3-1

 それから二週間。

 盛夏の頃とは違い、朝夕は若干肌寒さを感じるようになってきた夕空のもと、陽史は今週も茉莉とのメシ友の日を迎えた。場所は初めて待ち合わせしたファミレス前だ。

 こちらはまだ夏休み中の手前、毎日でもいいと思っていたのだが、よくよく考えれば茉莉には学校がある。九歳の女の子をそう毎日遅くまで出歩かせるわけにはいかず、みさきと話して毎週金曜日の夜にメシ友をするということで話がまとまっていた。

「一週間ぶりだね、茉莉ちゃん。さっそくだけど、今日も芳二さんのところでいい?」

 三回目ともなれば、陽史も少し手馴れてきた感がある。茉莉と目線を合わせるようにして屈むと、前回、前々回と喜んで向かった芳二宅へ今週も誘ってみることにした。

「あ、うん。芳二おじいちゃんのご飯、すっごく美味しいし……迷惑じゃなければ」

 すると茉莉は若干モジモジしながらもすぐに首肯した。最後に付け足した言葉に勢いよく首を振って、陽史は「んなことあるわけないって!」と明るく否定する。

 毎週、足しげく通ってきてくれる孫が迷惑なわけあるものか。可愛いし、なんでも美味そうに食べるし、寝顔を見ているだけで幸せな気持ちにさせてくれるのだから。

 みさきが迎えに来て帰ったあと、先週も芳二と飲んだのだが、その際もつい今しがた帰ったばかりだというのに芳二はもう次の機会が待ち遠しくてならない様子だった。茉莉はどんな料理が好きだとか、苦手な食べ物はないかとか、それとなく陽史にリサーチしろとけしかけるくらいで、芳二のほうも俄然、手料理に気合いが入っているふうだ。

「でも、その前にちょっと寄りたいところがあるの。ハタノさん、いい?」

「あ、そうなんだ。いいよ。どこ?」

「……えと、本屋さんと雑貨屋さんなんだけど」

「うん」

 そこで陽史は、ふと思い出す。

 そういえば茉莉は先週、芳二宅へ向かう道中で何軒かの雑貨屋や本屋の前で、店頭に並ぶ商品に目を留めていたようだった。かといって手に取るわけでもなく、店の中に入るでもなく「茉莉ちゃん?」と呼ぶとすぐに陽史のあとをトコトコと付いてきたのだが、もしかしたら学校の友達の誕生日が近く、プレゼントを選びたかったのかもしれない。

 茉莉が雑貨屋の店頭で目に留めていたのは、花柄の綺麗なハンカチだった。

 それは悪いことをした。まだ間に合うといいんだけど、と思いつつ、まずは通り沿いにある雑貨屋に向かい、陽史は商品を手に取って眺める茉莉の傍ら、芳二に『今日は着くのがちょっと遅くなるかもしれない』という旨の連絡を入れる。

 芳二は快く了承してくれ、陽史も少し遅れて茉莉の隣へ並ぶ。

「芳二さん、美味いの作っとくから、だって。急いで選ばなくていいからね」

「うん。ありがとう、ハタノさん」

 この前と同じようなハンカチを手に取っていた茉莉は、ほっとしたように笑った。

 きっと茉莉は、自分が寄り道することで芳二がせっかく作ってくれた料理が冷めてしまうと気に病んでいたのだろう。陽史にも、自分の都合で付き合わせてしまうことに気後れしていたのかもしれない。だから先週から言い出せなかったし、さっきも何か言いたそうにモジモジしていたのだろう。てっきり毎週のように芳二の家でメシを食うことを指していると思っていたのだが、実際のところは少しばかり事情が違ったようだ。

 九歳の女の子に気遣われる自分って一体……。

 やっぱりみさきの子だなと納得する反面、自分の察しの悪さが胸に痛い陽史だった。

「あっちにキャラ物のハンカチもあるよ。レターセットも、なかなかいいんじゃない?」

 とはいえ、勝手に落ち込んでいるわけにもいかない。母子のために就活を頑張っている喜多のためにも今の自分にできることはしなければと気持ちを切り替え、友達に渡すプレゼントなら可愛いものもアリだろうと、茉莉に提案してみる。

 花柄のハンカチを手に取っているということは、渡す相手は女の子だろう。自分で使うにしては大人びているようにも思うし、ちらと見ると値段も高めの設定だ。

 今の小学生女子が好きなものは陽史には想像もつかないが、もう少し選ぶ範囲を広げてみてもいいかもしれない。可愛いものなら、ほかにもたくさん揃っている。

「うーん……。プレゼントはプレゼントだけど、大人っぽいものをあげたくて」

 しかし茉莉は、申し訳なさそうに首を振る。キャラクター物のハンカチが置いてある棚には目もくれず、その後も何枚か大人っぽいハンカチを手に取り、真剣に選び始めた。

「そっか。てか、あげるものはハンカチで決まりなの?」

「うん。いつも持ち歩けて使えるものっていったら、ハンカチかなって」

「なるほど。実用性も兼ね備えたものってことか。あげる相手が同じ学校の友達なら、やっぱハンカチがいいかもしれないね。喜んでくれるといいね、その子」

「……うん」

 言うと茉莉の返事がほんの一拍、遅れたような気がした。何の気なしに言った台詞だったが、なんとなくまだ言い出せないことがあるんじゃないかと思わせるようなそれに、しかし陽史はどこまで突っ込んで尋ねていいか、やはり判断が難しい。

 まさか友達とケンカしてるとか?

 それならまだいいが、いじめに発展するかもしれない火種を抱えていたり、もうすでにそんな目に遭っていたりしたら、なおのこと慎重に慎重を重ねなければならないだろう。

 芳二のところに行ったら早めに相談しよう。きっとまた、何を怖気づいているんだかと言われるだろうが、でも、一番助けを求めたい存在はみさきなはずで、反面、一番知られたくない相手もみさきなはずだから。普段から茉莉の様子に気を配ったり咄嗟のときに動ける人間を多く作っておくことで、何かしら母子の助けになれればと思う。

「うん。これに決めた。ハタノさん、ちょっと買ってくるね」

「――あ、うん。じゃあ俺は店の外で待ってるよ」

 そんな陽史の懸念などどこ吹く風で、茉莉は思いきったように最初に手にしたハンカチを持ってレジに向かっていった。散々悩んだようだが、どうやらそれが一番気に入ったらしい。弾むようにレジに向かう姿は、懸念なんて少しも感じさせないくらい軽やかだ。

 それから二人は雑貨屋近くの本屋へ入った。

 漫画雑誌やコミックスが欲しいのかと思いきや、茉莉が真っ先に手に取ったのは手作りお菓子のレシピ本だ。その棚の前でも茉莉は真剣な表情そのもので、何冊も中身を確めては、声に出さないまでも難しそうだな、という表情を覗かせる。

「ごめんだけど、茉莉ちゃんにはまだ早いんじゃない?」

 まったく手に負えない、と言った様子でため息をつきつつ次の本を手にする茉莉に、陽史はたまらずそう口にしてしまう。作ったことはないし、いらぬお節介なのもわかっている。が、九歳という年齢を考えると、さすがに早すぎるだろうと思うのだ。

 友達のために頑張る姿は見ていて応援せずにはいられなくなるものの、茉莉が開くページを見るに、作ろうとしているものがケーキやシュークリームといった手のかかるものである以上、懸念事項を抱えているこちらとしては、あとのことが気がかりでもある。

 もし受け取ってもらえなかったら、茉莉は深く傷ついてしまうことになる――。

「もう。ハタノさんはあっち行っててください」

 すると茉莉は、今度は怒った。ぷっくりと頬を膨らませ、開いたページを隠すように胸の前に抱き寄せる。まだ早いと言われて気を悪くしたようでもあった。横槍を入れられたことで、なかなかにご立腹らしい。そんな表情も可愛いの一言しかないのだけれど。

「ご、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど……。じゃあ、俺はコミックスのコーナーにいるから。終わったら声かけて。そしたら芳二さんのところに行こう」

「……はい」

 それからしばし、茉莉とは別行動を取ることになった。

 とはいえ、陽史にはこれといって欲しいコミックスもなく、早々に飽きてしまう。結局は五分と経たずに茉莉の近くに戻り、そこにあったツーリング雑誌や旅行雑誌を眺めるふりをしながら、真剣にレシピ本と睨めっこするその様子を見守るほかなかった。

 なんとなく目に留まった『行こうよ、東北』という旅行雑誌の岩手県コーナーを斜め読みしつつ、ふと、茉莉をここまで真剣にさせる友達とはどんな子だろうと思う。

 茉莉にとってそれだけ大事な友達であることは間違いないはずだが、傍から見れば茉莉ばかりがひどく献身的に映る部分もあり、陽史の胸中は、なかなか穏やかではない。

「――あ」

 と、その茉莉が悩みに悩んだ末、一冊の本を抱えてレジへ向かった。

 陽史は慌ててコミックスコーナーへ戻り、数分後、「お待たせしました」とやって来た茉莉に「じゃあ、そろそろ行こうか」と何食わぬ様子を取り繕う。

 さっきとは変わって「はい!」と表情を綻ばせる茉莉は、どうやら気に合う本が買えたらしい。追い払ったあとも陽史が様子を窺っていたことにも気づいていないようで、覗き見みたいで申し訳ないなと思う反面、ほっと胸を撫で下ろすような思いだ。

 とにかく、茉莉がつらい思いをしなければ、それだけでいいのだ。そのために自分はいて、芳二だって喜多だって、茉莉のためならいくらでも力を貸してくれる。

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