第20話 救い
~side マロン~
「ハッハァッハァッ」
少女が山の中を駆ける。
どの方角へ移動しているのか、走り始めてどれくらい経過したか、感覚はほとんど失われていた。
何故、里の外に出てしまったのか。
何故、同胞が襲いかかってきたのか。
何故、親の言いつけを守らなかったのか。
ぐるぐると取り留めもない思考が頭の中を渦巻き続ける。
無駄な思考を払うために僅かに頭を振り、矢の突き刺さった肩を押さえ痛みに耐えてとにかく足を動かす。
しかしこれだけ走っても、少女の自慢の聴覚と嗅覚は警鐘を鳴らし続けていた。
「ガハッ!」
背中に衝撃を受け、限界を迎えていた足が
「チッ! 手間取らせやがって! てめぇらが無能だからクッソ時間かかっちまったじゃねぇか!」
少女を地面に押さえつけていた女性が脇腹を蹴り飛ばされて蹲る。
束縛する存在がいなくなったが、もはやここから逃げ出す気力も体力も残ってはいなかった。
何より、周囲を取り囲む醜悪な男たちから逃れる術はもう残ってはいなかった。
周囲には下卑た笑いを浮かべた男たちと、首輪を繋がれて這いつくばる獣人族の女性たちがいた。
少女は、奴隷契約により無理やり従わせて同胞を狩らせる最低の男たちに憎しみの視線を向ける。
「おーおーこわいでちゅねー! ぶはははは!! 最後に良い商品が捕れてよかったぜ!」
男は口端を引き上げながら、少女に首輪を装着させる。
魔術により自身の意志が、行動が束縛されてゆく感覚があまりに気持ち悪く、少女は空っぽの胃から胃酸を吐き出した。
◆
少女は窮屈な檻に押し込められ、更にその檻は木箱に入れられて馬車に揺られていた。
隷属の首輪により声を出すことも動くことも封じられている少女は何もすることができない。
食事は一日一回、最低限のパンと水のみ。
排泄物は処理されずに垂れ流し。嗅覚の優れた獣人族である自分にとっては拷問であった。
関所で見つけてもらうという一縷の望みも合ったが、それは簡単に打ち砕かれた。
箱の外からの会話が少し聞こえてきたが、銀貨一枚で通されたようだ。
自身の命を銀貨一枚で見捨てる同胞がいることに失望と絶望を覚えた。
隷属の首輪により舌を噛んで死ぬことすら許されない。
涙は枯れ果て、感情は死に絶えていく。
真っ暗闇の世界の中、少女はただ死にたいという思考のみを抱き過ごしていた。
永遠とも思える旅の果てに少女はとある盗賊団に引き渡され、洞窟の最奥へ運び込まれた。
洞窟の中には人族の奴隷も沢山おり、皆一様に死人のような表情をしていた。
同族すら奴隷とする醜悪な盗賊たちは、人ではないのだと少女は悟った。
不幸中の幸い、少女は洞窟の最奥の隠し部屋に閉じ込められ、乱暴をされることはなかった。
隣の部屋から人族奴隷の悲鳴のようなものは何度も聞こえてくる。
自分もいずれはああなるのかと思い、絶え間ない絶望感に苛まれる。
◆
「ボス、只今帰りました」
「おう。豚領主からふんだくれそうか?」
「明日、商品と引き換えに金を持ってくることになってます。少ないと商品は渡さないって言っといたんでまぁまぁ持ってくると思いますぜ」
「よーし、よくやった。あの豚からは搾り取れるだけ搾り取ってやれ!」
「へい! では失礼しやす!」
少女の鋭い聴覚に、隣の部屋での会話が聞こえてくる。
少女は今まで聞こえてきた会話から、自身が
(あぁ、遂に売られるんだな)
少女は何の感慨も感情もなく、ただただ事実を受け止めた。
手下が部屋を出ていってすぐ、ドサリという誰かが倒れる音と女性の悲鳴が短く聞こえた。
何事かと耳を澄ますが、誰かが小声で会話しているということが分かる程度であった。
会話が終わり暫く経ったかと思うと、部屋の扉が開かれた。
そこにはいつも現れる盗賊の男ではなく、怪しげな白い仮面を被り黒いマントを羽織った存在が現れた。
そしてその男からは、鮮烈な血の臭いが漂っていた。
「フウウゥゥゥゥ!!」
少女は本能のまま、仮面を威嚇する。
声も出ないし体も動かない状況で現れた怪しい仮面に、命の危機を感じていた。
仮面はじっと少女を見つめ、懐から取り出したナイフでサッと檻を断ち切った。
突然の出来事に少女は唖然とした。
(何!? こいつ何!?)
混乱に包まれる少女を、仮面は流れるように抱き上げて隣の部屋に運び込んだ。
汚物に塗れ一糸纏わぬ姿である自分を抱き上げた存在に、少女は更なる混乱に包まれる。
隣の部屋に運ばれると、そこには一様にこちらを見つめる隷属の首輪を着けた人族の女性たちと、血を流して倒れている盗賊の頭がいた。
(この人、盗賊を倒したんだ……)
少女は仮面により、ふかふかなソファに寝かされた。
「貴女達をこの部屋から出すために、首輪を確認したい。誰か近くで見せてくれないか?」
(この人は一体、何を言っているの?)
仮面男の言葉に少女の心がドクンと跳ねる。
期待してはいけない、期待しても後が辛いだけだ。
そう自分に言い聞かせつつも、少女の感情は揺れていた。
「どうぞ御覧ください」
「失礼する。乱暴はしないから」
人族女性の首輪に触り、色々と確かめている仮面男。
無理だ、この首輪は簡単に取れるものじゃない。少女はこの首輪の恐ろしさを誰よりも理解していた。
理解しているのに、何故か期待が、希望が胸を占めていく。
長らく枯渇していた自身の感情に歯止めをかけることができなかった。
――ゴトリ
「――ッ!?」
首輪が地面に落ち、女性が息を呑んだ。
仮面男は手に持つ極小のナイフで、簡単に首輪を断ち切った。
「まさか本当に……。ありがとう、うっ……ございます……」
次々に首輪を断ち切り、女性たちの歓喜の感情に場が支配されていく。
少女はもう、自らの感情を、希望を抑えることはしなかった。
今まで失われていた、いや抑え込んでいた感情が一気に吹き出していく。
最後に、少女の元へ仮面男がナイフを持って近づいてきた。
間近で見て、少女を傷つけないように細心の注意を払って仮面男がナイフを動かしていることが窺えた。仮面の脇から僅かに覗くこめかみに汗が伝っている。
それでも最初に比べて格段に作業速度が上がっているようだ。短くも長く感じる時間が終わり、少女の首輪がゴトリと地に落ちた。
首輪が取れると共に、体の筋肉が、声帯が、自らの意志による活動を再開した。
様々なものを抑えつけられていた魔力が消滅し、凄まじい開放感に包まれる。
少女は感極まり、仮面男に思い切り抱きついた。
「っぷはぁ! やっと動ける! 喋れる! ありがとうっ!!」
この男が何者であっても良い。
自分を開放してくれたこの男に少女は感謝を、尊敬を、親愛を、感じていた。
しかし仮面男はすぐに少女を引き剥がし、顔を背けた。
「分かった、分かったから落ち着け。とりあえず奥の部屋に良さそうな布があったから、貴女達はそれを羽織ってくれ」
仮面男はそう言って直ぐに立ち上がり奥の部屋へスタスタと歩いていった。
そこではじめて少女は自身が全裸であることを思い出した。
しかし真っ赤に染まった仮面男の耳を見て、少女は少し嬉しくなった。
「貴女達にお願いがある」
仮面男はそう切り出し、自分が盗賊団を壊滅させたことを内密にしてくれと頼んできた。
少女を含め元奴隷の女性たちは一も二もなく頷いた。
命の恩人の頼みである、理由は分からないが死んでも守るに決まっている。
話が終わると、仮面男は少女をチラリと見た。
少女はすぐに視線に気付き、首を傾げた。
「ここの盗賊は街の領主に売るために貴女を捕まえてここまで連れてきたと思われる。だから貴女が街に入ると領主に捕まる可能性が高い。……貴女はこれからどうしたい?」
仮面男が気遣わしげに問いかけてきた。彼が自分を気遣ってくれることに胸が跳ねる。
自身が領主に追われるであろうことは、今までの盗賊の会話から大体分かっていたことである。
少女は聞かれなくても自ら言おうと思っていた言葉を即座に紡いだ。
「君について行きたい!」
仮面で表情は分からないが、少し戸惑いつつ男は述べた。
「えっと、貴女が生きていけるようにお金や服、装備とかは支援しようと思っている。それを受け取ったら自由に生きていいんだぞ?」
(そんなに考えてくれていたんだ、優しい人だな)
仮面男の優しさに胸がじんわり暖まるのを感じる。
彼は戸惑っているが迷惑そうにしてはいない、と少女は思った。
少女は意を決して自身の感情を素直に伝えることにした。
「ボクが自由にしていいのなら、やっぱり君についていきたいな! ボクは君が気に入ったんだ。……ダメかな?」
誠意を伝えるために仮面男の目を見つめる。
仮面男は少し後ずさり思案した後、軽く頷いた。
「……分かった。とりあえず貴女はこのマントを羽織っておいてくれ。視認阻害能力があるから目立ちづらいだろう。貴女を宿に置いてから冒険者ギルドに向かう」
仮面男からマントを受け取り、羽織る。
つい本能に抗えずに匂いを嗅いでしまったが、とてもいい匂いであった。
洞窟から出ると、朝日が差し始めていた。
おもむろに仮面男は仮面を取り、朝日に目を細めていた。
少女は仮面男の素顔を見て、密かに頬を染めた。
(この人とずっと一緒にいられたら良いな……)
少女は希望を密かに胸に抱き、まずは名前を聞かなくてはと未来に思いを馳せた。
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