第35話

 不可解な事ばかりが起こる。



 古いマンションの一室。

 寝室に敷かれた家主の布団に寝かされた少年を見下ろしつつ、胡桃クルミ京子キョウコは眉根を寄せていた。


 少年の名は津下ツゲ真輔シンスケ

 攫われていた筈の彼である。


 彼を見つけたのは、中邑ナカムラ眞子マコ

 仕事の呼び出しで外出していた彼女が、ここへ来る時に道端をフラフラ歩いていた彼を発見したのだ。

 眞子マコに支えられつつ家に辿り着いた真輔シンスケは、目の焦点が合わず何を聞いても答えなかった。

 その様子を見て、胡桃クルミ京子キョウコは既視感を覚えた。


 真輔シンスケのこの状況、


 しかし、再会に泣いて喜ぶ李子リコに水を差したくなく、胡桃クルミ京子キョウコはそれを黙っていた。



「何かあったら呼ぶんだよ。私はリビングの方にいるからね」

 胡桃クルミ京子キョウコは、少年が寝かされた布団の横に座る少女──中邑ナカムラ李子リコにそう告げて部屋を出た。

 袖に手を突っ込んで腕組みしてリビングに戻ると、ふと思い立って台所の方へと向かう。

 目覚めた後の少年の為に、味噌汁とオニギリをこさえてあげようと思ったのだ。

「ちょっと勝手に使いますよっと……」

 ここにはいない家主に断りを入れ、着物を襷掛たすきがけして袖を捌き、冷蔵庫を漁り始めた。


 真輔シンスケが戻ってきた後──


 家主の加狩カガリ弘至ヒロシ刀義トウギ中邑ナカムラ眞子マコ棚橋タナハシ四葉ヨツハは買い出しの為に外出した。

 念の為変装して──といっても、高が知れている範囲でである。

 弘至ヒロシの服を借りて男装した眞子マコ四葉ヨツハ弘至ヒロシは年末忘年会の一発芸で使用したヅラと鈴蘭スズランの為に買ったワンピースで女装。

 刀義トウギはその存在感を変装如きでは消せない事と、そもそも着れる服がない事からそのままで。

 ホームセンターにネットで調べた武器を作る為の材料と、近所のスーパーに全員分の食料の買い込みに行ったのだ。


 家には、胡桃クルミ京子キョウコ中邑ナカムラ李子リコ、そして眠ったままの真輔シンスケだけが残されていた。



 李子リコは、静かな寝息を立てる津下ツゲ真輔シンスケの顔を、申し訳ない気持ちで一杯になりながら見つめていた。


 閉められたカーテンの隙間から外の明るい光が漏れてきて、電灯を消した部屋を薄っすらと照らす。

 その光に照らされた真輔シンスケの横顔は、風邪をひいた時のように赤く汗ばんで火照っていた。

 短い前髪が額に張り付いており、気持ち悪そうだなと思った李子リコは、その前髪をそっと除けてやる。


 何かされたんだろうか。

 酷い事されていないだろうか。

 大丈夫だったのだろうか。


 真輔シンスケが戻ってきてすぐに、弘至ヒロシ真輔シンスケの体を調べてくれていた。

 少しの打ち身があった程度で、他に異常はなさそうとの事だったが、実際どうだったのかは本人に聞くしかない。


 早く目覚めてくれるといいな。


 李子リコ真輔シンスケの瞑られた目が開くのを、ひたすらジッと見つめて待っていた。


 その時──


 ピリリリリ


 スマホの着信音がどこからともなく響いてきていた。

 音の発生源は何処かと李子リコはキョロキョロする。

 四つん這いで音を頼りに辺りを弄ると、部屋の隅に纏められた、真輔シンスケの荷物の中からしていた。

 もしかしたら、早朝いなくなった息子を心配した両親からかもしれない。

 加狩カガリ先生から連絡は入れたと言っても、はやり心配なのだろう。

 そう思い、李子リコはスマホを手にする。


 手にしたはいいが、勝手に出てもいいものかと悩む。

 スマホの画面には『非通知』とだけ表示され、切れずにしつこく鳴り続けていた。


 その時──


 ゾワリ


 李子リコの背中が一瞬にして粟立った。

 背後すぐ近くに、音と気配を出来るだけ消した人が立つ気配。

 李子リコは慌てて振り返るが、その姿を確認する前に大きな手で口を塞がれる。

 肩を掴まれ、そのまま床に押し付けられた。


 誰?!


 李子リコは、自分に覆い被さる影の顔を確かめようと見上げる。

 カーテンの隙間から漏れてくる光に半分照らされたその顔は──


 目を開いてと祈っていたクラスメイト──津下ツゲ真輔シンスケの物だった。

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