第39話 緊急避難

 何処かで見た顔だ。町娘を見て、孫一郎はそう思った。だが何処で見たのかまで思い出せるほどの余裕はない。


「おまえたちは何者だ、我らに何の用がある」


 おそらくは雪姫を追ってきたのだろう、そんな孫一郎の考えをあざ笑うかのように、町娘はこう言った。


「何だ、まだ話していなかったのかい、みぞれ」


 みぞれは真っ青な顔で立ち尽くしている。町娘の笑顔は邪悪に歪んだ。


「その子を迎えに来たんだよ。私たちの大事な客人だからね」


 しかしみぞれは強くかぶりを振った。町娘は首を傾げる。


「どうして。蝶よ花よの生活が待っているんだよ」


「嘘。道具に使うつもりのくせに」


 みぞれは震える唇から小さな声を絞り出した。


 それを聞いた町娘は、からからと高笑い。


「道具の何が悪い。人は皆、道具にならなきゃ生きては行けないんだよ。それが世の中ってものだから」


「嫌。そんなのは嫌」


 理不尽に対し立ち尽くすしかないみぞれの目の前に、背中があった。背の低い、なのに誰よりも大きく見えた背中が。孫一郎はみぞれをかばうように後ろに回すと、切っ先を町娘に向ける。


「何があったのかは知らない」


 そして腰を落として正眼に構えた。


「だけどこの子は渡さない」


 それを町娘は面白そうに眺めた。


「その子を渡してくれたら、他は見逃すって言っても?」


「くどい!」


「それじゃあ仕方ないね」


 左手の指をパチリと鳴らした。


 突然ナギサの身体が宙に浮いた。その首が背後から掴まれ、高々と持ち上げられている。持ち上げているのは、雪姫だった。


「いやあ、岸和田城を落とすのに使えると思って仕込んでいたんだけど、まさかここで役に立つとはね」


 町娘は笑った。孫一郎は慌てて雪姫を羽交い締めにした。だがビクともしない。ナギサも首に食い込む指を外そうと、もがいてはみたのだが、一本たりとも外れない。この華奢な身体の何処にこんな力があるのかと思うほどの怪力であった。


 町娘の笑い声が響く。


「ダメダメ、お姫さまを斬り殺さないと、その手は離れないよ。どうする? 法師さま死んじゃうよ」


「やめて、お願いやめさせて」


 みぞれは懇願した。町娘はかさにかかる。


「やめて欲しけりゃ、おまえがこっちに来る事だね」


「だめだ!」


 孫一郎は言う。だが雪姫の指はナギサの首に食い込む。もがくナギサの動きも鈍くなって行く。


「わかった、行くから、そっちに行くから!」


 泣き叫ぶみぞれの様子に満足したのか、町娘はまた指を鳴らした。


「雪」


 すると雪姫の手は、バネ仕掛けのようにナギサの首から離れた。倒れ込むナギサを孫一郎が抱きかかえる。


「法師殿」


 ナギサは気を失っていた。孫一郎はその口元に耳をあてた。息はしている。町娘は電磁障壁を刀で叩いた。


「術者を倒しても消えない壁か。本当に厄介だな。みぞれ、まずはこれを何とかして」


 みぞれは一瞬、躊躇ためらうような顔を見せたが、ナギサの隣にしゃがみこんだ。そしてナギサの額に手を当てる。




「小さな人」


 遠い暗闇からの声に、ピクシーは気付いた。


「おや、これは驚いた。僕を認識できるんだね」


「お願い、この見えない壁を消して」


 みぞれの思念波に対して、ピクシーは小さく踊ってみせた。


「僕が電磁障壁をコントロールしている事も理解しているのか。大した利発さだね。でもそれは無理だと言えるね」


「どうして」


「理由は二つ。第一に、僕はテンショウジ・ナギサ以外の管理者からの指示は受けられない。第二に」


 ピクシーはもったいを付けるかのように、一呼吸置いた。


「この電磁障壁を畳んでしまったら、君以外は全員殺されると言えるね」


 息を呑む気配が伝わる。しばしの沈黙のあと、みぞれは落ち着いた口調でたずねた。


「じゃあ、どうすれば」


 すると緑色のこびとは、ふん、と自慢げに鼻を鳴らした。


「ウェアラブル・デバイスの統合インターフェースである僕には、管理者の危機に際し、一度だけ緊急避難権限が与えられていると言えるね」


「?」


「まあ簡単に言えば……」


 ピクシーは一計を案じた。

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