第3話 出会い
街道沿いに広がる岸和田の町は賑やかだった。あちこちのぞいてみたくもあったが、先立つものに余裕がない。孫一郎は早足で岸和田を抜け、貝塚に向かう。途中、岸和田城のそばを通ったが、特に感慨はなかった。孫一郎は会津の黒川城を見て育っているし、ここに来るまでに建設途中の大坂城も目にしている。それらに比べれば、岸和田城は小ぶりな城と言えた。
岸和田を抜けると、貝塚までは寂しい景色が続く。街道の左側には田畑も広がるが、今は十二月の年の瀬である。作物はなく、耕す人の影もない。街道を歩く人の影も一段と少なくなった。と、思っていると。
やけに目立つ集団がいた。走っている。違う、何かを追いかけている。女の子だ。まだ年端もいかない少女を、七人ばかりの大人たちが怒鳴りながら追いかけているのだ。孫一郎の足は、無意識に駆け出していた。
「面倒かけんじゃねえ!」
先頭の男が少女に追いつき、肩口を掴まえた。少女はその手を振り払う。だが、つまずいて倒れてしまった。男はにんまりと笑い、首筋を掴まえようと手を伸ばす。その手に、孫一郎は腰の刀を走らせた。男が驚いて手を引いた隙を見計らって、孫一郎は少女を背中に回す。
「何しやがる、このガキ!」
七人の男たちが孫一郎と少女を取り囲んだ。正面の男が大刀を抜き放つ。孫一郎は刀を正眼に構えた。
一番体の大きな男は、竹で編まれた籠を背負い、頭目らしき二番目に大きな男が大刀を持つ。他の連中は、手に手に短刀を握りしめている。イノシシの毛皮を身に
「おい、侍。その娘を渡せ」
男の一人が、短刀をぴらぴらとかざしながら言った。しかし孫一郎は
「あなた方は、この子の何ですか。まさか家族じゃありませんよね」
「何だと」
「人さらいではないのですか。ならば渡せません」
「カッコつけてんじゃねえよ。てめえの命が惜しくねえのか」
「もちろん命は惜しいですよ」
「だったら」
「でも、命だけが惜しい訳じゃないですから」
頭目らしき男が、刀を肩にかけてニヤリと笑った。
「この馬鹿、殺されねえとわからねえみてえだな」
男の大刀が跳ね上がった。大上段から唸りを上げて振り下ろされる。しかし孫一郎はそれを易々と受けた。しかも一歩踏み込み、強引に左手へと振る。大刀は男の手から簡単に奪い取られ、宙を飛んだ。
「……こいつ!」
小柄な孫一郎の体からは想像も付かない、その力技に男は唖然とした。
「この野郎!」
「ふざけやがって!」
短刀を持つ男たちは、距離を縮める。孫一郎が口を横一文字に結んだとき、視界に閃光が走った。
白昼の中天を裂く、一条の白い光。
孫一郎は見た。土埃の中から、人影が立ち上がるのを。冷たい風が土埃をかき消す。そこに居たのは奇妙な格好をした、肩までの長さの黒髪の女――たぶん女だ。意志の強そうな目にハッキリとした眉と口元。孫一郎は心がときめくのを覚えた。
「痛たた……まさか緊急脱出装置の転移が、こうも乱暴だとは」
思わず独り言が口をつく。ナギサは緑色の軍装の上に、無数の極小太陽電池を内蔵した黒のコートを羽織っていた。コートは緊急脱出装置の中で、自動的に纏わされるものである。ライフジャケットとしての意味があるのだ。
周囲には、小汚い格好をした男たちが七人転倒している。もしかして自分のせいだろうか。ナギサは当惑した。道は舗装されておらず、高層建築物も見えない。見知った景色ではなかった。
「ピクシー、ここは何処だ」
周囲を見回すナギサの視界に、緑色のこびとが踊る。コンタクトレンズ型をした眼球装着デバイスに表示される統合インターフェースは、ナギサの脳に楽しそうに絶望的な回答を寄越した。
「位置情報信号なし。照合に合致するデータを発信している衛星も基地局も存在していないというのが結論。そもそも電波の
「まさか、地球かどうかもわからないとか言うんじゃないよな」
「現段階では不明と言えるね」
「大気の状態は」
「やや乾燥しているけど、組成に問題はなし。呼吸のためには正常で清浄と言えるね」
「言葉遊びをするな」
「おい、てめえ、何者だ一体」
ようやく起き上がった男たちの一人がナギサに向かって怒鳴った。短刀を持った小汚い格好の男を、ナギサは驚きの表情で見つめた。
「言葉が通じるのか」
「解析するまでもない。使用言語は日本語であると断定して良いと言えるね」
ピクシーは踊る。ヤバいぞ。何がヤバいのかはわからないが、何だか厄介な状況下にあるのは間違いないようだ。どうしたものかとナギサは悩んだ。
「おい、何をぶつぶつ言ってやがる」
男は短刀をぴらぴらと振りながら怒鳴っている。しかしナギサは見て見ぬ振りをした。
「ではピクシー、もしここで戦闘状況に移行した場合、どうなる」
「バッテリーは一時間で限界になる。でも、その一時間の間は無敵と言えるね」
ナギサは基本的な護身術程度の戦闘訓練しか受けていない。軍籍を持つとは言え、あくまで研究員が職務である。そのナギサが無敵になれるとピクシーが判断している。それはすなわち、技術力の差である。それほどの差があるのなら、オクタゴンに戻るまでの間くらい何とかなるだろうか。向こうが無事なら、きっと探してくれているはずだし。などと思っていると、そこに。
「お下がりなさい!」
小柄な侍がナギサの前に回った。侍、で良いのだろう。刀は一本しか差していないし、ちょんまげも結ってはいないが、他の小汚い男たちと比較すれば、侍という呼び方がしっくり来る。侍はナギサに声をかけた。
「何処のどなたとも存じませんが、その
見れば小さな女の子がうずくまっている。どうやらこの子を助けようとしているらしい。
「お前に何ができるよ、このちび侍!」
短刀を振りながら、小汚い男が一歩迫った。しかし次の瞬間、その男は突然泡を吹いて真後ろに倒れた。
「なんだとっ」
そう声を上げて一歩下がった隣の男も、急に体を震わせるとバタンと後ろに倒れた。
「な、おい、どうしたんだよ、お前ら」
他の仲間が、倒れた男たちに駆け寄る。何が起きているのか理解出来ず、混乱しているようだ。
「あらあら、
ナギサの言葉に、みるみる男たちの顔色が変わって行く。別に魔法の力を使った訳ではない。男二人を倒したのは、ナギサのコートのポケットの中にある、マイクロウェーブ式の無線スタンガンなのだが、周囲にいる者たちを見る限り、それを理解できる文化文明を持っている世界の住人には思えなかった。故に説明はしない。
「おまえら、次に会ったらタダじゃ置かねえぞ」
そんなありふれた捨て台詞を吐きながら、小汚い男たちは、倒れた仲間二人を連れて逃げて行った。後にはナギサと小柄な侍、そして少女が残った。
「妙な恰好をした
小さな侍が目を輝かせてナギサを見つめる。ナギサはピクシーに小声でたずねた。
「ホウシって何」
「徳の高い僧侶への呼称であると言えるね」
もしかして、黒いコートが
「いや、法師とかっていうか……まあその、似たようなものではあるけど」
ナギサの視界の隅でピクシーが踊る。
「潜宙艦のオペレーターと法師って似てるのか。それはないと言えるね」
「ややこしくなるから黙れ」
「いかがいたしましたか、法師殿」
「いや、何でもない。こちらの話。それより」
ナギサは少女に目をやった。疲れ果てた様子の少女は、うずくまったままだ。
「キミはこの近所の村の子かい。家の近くまで送っていこうか」
そう言うナギサに、少女は無言で首を振る。侍は、しゃがんで顔をのぞき込んだ。
「では何処から来たのだね。名前は何と言うのかな」
しかし、少女は無言で首を振るのみ。
「もしかして、口が利けないのかな」
そのナギサの言葉を肯定するように、少女は押し黙ってしまった。
「これは困ったな」
侍が頭をかく。ナギサも困惑した。いかにナギサが文明の利器を身につけていると言っても、人間の頭の中をのぞくような装置は持ち歩いていない。
「どうしたものか。放り出して行く訳にも行きませんし……そうだ」
侍は何かを思いついたらしい。
「何か
「はい、貝塚の本願寺さまで、たずねてみようと思います。近隣の事に詳しい方もおられるでしょうから」
「貝塚本願寺!」
ナギサの視界の中で、緑色のこびとが激しく踊った。楽しげな声がナギサの脳に響く。
「もし仮にここが過去の日本だとするなら、本願寺が貝塚に移ったのは西暦一五八三年、天正十一年七月の事だ。つまりこの場所は、安土桃山時代の和泉国南部の可能性があると言えるね」
ナギサは瞠目した。
「え、ちょっと、それってつまり」
「そう、つまり貝塚本願寺をセンタースポットに固定すれば、おおまかな地図情報を作成する事が出来ると言えるね」
ナギサは小さく首を振る。
「いや、違う違う。そうじゃなくて。タイムスリップしたのかって事」
「それはまだ確定できない。しかしそれに準ずる状況にあるのは間違いない。厳密にタイムスリップであるかどうかは、大した問題ではないと言えるね」
「いやいやいや、こっちにとっちゃ大問題だから」
「法師殿、いかがされましたか」
侍が、キョトンとした顔でナギサを見つめている。
「いや、何でもない。ホント、何でもないから」
「はあ。では、それがしはこの子を連れて本願寺さまに参ります。イロイロとありがとうございました」
ペコリと頭を下げた侍に、ナギサは思わず駆け寄った。
「いやいやいや、ちょっと待って」
「は?」
「いや、その、そ、そうだ、私も本願寺に行こうかな、と思ってたんだ」
「おや、そうだったのですか。奇遇ですね」
もちろんデマカセである。だが、いくら場所や時代が特定出来ても、いくら便利な道具を持っていても、今この状況で一人で放り出されるのは、とてもじゃないが勘弁して欲しい。幸いこの侍は悪人ではないようだし、ついて行ける所までついて行かねば。
「まあ、あれだ、何と言うか、旅は道連れって言うじゃない」
「そうですね、これも何かの縁でしょう。では一緒に参りましょうか」
そう言って、ちょっと頬を赤らめた侍の笑顔に、ナギサは心底ホッとした。
「ああ、そうだ。まだ名前を言ってなかったっけ。私はナギサ。テンショウジ・ナギ
サ」
「ナギサ殿ですか。それがしは古川孫一郎と申します。よろしくお願いいたします」
孫一郎は少女の手を引いて立たせると、着物についた埃をはらってやった。そして三人は連れ立って紀州街道を南へと歩き出した。
三人から、およそ百メートルほど離れていただろうか、街道の北側に居た旅姿の四人の男が、笠を寄せ合い小声で話している。
「ふう、肝を冷やした」
それはまだ若い声。
「心配のしすぎだ。あの程度の連中なら、孫一郎さまでも遅れは取らん」
叱るような中年の男の声に、若い声は反発する。
「だが親父」
それを手で制して、親父と呼ばれた男は他の三人を鋭い視線で見やった。
「甚六と与兵衛は孫一郎さまについていろ。太助は俺と来い。さっきの連中の根城を確かめておく」
「あいつらに何かあると思うのか」
甚六と呼ばれた若い声が問う。
「それを確かめに行くのだ。連中がただのゴロツキなら、それに越した事はない。しかしこの時代、誰が誰とつながっているか知れたものではない。念には念を入れねばな」
「では六衛門さま、つなぎはどういたします」
そうたずねたのは与兵衛と呼ばれた若者。
「この先、寺内町よりも手前に
親父すなわち六衛門の言う惣堂とは、村はずれ、もしくは村と村の境に立てられていた仏堂であり、村全体の管理下にあった。そして多くの場合、村の者だけではなく、旅の者が勝手に寝泊まりする事を黙認されていたのだ。この時代、日本中の大抵の村では、様々な理由――主にセキュリティ面であるが――から
「なあ親父、やっぱり俺が一緒に行った方が良くないか」
甚六の言葉に六衛門は微笑みを返す。
「どうした。何か心配なことでもあるか」
甚六は口をつぐんだ。
「確かに、おまえの腕は当てになる。しかしだからこそ、孫一郎さまについていた方が良い。わしらの役目は
「……わかった」
六衛門の言葉に、甚六は渋々うなずく。そして四人は二手に分かれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます