらも、アリーシャは嬉しそうだ。


馬車の扉が開かれ、アレクシスも遅れて乗車する。馬車は二頭立ての立派なものだ。向かい合う二人に、アリーシャが食い気味に前へ体を乗り出す。


「殿下、何卒妹を宜しくお願い致します。」


「うむ、任せておいてくれ。」


「……マルシュベンの男達は、とても難しいのでお気をつけて。」


「?、それは公爵どのの事かな?」


「……と言うか、何とお伝えしたら良いのかしら……一言で申し上げるなら面倒と言いますか……。行けば分かりますわ。」


夫妻が互いを見ながら苦笑する。それ以上は言及することは無かったが、意味ありげな雰囲気に、窓越しにアレクシスは何とも微妙な笑顔を返していた。


「どちらかと言うとエレーンちゃんが面倒見る方だから、大丈夫ですよ、夫人。」


馬車のやや後ろから、馬に跨がりルーカスが横要りする。後ろには王子のものだろう、黒い毛艶が美しい馬が繋がれている。更に後ろから追い付いたロバートが、冗談ばかり言うこの青年をすかさず背後から小突いた。


「馬上から大変失礼します。長らくお世話になり、誠にありがとうございました。また、王都帰還の際にお邪魔しますこと宜しくお願い致します。」


「いいえ、此方こそとても楽しい一時でした。またの御来訪を心からお待ちしております。」


お互いに丁寧に挨拶した後、王子一行はエレーンを連れて、マルシュベン領へと出発した。

馬車が見えなくなるまで、ウィンチェスト夫妻は見送っていた。……少々の野次馬も一緒に。





「これからウィンチェスト領の関所まで、馬車で四日だったかな?」


広い四頭立て馬車の車内は贅沢にも二人きりだ。ゆっくりと進む馬車では旅路はまだまだ長い。


「はい殿下。本来なら、馬車では無く馬での移動でしたらその半分で済みましたのに、お手間を取りまして申し訳有りません。」


向かいに座るアレクシスに、エレーンはぺこりと頭を下げる。


「……あのさ。」


「はい?何でこざいましょう。」


アレクシスは始め下に視線を落としていたが、意を決した様にじっとエレーンを見つめる。その視線に、少しどきりとしてしまう。どうやら、自分はまだこの深い青色の瞳に慣れていない様だ。


「その丁寧な言葉使い、止めない?」


「……は、ええと?と、言いますと?」


「うん。肩、凝るしさ。」


どういった意図なのか図りかねて、エレーンは首を傾けた。


「あいつらみたいに……、ロバートとルーカスみたいな、碎けた感じで話して貰えると助かる。そうじゃなくても、王城内でも、視察に行っても畏まられて、窮屈過ぎて疲れるんだ。せめて、常に一緒に居る側役とは楽に行きたい。それに、敬語だと距離を置かれてる様な感じするし……。せっかく入城を決心して貰えたんだし、まだ手続きはしてないけど、慣れて欲しい。まあ、あいつらも一応は敬語だけど、全く敬意が込もっていないだろ?腹立たしい事に。」


ルーカスの話方を思い出し、エレーンは頷きそうになるのを、何とか抑えた。


「……で、でも殿下。そんないきなり変えるなんて……。」


「出来るまで返事しないから。」


「えっ!」


エレーンの驚きを他所に、アレクシスは意地悪っぽく笑った。その笑顔は年相応で失礼ながら可愛らしいものだったが、エレーンは内心大慌てだった。


いやいや、王子殿下に敬語無しなんてとてもじゃないけれど自分には到底むりな話である。礼節には特に厳しく育てられたのだ。そんな易々と変える事等出来る訳が無い。


これは……どうしよう?!


仕方ないと言うか必然的と言うか、車内は沈黙に包まれた。


もう商都は遠くに小さく見える。




「…………。」


「…………。」


道中は天気も良く、小高い丘に広大な牧草地が続く。遠くに羊の群れが見える。まだ春先で草は少ないのだろうが、羊達は皆地面に向かい黙々と草を探している。羊飼いは昼寝中だろうか。





「…………。」


「…………。」




やや大きめの川に差し掛かり、馬車は橋を渡る。そのまま鬱蒼とした森へと入って行く。木陰に入ると、やはり少し気温が下がる。馬車内の雰囲気も気持ち暗くなった様だ。



馬車の後ろから、ロバートとルーカスが続く。アレクシスの馬も大人しく、ルーカスの馬に引かれ足取り軽くついて来る。





「……まだ駄目?」


先に音をあげたのは言い出しっぺのアレクシスだった。エレーンは首を横に振った。


「その、駄目です。恐縮してしまいます……。」


それは此方としても何時間も無言は流石にきつい。けれど碎けた感じも難しい。まず、出会って四日な上に旅はまだ一日目なのだから。向かい合っているのも緊張すると言うのに。


「俺がそうして欲しいのに、駄目?」


アレクシスの大きな瞳に見つめられると、何とも困ってしまう。眉の両端を下げた表情は、いたいけな子犬の様でこちらが悪い事をしているのかと錯覚しそうだ。


「……良いよ、俺はもう勝手にやるから。エレーンは、実家で家臣ともそんなに堅苦しいの?」


無言を貫くエレーンに、アレクシスは先制攻撃で呼び捨てで来た。


「はいっ?!えっええと、家臣と言うか……皆家族みたいで、父や母に接するみたいな感じです! 」


「なら簡単だと思うんだけど。いつまでも距離が有るのは、俺嫌だな。」


「ううぅ…。」


返事に困っていると、お次はウルウルと瞳を滲ませ見つめる攻撃?!を繰り出され、これでは更に言葉に詰まってしまう。ああ、顔が熱くなってきた。これは絶対赤くなってる筈。自然とエレーンの視線は窓の方へと向いてしまう。諸葛、現状を投げているとも言える行動だった。


その様子を受けて、アレクシスは少し口を尖らせつつも、姿勢を正す。窓の外を眺めるエレーンに、何やら思いついたのか、くっと笑いを我慢した。が、エレーンは気付かない。まず、心の中が煩くて、それどころでは無いのだ。


「……エレーンは俺と信頼関係築いて行きたく無いとか?!」



「?!そっ!」




ガン!と重くるしい金属音が響く。


思わず立ち上がってしまい、エレーンは強かに頭を打ったのだ。そう来られたら、敵わない。どうやら我慢比べはアレクシスの圧勝で終わりを迎えた。



「?あの二人なにやってんの?」


鈍い音に、後ろの二人は様子を伺う。





一方車内では。


「…ごめん、大丈夫?」


「だっ大丈夫……です。信頼関係は築いて行きたいと思ってます!!その…」


「その?」


「努力します……。」


それを受けて、アレクシスは案外嬉しそうにふーんと返事をした。何がそんなに楽しいのか。エレーンは痛む頭を押さえた。これは外傷だけで無く、中も頭痛が起きているのかも知れない。


「じゃあ、手始めにアレクシスって名前で呼んで貰おうかな。言い辛いならアルでもアレクでも良いから。」


「えっ?!いきなり名前からですか??」


うきうきとした、期待の眼差しを向けられる。しかし、王族を名前呼びなど、不敬以外の何物でも無い。エレーンは何とか回避するべく、考えを巡らせた。


「……あのお二方はお名前で呼んで無いですよね……?」


「他の人の前では流石に節度持つように言って有るけど、まあ、じいは坊とか未だに呼ぶし、ルーカスに至っては『あの』とか『この人』とか………あいつ本当にふざけてるな。」


眉を潜めるアレクシスの表情に、ふと、二人のやり取りを思い出す。途端に思わず笑みが溢れた。


「ふふっ、お二人は兄弟みたいですもん。」


「兄弟~……それは嫌だな。兄上でお腹一杯だし。」


クスクスと笑うエレーンに、アレクシスがまた意地悪っぽいいたずらな笑顔を向ける。


「ひどい、それはお二人に失礼ですよ。殿……」


「でん?」


ずいっと、前のめりに覗き込まれて、エレーンは思わず身構えてしまった。じっと見つめられて、巡っていた考えは何処かへ行ってしまい、途端に頭の中は真っ白だ。


「で……あ……アレ……アレクシス…………様。」

「様?」


「!……アレクシス……。」


「よし!」


にっこり笑う彼を見て、エレーンは無駄な抵抗を諦めた。年下ながら、流石一国の王子。一筋縄では行かない様だ。


「…………アレクシスって本当に十四歳ですか……?」


「?、そうだけど?」


子供らしいのか一枚上手なのか、エレーンにはきょとんとするこの王子殿下を前にして、判断出来なかった。







夜も更け、途中小さな町の宿屋に一行は泊まる事となった。まだ道程は遠い。


地元の客なのか旅人なのか、大層賑わう小さな食堂で四人は遅めの夕食にした。馬車の従者達も誘ったが、この町の兵の詰所に泊まると言うので、別行動だ。


「へー、エレーンちゃんが礼儀に対して折れるなんてね。」


エレーンは馬車での経緯を二人にもしぶしぶ説明した。ここに来るまでに、何とか呼び捨ては……慣れたと思いたい。


「また坊が我儘を押し切ったのでしょう?全く……常日頃から礼儀は大切だと言い聞かせてあると言うのに……困ったもんです」


ふうっとため息を吐き、ロバートは熱々のピザにかぶりつく。


「じいだっていつまでも坊とか呼んで、全然切り替え出来て無いからな。」


こちらも熱々のスペアリブにかじりつく。高貴な身分の彼だが、どうやら庶民の食事に抵抗は無い様だ。


「えーそりゃ、いつまでもじいとか呼ばれれば、こっちも坊とか呼びたくなるってもんだ。ねえ?エレーンちゃん。」


などと考えながら傍観していたのに、ルーカスにいきなり巻き込まれて、エレーンは口にしていたスープで噎せた。


「ありゃりゃ、大丈夫?」


背中をバシバシ叩かれ、力の強さに余計噎せそうになる。その様子に、アレクシスは片眉を上げて嗜める様な目線を送って来た。


「ルーカス、お前気安過ぎるだろ……。」


「まあまあ、妬かない妬かない。俺は何が有ってもあんたのものなんだから、少しぐらい仲間と触れ合ったって問題無いでしょうに。」


「誰がどれに妬くって?!変な言い方止めろ。」


ルーカスの軽口に、アレクシスは心底げんなり顔だ。

そんな様子を気にも留めず、何か思い付いたのか、ルーカスは悪戯っぽく口角を片方だけ上げる。それは恐ろしく彼に似合っていたが、エレーンは口にする事は無かった。


「そうだ、エレーンちゃん。あの人に敬語無くすんだったら、俺にも使わなくて良いからね。」


「えっ!でもお二人にまでそんな……」


爽やかに笑うルーカスに、エレーンは両手をブンブンと横に振る。出来ればその件は徐々に無かった方向へと持って行きたいのだ。これ以上は事は大きくしたくない、のに。


「それは良い。これから一緒にいる者同士、お互いに気兼ね無く行きたいところですな。まあ、私の話し方は誰にもこんな感じなので、気になさらずに。さて、何と呼べば良いのか……。」


「いいや、じいは俺とルーカスだけに口調が厳しいね!」


「ほぼ叱らなければならないからでしょう!全く坊は……」


長くなりそうな説教に、アレクシス坊の喉から、カエルの潰れたような声が漏れ出た。


「俺はやっぱりエレーンちゃんかな。長いから、エルちゃん♪とかも良いかなー。」


従わなければならない主人を無視して、ルーカスはウキウキだ。この流れでは、もう自分の拒否権は無さそうだ。出来れば大人二人にアレクシスの提案そのものを止めて貰えるようにお願いしたかったのに……。エレーンは思わず溜め息が出そうになるのを、慌てて抑えた。観念して、ルーカスに向き合う。


「……マルシュベンでは、皆エルと呼んだりしますね。」


「そっかー。じゃあ、俺はあえてのエレーンちゃん呼びで。それと、敬語出てるよ?まだ難しいかな。」


「分かりまし……分かった、私もルーカスさんと呼びま……呼ぶわね。」


呼ばれた本人は、何とも複雑な表情だ。これでも頑張っているのだけれど。大いに不満らしい。


「さんって……固い!固いよエレーンちゃん。俺とエレーンちゃんの心の距離は、王都とマルシュベン領くらい離れてるね!!ルーカスでもルークでもルカでも良いからさー、緊張取ってよー。」


「~!……わ……分かった!……ルカ先輩。これから宜しくね。」


予想外の呼び方に、アレクシスに説教中のロバートも呆気に取られてエレーンに注目する。

一瞬時が止まったかの様だったが、直ぐに三人は大笑いした。賑やかな食堂でも笑い声が響く。


「あっは……腹痛……あー……良いね!先輩呼びも久しぶりで逆に新しいよ!うん。」


当の先輩はすっかり気に入った様だ。目に涙が滲む程可笑しかったらしい。失礼な話である。


「良いですな。これで先輩としての振る舞いになってくれれば万万歳。嬉しい限りで。」


ロバートもうんうんと頷いた。


「はー……ロバじいは何て呼ぶの?ロバ先輩?ロブとか?」


まだ笑いの余韻を残して、ルーカスは尋ねた。ロバ先輩……!!あーはっはっとアレクシスと二人またツボにはまった様だ。


「えっと……ロバートさんで……。」


「はい。私もエルさんと呼びましょう。」


ここだけ穏やかな空気が流れ、エレーンは少しほっとした。さっきから何だか酷い扱いではないだろうか?


「なんだ、つまらん。」


笑い疲れたのか、アレクシスが水をぐっと飲み干し呟いた。


「坊をつめるために我々はいるわけではありませんからな。」


「本当、エレーンちゃん良いね。真面目だよね。」


「それが、エルさんの素敵な所なんですよ。ルーカスみたいなのがごろごろ居たらこの国は破綻します。」


ええ~っとの不満声も、いつもの通りロバートは華麗にスルーした。






食事も終盤に差し掛かり、おもむろにアレクシスが提案した。


「なあ、馬車をリチャード殿に出しては貰ったが、正直明日から馬で移動したい。」


「あー俺もそっちが良い。荷物もそんな無いし。」


「確かに、その方が移動は早いですが……。しかし、エルさんには負担が大きいのでは無いのですかな。」


食後のお茶をゆっくり飲んでいたエレーンも、この提案には思い切り食い付いた。思わず身を乗り出す。


「私もそちらの方が良いで……かな。元々関所までは自分の馬で来たし、帰りも関所に私の馬を連れてきて貰うようにしているので……。アリーシャ姉様が、ウィンチェスト領内は絶対に馬車で……と送って貰ったけれど、馬の方が早いでしょう。」


「そうでしたか、では、関所に迎えがもうそろそろ到着してしまいますかな?」


「多分……大会を終えたら直ぐに帰還すると伝えていたので、明後日には関所近くの町で待って居てくれていると思います。」


エレーンの頑張って敬語を外そうとして、結局取りきれ無い所を男三人は生暖かく見守った。気付かないのは本人のみ、である。


「それにしても、馬の足でも関所から四~六日はかかると聞いたんだけど、お供を一人だけって、少し危機感が足りないんじゃないか?確か街道は賊も出るんだろう?」


アレクシスの質問に、エレーンは首を振る。それを言えば、王族の身分でお供二人のみのアレクシスの方がどうかという話しなのだが。


「それが、私が大会に出ると決まってから、大々的に盗賊討伐が行われて……。」


「「えっ。」」


事の規模の大きさに男性陣は驚いた。が、それに気付かず、エレーンは楽しそうに話しを続けた。


「安全だから行っておいでと、送り出して貰ったので大丈夫なんです。行商の方達も当分安全だと喜んでて……。」




エレーンの様子を見ながら、アレクシスの脳裏に夫人の言葉が浮かぶ。



『マルシュベンの男達は、とても難しいのでお気をつけて。』



そうだ、男達……と言っていた。そんな彼の様子の変化に気付かず、エレーンは嬉しそうに話している。


「それに私馬術も大好きで、昼夜問わず走って三日半程で関所に着いたので、襲われる心配も無かったかなと。送ってくれたレオナルドも、とっても速いんですよ。迎えも、きっと彼が来てくれると思います。」


「はー……流石剣姫。頼りになるね。レオナルドとやらを呼び捨てなのは妬けるけど。」


「全く、貴方はまた何を言ってるんだか。……でも確かに。エルさんのこれからの活躍が楽しみですな。」


嬉しそうなエレーンを、感心しながら大人二人はお茶を飲んでいる。



「う……うむ。」



アレクシスはアリーシャの言葉が気にかかり、一人だけ気後れするのだった。

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