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 そんなことを思い出しつつ店の外から中の様子を窺っていると、ふと隣に人の気配を感じて、陽史はそちらに目を向けた。見るとクリーム色地に可愛らしいクマのイラストがプリントされた手作りのレッスンバッグを両手に持った小学校中学年くらいの女の子が、なかなか不審な行動を取っていた陽史のことをじっと見上げていた。

 耳の上あたりで結んだツインテール。髪ゴムには白と薄いピンク色の小さなボンボンが二つずつ付いていて、陽史を見上げるその目は、なるほど喜多から見せてもらった写真の茉莉と同じ、少し垂れ気味で大きく、とても澄んだ色をしている。

「……あ、もしかして太田茉莉ちゃん?」

 変なところを見られたと少々バツが悪くなりつつ、陽史は腰を屈めて目線を合わせ、少女に尋ねる。すると少女は小さくこくりと頷いたので、どうやらこの子が茉莉で間違いないらしい。しかし陽史は、ほっと息をつく間もなく言葉を続けた。

「えっと……お母さんや喜多さんから聞いてると思うけど、俺、喜多さんの代わりにしばらく一緒にご飯を食べることになった泰野陽史っていうんだ。ハタノでもハルフミでも好きに呼んでくれていいよ。……そ、そのバッグはお母さんの手作り? 可愛いね」

 学童クラブでバイトでもしていなければ、これくらいの歳の子とはなかなか触れ合う機会がない。何を話題にしたらいいかも、どんな話をしたらいいかも陽史にはさっぱり見当がつかなかったので、ひとまず自分の氏名を名乗り、持ち物を褒めることにした。

 その一方で茉莉を前に必要以上にまごまごしてしまい、ひょっとして道行く人に変な目で見られてやしないかと妙に他人の視線が気になって仕方がなかった。

 今のご時世、何がきっかけでどんなことが起こるか、まったくわからない。子供を相手にする場合、一番気を付けなければならないのは〝他人の目から自分はどう見えるか〟だろう。もっとも、こちらはやましい下心なんて微塵もあるはずもないのだけれど。

「あんまりキョロキョロしてると、かえって怪しまれちゃいますよ」

 すると茉莉がクイ、と陽史のシャツの裾を引いた。

 必然的にさらに腰を屈まされる形になると、

「わたし、考えてきたんです。ハタノさんは親戚のお兄ちゃんかなって」

 茉莉はそう耳打ちし「今日からよろしくお願いします」とぺこりと頭を下げた。

「あ、こちらこそ」と陽史も慌てて頭を下げ返しながら、確かにと思う。

 陽史には童女趣味などない。普通に同年代の女の子が好きだし、恋愛対象だってそれくらいの年齢だ。茉莉が注意してくれた通り、変に周囲を気にしていてはあらぬ疑いをかけられてしまうかもしれない。ここは茉莉の提案に乗って、自分は〝親戚のお兄ちゃん〟くらいの距離感でいればいいのだろう。堂々としていれば周囲も何も思わないはずだ。

「じゃあ、とりあえず入ろうか。何が食べたい? なんでもいいよ」

 気を取り直し、陽史は店の出入り口のほうに目を向けた。まだ若干、席に余裕はあるようだが、そろそろ本格的な晩ご飯時なので早めに入っておいたほうがいいだろう。席についてからだって食べたいメニューを選ぶ時間はたっぷり取れる。

「あ、えっと……ごめんなさい、メニューはアキナリとだいたい食べ尽くしちゃって、今日も特に食べたいものもないんです。……お腹は空いてるんですけど」

 けれど、茉莉の反応は芳しくなかった。

 でも、それも仕方がないかもしれない。陽史の場合、今の茉莉くらいの年齢のときは親に『今日は外食にしようか』と言われるとテンションが上がったが、みさきにのっぴきならない事情があり、茉莉も理解しているとはいえ、その〝今日は外食〟が頻繁に続けば、当然メニューもほとんど味を知っているし、食べたいものもなくなってしまう。

 小学三年生という年齢のわりに早成しているというか、そんなのいらないのに一人前に大人への気遣いを表情に滲ませる茉莉に、陽史は早くもタジタジになる。

 え、今の小学三年生ってこんなに大人なの……?

 育った環境や時代、性別もあるだろうが、自分がその年頃の頃なんて、いたずらをして先生を困らせたり、ランドセルの底に宿題のプリントを押し込めたままぐしゃぐしゃにしてしまったり、日が暮れるまで外で遊んで親に心配をかけたりと、周りの大人がどう思うかなんてまるで考えていないような毎日を送っていた気がするのだけれど。

 まあ、腹は減っている、と付け加えたところは年齢通りの幼さや可愛らしさが見て取れたものの、やはり多少なりとも環境によるところもあるのかもしれないと思うと、茉莉とどんな距離感で接していけばいいか、よくわからなくなってきてしまう。

 とはいえ、喜多が一番大切にしてきただろう茉莉とのメシ友を一任された以上、陽史にはみさきが迎えに来るまで茉莉と共に過ごし、一緒にメシを食べなければならない。それが喜多との約束で、仕事の都合でまだ会ってはいないが、みさきからの頼みだ。

「いや、謝んないでいいよ。じゃあ、ここからあんまり離れない範囲にある別のお店に行ってみようか。確か美味いラーメン屋があったはずだし、じゃなかったらサンドイッチやバーガーなんかをテイクアウトして、公園とか近くのベンチで食べてもいいし」

 ぐるりと周囲を見回しながら提案してみる。

 女の子にラーメンはさすがにないかもしれないが、いくら小学生でも女子は女子だ。彩りや盛り付けが綺麗な――俗に言う〝映える〟見た目のものなら食べたい気持ちが湧くかもしれないし、そうでなくてもほかに食べたいものが出てくるかもしれない。

 けれど茉莉は、眉を下げると申し訳なさそうに首を振った。

「……わたし、本当は手作りのご飯が食べたいんです。わがままだってわかってるけど」

 そして、おずおずと。本当におずおずと、陽史の顔色を窺いながらぽつりと言う。

 その目を見たとき、陽史は茉莉が抱えるもう一つの寂しさを知った気がした。

 おそらく茉莉は、誰かと一緒にメシを食うだけでは満たされないのだ。

 もちろん喜多と食べるメシも好きだし、みさきだって時間が許す限りご飯を作ったり一緒に食卓を囲んだりしているはずだ。けれど茉莉は〝もっと〟と思っているのだろう。

 もっと一緒にいたい。もっと一緒にご飯を食べたい――。

 でも、忙しい姿や疲れて帰ってくる母の姿を見ると、どうしてもその気持ちが言えなくなってしまうのではないだろうか。その思いを喜多にこぼせば、そのうちみさきにも伝わるかもしれない。そうしたらみさきは、自分との時間を作るためにますます忙しくなるかもしれない。そんなことを思って喜多にも言い出せなかったんだとしたら……。

 ――だったら。

「茉莉ちゃん。スマホ持ってる?」

「え?」

「今からとっておきのところに連れて行ってあげる」

《派遣メシ友》を始めて唯一、今でも交流が続いている人を頼るしかない。

 その人は毎日三食自炊しているし、その手から作り出される料理はべらぼうに美味い。しかも、連絡もなしに突然行ってもなんだかんだ手料理を振る舞ってくれる。

 ぱちぱちと目をしばたたかせる茉莉に軽く目配せをし、陽史は続けた。

「でもその前に、お母さんから許可をもらわないと。いくら俺が喜多さんの知り合いだっていっても、会ったこともない男に愛娘を預けるんだから、今も心配で心配でしょうがないはずでしょ? だから俺から直接、お母さんと話をさせてほしいんだ」

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