5-1
結論から言うと、喜多の告白は保留となった。
後日、いつものプレハブ小屋の中で膝をつき合わせるようにして報告を受けた陽史は、肩が落ちるのを気取られないようにしながら、喜多の言葉の続きを待った。
「でも、考えられないと断られるのを承知で告った身からすれば、十分な成果だ。一人で茉莉を産んで育てていることからもわかると思うが、あんなにふわふわしているのに、みさきは昔から頑固でな。一生独身を貫き通すんじゃないかと思っていたから、『真剣に考えるから、いったん保留にさせてほしい』というのは思いもよらない返事だったんだ」
そう言ってふうと一つ息を吐く喜多は、一世一代の告白を終えてほっとしたような表情で陽史の様子を窺う。ひょっとして〝そこで満足してないで、もっとガンガン押しましょうよ、チャンスじゃないですか〟なんて言われると思っているのだろうか。
そう言ってほしそうな空気もなんとなく感じて、陽史はしばし言葉に詰まる。
でもそれは、自分の口から言うことではないと陽史は思う。
思いを伝えられて満足はした。けれど次の瞬間には、喜多はその先のことを真っ先に考えたはずだ。母子のこと、自分のこと、三人の関係性や、本当の父親のこと――。
そしてその中心には茉莉がいて、喜多は茉莉の気持ちを一番に考えている。
「これだから喜多さんは。俺に発破をかけてほしいわけでもないだろうに、何を物欲しそうな顔をしてるんですか。喜多さんが茉莉ちゃんをすごく大事に思ってることは、これでもかってくらい、みさきさんに伝わってますよ。茉莉ちゃんだって喜多さんを大事に思ってるから、少しでも休んでほしくてパーティーに呼ばなかったんじゃないですか」
「それは……」
「それとも、みさきさんたちと過ごしてきた時間に自信がないんですか? いろいろ不安はあると思います。みさきさんの気持ちもそうですけど、茉莉ちゃんの気持ちも……そのほかのことも。けど、喜多さんの中でもう答えが出てるじゃないですか。その気持ちがみさきさんや茉莉ちゃんの心を動かすんだって、俺は思ってますよ」
「……泰野」
口で言うほど簡単なことではないだろう。もし仮に、これから先のどこかの時点で、みさきと茉莉の父親が再会しないとも限らない。でも、そうなったとしても喜多は母子のことを一番に考えるはずで、けしてそこに後悔のない結論を出すのだ。みさきだって、喜多がそこまでのことを考えてした告白なのだと気づいていないわけがない。
だから、まだまだ青二才の陽史が言えることは、せいぜいこれくらいだ。ただ、その言葉の端々から喜多の幸福を心から願う自分の気持ちが伝わっていればいいなと思う。
「――まあ、こればっかりは時の運だからな。これからどうなるにしろ、俺は俺の道を行くことになるだろうし、その前に早く就活を終わらせないと、さすがにキツい」
すると、場を仕切り直すように喜多が言った。
……確かに。卒業してもその先が白紙の状態では、さすがにキツいものがある。三十歳目前でプー太郎だなんて、ますます茉莉にバカにされること請け合いだろう。
いや、ポーズだけで、けしてバカになどしていないだろうけれど。なんというか、喜多のプライドや沽券の問題だ。こちらも上手くいくことを願うばかりである。
「そうですよ。頑張ってくださいよ、マジで」
「ああ。頑張るしかない」
茉莉やみさきだって、早く以前のように喜多とメシを食いたいだろうし。
*
そうしてひとまず茉莉とのメシ友は陽史が継続することとなり、長い夏休みが明け、大学は後期日程が始まった。和真も横手から戻り、さっそく芳二宅へ秋田土産を届けに行くなど、陽史の大学生活はいつも通りのリズムを取り戻していった。
やがて秋が深まり、厚手のコートにマフラー、手袋が必需品となった冬の始まり。
約半年に及ぶ喜多の就活がようやく終わりを迎え、彼は見事、小さいながらも広告代理店への就職が決まった。芳二とも相変わらず飲み友達を続けていた陽史は、その吉報を受けた週の週末、茉莉やみさき、和真も誘って芳二宅で喜多の就職祝いを計画した。
「ほんとすごいよ、喜多君。ハンデなんてもろともしないで内定をもらうなんて」
会も終盤。楽しくてすっかりテンションが上がり、満腹になると電池が切れたように眠ってしまった茉莉の頭を膝に乗せながら、みさきがしみじみ言う。
いつだって芳二のメシは最高だ。今日は本日の主役である喜多の好きなメニューが所狭しと卓袱台に並び、その数、ざっと数えて十品はあっただろうか。料理を前に喜多ならずとも全員の目が輝き、中でも茉莉は、鶏肉や銀杏、シイタケや三つ葉と具沢山の、とろとろ食感の茶碗蒸しがえらく気に入ったようで、みさきならいざ知らず喜多のぶんまで欲しがり、結局ほとんど食べられずに代わりにみさきが食べることになった。
食べ逃した形になった喜多は、最終的に「多めに作ったから」と芳二から新たな茶碗蒸しをもらって事なきを得る。そんな一幕に集まった全員が声を上げて笑った。
卵はパンチがある。茉莉の胃袋では二つを平らげるので精いっぱいだったようだ。
そんな茉莉の愛くるしい姿を思い出したのだろう。口元に柔らかな笑みを浮かべると、
「いや、そんなことは……。今までサボりにサボったツケなんだな、どこの会社に行っても面接で突っ込んで聞かれるのはそのことで、正直、何度も心が折れかけた」
喜多はふるふると首を振り、茉莉の寝顔を眺めながら、次いで苦笑を浮かべた。
喜多は何も言わないが、その表情を見るに相当突っ込まれたのだろう。喜多の人となりを知っている身としては中身を見てくれと言いたいところだが、それはこちらの我儘だ。何度も心を折られかけ、そのたびに必死で気持ちを奮い立たせた結果が今なのだ。
「次は俺らの番かあ……。なんか、今からめちゃくちゃ気が重いわ……」
「――あ、ああ」
喜多の就活状況に戦々恐々といった様子で、な? と同意を求める和真に、しかし陽史は気持ち半分で相づちを打つ。来年は自分たちの番――それはわかっているが、喉に小骨が刺さったように、どうにも〝就活〟の二文字がしっくりこないのだ。
「……なしたの、陽史」
「いや、自分のやりたいことがこんなにはっきりしてるのに、わざわざ就活をする必要なんてあるのかなと思って。ついでに言うと、福祉か経営の分野に転科もしたいんだよね。実家の親にはまだ言ってないけど、俺の中でもう心が決まっちゃったからさ。次は俺らの番だってわかってても、心境的には今ひとつピンと来ないっていうか」
和真に聞かれ、陽史はここ数ヵ月の間、ずっと考えていたことを口にした。
普通の飲食店じゃ足りない。でも一番に提供したいのは温かなメシだ。かといって、これまで喜多がやってきたようなメシ友ともまた、ちょっと違う――そういう場所を作るには何が必要で、どんなことをしなければならないか、陽史はそれをずっと考えている。
そのために転科が必要ならば、するつもりだ。どうせこれまでだってなんとなく籍を置いてきたんだし――と言っては親や和真、教授にも申し訳が立たないけれど。
でも、だからといって見つけた目標に目をつぶって就活をする気にはなれないし、仮にそうしたところで、きっと面接官に見透かされてしまうだろう。いや、陽史自身が〝なりたい自分〟を見つけたのだ。あとは説得させられるだけの覚悟を示すだけだ。
「それって……」
「うん。俺、メシを食った人が心から笑顔になれる場所を作りたい。寂しかったり、一人で食うメシが味気なかったりしたときに、ふとまたあそこに行ってみようって思ってもらえるような、そんな場所が。そこではお客さんはみんな家族みたいでさ。理想だけど、食い終わって帰ってからも一人じゃないんだってしみじみ思えるんだ。そんな場所を作るには、今の科じゃ分野が違いすぎるだろ? それが喜多さんをきっかけに出会った人たちから学ばせてもらったことなんだよな。急だと思うけど、これが今の俺の気持ち」
にわかに身を乗り出しはじめた和真、話に耳を傾けていた喜多にみさき、晩酌中の芳二の視線を方々から受けつつ、けれど陽史は全員の顔を見回し言葉を紡いだ。
具体的なことはまだ何一つ決まっていないし、経営を学ぶにしろ、福祉を学ぶにしろ、一体どこから手を付けたらいいかも正直わからない。でも、それでも、どうしてもやってみたいのだ。少しでいい。ほんの少しだけでいいから、触れ合った人たちに心から美味いと思えるメシを食べてもらい、腹の中に明日を生きる力を注いでやりたい。例えば芳二のように。彩乃や緒川、みさきや茉莉。それから、この道を示してくれた喜多のように。
彼らから学んだのは、〝メシ〟が持つ力は、ときに言葉より雄弁であること。
心から一緒にメシを食いたいと思う相手とメシを食う――そのきっかけ作りになれたなら、それだけで陽史は満腹だ。だって、これ以上の幸福はないのだから。
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