第31話 門松

【顕如の日記】


天正十一年十二月二十七日


 今日は朝から刃傷沙汰があり、死人が出たという。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。寺内町の外ならいざ知らず、内側で人死にが出るというのは、何とも物騒だ。本願寺の沽券にも関わる。卜半斎は心配要らないと言うが、本当だろうか。何か厄介な事が起きていなければ良いのだが。


 しかし町はもう正月の雰囲気だ。そわそわと賑々にぎにぎしい。この、こそばゆさが心地良さに変わるのが、毎年不思議である。あと五つ寝れば正月だ。何事も起きないよう祈ろう。


 ◆ ◆ ◆




 カツン、カツンと何かを叩く音。何だろうと思ったナギサが路地から通りに出てみると、子供たちが羽子板で羽根つきをしている。かつての日本にそういう文化があったというのはナギサも知っているが、実際にその様子を目の前で見たのは初めてだった。そこに。


「こら! 正月はまだだって言ってるだろ! 遊んでないで手伝え!」


 母親らしき女が出てきて、子供たちを連れて行ってしまった。この時代には冬休みなんてものはない。子供も年末ギリギリまで働かされていたのだ。


 古き良き時代とは言うけれど、昔が何でも素晴らしい訳じゃないな、そんな事を思いながらナギサが通りの向こうに目をやると、知っている顔がやって来た。海塚と、息子の信吾だ。昼前に出かけたかと思ったら、信吾が肩に青々と茂った樹を一本かついで帰ってきた。クリスマスツリーを運んでいるかのようにも見えるのだが、何をしているのだろう。


「あれは松飾りだろうね。いわゆる門松であると言えるね」


 ナギサの視界の隅でピクシーが解説する。


「門松? 松の木が一本だけに見えるけど」


「この時代、普通の庶民の門松は、そこらの山から取ってきた松の木を、一本家の前に植えるだけだよ。松竹梅をあしらった門松なんてものは、大名か金持ちの所にしかないと言えるね」


 言われてみると、通りに面した家々の前にも、松の木が植えられている。


「ふーん、そうなんだ」


「法師さま」


 肩に松の木をかついだ信吾が、笑顔で走り寄ってきた。


「何か御用ですか?」


「いや、そういう訳じゃない。通りが賑やかだなって思ってさ。門松かい?」


「はい、今年は父上が忙しかったものですから、随分遅くなってしまいましたが、ようやく門松が立てられます。早くしないと歳神としがみさまに怒られてしまいます」


 楽しそうにそう語ると、信吾は走って路地の奥へと松を運んでいった。


「そんなに嬉しいものなのかな」


 何気なくつぶやいたナギサに、海塚が話しかけた。


「子供は正月を楽しむものでしょう。あなたは違ったのですか」


 海塚の手には注連縄しめなわが握られている。


「言われたらそんな気もしますけど、よく覚えていませんね」


「それはそれは。ところで古川さんは一緒じゃないんですか」


「孫一郎は本願寺の雪姫さまの所ですよ」


「何故一緒に行かなかったのです」


「え、いやあ、何て言うか、邪魔しちゃ悪いかなと思って」


 視線をそらすナギサに、海塚は呆れたように小さくため息をついた。


「要らぬ気をつかっていたら、あなた損しますよ」


 そんな言葉を残すと、海塚は路地へと入っていった。




 小石が宙を舞う。一つ二つ三つ、さらに四つ五つ。


「ほい、ほい、ほい、ほい」


 孫一郎は小石を右手で投げ上げては左手で受けを繰り返し、五つの石で宙に輪を描いていた。だが次第に体が右側に傾いていく。


「よっ、はっ、ほっ、あーっ」


 バランスが崩れると、孫一郎は横倒しに倒れた。上から小石が振ってくる。


 クスクスと笑い声が聞こえる。ここは本願寺の雪姫の部屋。岸和田城に比べると狭い殺風景な部屋だが、雪姫の笑顔は確かに以前より輝いていた。


「お上手ですね」


「ですが姫さま、『石なご』など女子おなごの遊びでございます。武家の嫡男がするものではありません」


 雪姫の後ろに座る鶴は少し顔をしかめている。


「そのように申すものではありませんよ、鶴」


 かばう雪姫に、孫一郎は照れ笑いを返した。


「いやあ、会津の家に仕えてくれている中に、つぶての扱いに長けた者が一人おりまして、その者に習ったのですが、それがしは不器用なもので、このくらいがせいぜいで」


 しかし雪姫は首を振る。


「いいえ、すごいです。私など、誰かに見せられる技なんて何もありませんもの。お茶もお琴も続きませんでした」


「あ、それがしもお茶は駄目です。何が良くて何が悪いのか、さっぱりわかりません」


 その一言に、雪姫が食いついた。


「そうですよね。難しいですよね」


「難しいです。でも、それで良いのではないでしょうか。誰にでも簡単に体得できるようなものに値打ちはありません。それがしや雪姫さまのようにできない者がいるから、できる者に値打ちが出るのです。できないのは恥じ入る事ではないと思います」


 そこにまた、鶴が横から口を出す。


「それは開き直りではありませんか」


「鶴!」


 厳しい声で雪姫は叱った。しかし孫一郎は笑顔でうなずく。


「いえいえ、良いのです。鶴殿のおっしゃる通り、これは開き直りです。と言いますか、開き直る事こそが大切なのだと、それがしは思います。雪姫さまも是非一度、開き直ってみてください。見える物が変わるかも知れません」

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