4-2

「あー。片付いてると、やっぱ居心地いいわー」

 部屋に着くと、陽史はまずベッドにうつ伏せにダイブした。さすがに体のあちこちが痛く、また疲労も溜まっていて、仰向けになってぐーっと伸びをすると、凝り固まった全身の関節がポキポキ、ゴキゴキとそれぞれにいい音を鳴らして広がっていった。

 そのまま頭の後ろに手を組み、ぼんやりと天井を眺める。

「……もう足踏みしてる理由はないよな」

 ぽつりと呟くと、自然と充足感に満ちた笑みが広がっていく。

 この二日間で考えていたのは緒川のことだけではなかった。これからの自分がどうなりたいか、どうなっていきたいかも、緒川の姿を通して答えを模索していた。

 電話が着信を知らせたのは、ちょうどそのときだ。

「はい、もしもし」

『おー泰野。この間は悪かったな。あれから緒川さんはどうなった?』

 何の気なしに出てみると、それは喜多からの着信だった。謝罪もそこそこにさっそく緒川のことを聞いてきたことを察するに、喜多も喜多で相当気になっていたらしい。

 しかもあのときは〝あとのことはお前に任せる〟とか言っておきながら、その実、陽史がそのあと《派遣メシ友》に向かったことを微塵も疑ってもいない口振りだ。

 まったくこの人は……。

 電話口でふっと苦笑してしまいつつ、起き上がって陽史は答える。

「緒川さんなら今、奥さんと息子さんのところへ車を走らせてる最中じゃないですかね。着くのは夜中になるはずなんで、きっとみんな寝てると思いますけど」

『……泰野、お前すごいな』

 すると心底感心したように喜多がほうと息を吐いた。緒川から喜多と知り合った経緯を聞いて、彼がどんな思いで緒川とメシ友をしていたのかを知っている陽史は、

「けど、喜多さんだってすごいじゃないですか」

『何がだ?』

「聞きましたよ。緒川さんと無償でメシ友をしてたそうじゃないですか。緒川さん、すごく感謝してました。仲直りしたら奥さんにも俺らのことを紹介したいからって言って、人が変わったように精悍な顔つきをして二人を迎えに行きましたもん。知り合ったそのときから頑張ってた喜多さんのおかげです。喜多さんが一番頑張ったんじゃないですか?」

 いつも唐突に《派遣メシ友》を請け負わさせられることへの、ちょっとした復讐のつもりで、わざと含みを持たせるような言い方をした。これくらいなら別にいいだろう。《派遣メシ友》で繋がっているのは、なにもそれを利用する相手と喜多、もしくは陽史だけとは限らない。派遣先に赴く喜多と陽史だって、こうして繋がっているのだ。

『な……っ』

 珍しく言葉に詰まる喜多に、陽史はしめしめと思う。緒川が言うには、これまでの陽史の一挙手一投足に感化されているという。その点でちょっとだけ鼻が高い気分だ。

『ん……でもまあ、緒川さんが思いを行動に移せたんだから、よしとするか』

「そうですよ。家族思いのくせに、それを伝えるのが下手なんですよね、緒川さんは。奥さんだってそれをわかってないわけではないと思うんです。けど、俺の母も言ってましたけど、ただでさえ生まれたばかりの新生児の子育ては壮絶なんだそうです。それを一人でこなしてたんですから、実家を頼りたくなっても誰も責められることじゃありません」

『……だな。まだ間に合うといいな』

「はい。本当に」

 本当に心からそれを望む。

 甘っちょろい考えかもしれない。ぬるいことかもしれない。でも、それでも――。

 その先はわざわざ言葉にせずとも、陽史も喜多も、そして緒川自身が一番よくわかっているはずだ。だからその代わりに、陽史はこの二日間で出た答えを口にする。

「あの、喜多さん」

『なんだ』

「俺、《派遣メシ友》をやめてから気づいたんですけど、やっぱこのバイトが好きです」

「――っ」

 その瞬間、電話の向こうで喜多がはっと息を呑む音がした。これもまた珍しい。そんな喜多に気を良くしつつ、陽史はぐっとスマホを握りしめて背筋を伸ばした。

「なので喜多さん。俺は俺でこの《派遣メシ友》に向き合っていこうと思うんですよ。結局のところ、続いてるのってこのバイトしかないですし、何より《派遣メシ友》は俺を変えてくれました。それに、これからもっともっと変わっていきたいんです」

 いろいろなことがある。いろいろな人がいる。無鉄砲に突っ込んでいくことで好転することもあれば、その逆のこともある。けれど、喜多の言葉を借りれば、それが《派遣メシ友》なんじゃないかと、ようやく心の中にすとんと落ち着いたような気がするのだ。

 今回はたまたま、いい方向に転がった。が、次はどうなるかわからない。でも、先々の不安を数えたって本当にどうしようもないと心から思う。あのとき緒川を説得するために言ったその台詞は、半分、自分自身にも言い聞かせていたことでもある。

『そうか……』

 陽史の言葉を聞いて、喜多はただ、そう相づちを打っただけだった。

 出会ったときから今までの間、ずっと陽史を振り回し続けてきた自覚も負い目もあるのだろう。その先はしばし待っても続く気配はなく、陽史は三度、破天荒な喜多にも自分を相手に言葉が出ないときがあるんだなと、珍しさと新鮮さを同時に感じる。

 やがて喜多は、

『……ありがとう』

 聞き取れるか聞き取れないかくらいの小さな声で言うなり、唐突に通話を切った。

「え、あ、ちょっ――」

 当然陽史は大いにまごつくが、通話口からはプープーという電子音しかしない。

「ったく、もー……」

 画面が暗くなったスマホを半ば呆然とした気持ちで眺めつつ、けれど次の瞬間には、陽史の顔には苦笑がこぼれる。照れ隠しなのだろうと十分に察せるものの、言い逃げするあたり、やはり喜多らしい。それより、こちらはどうすればいいのだろうか。胸の奥が異様にむず痒くて、でも直接掻けるわけもない、この胸のムズムズは。

「次に会ったとき、どんな顔すりゃいいんだよ……」

 それはきっと緒川夫妻に招待されたときなのだろう。そうなることを陽史も喜多も心から願っている。ただ、今から絶対に表情が定まらない気がしてならない。

 別に喧嘩をしたわけでもないのだから、普通に会えばいいだけなのはわかっている。けれど、あの喜多が小声ながらも陽史に「ありがとう」と口にしたのだ。その声がしっかり耳に届いてしまっている手前、やはりどんな顔をしたらいいか悩ましい陽史だった。

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