第32話

 金属同士がぶつかる激しい音が、何度も響き渡る。


 一度大きく距離を取って着地した睡蓮スイレンは、戦う刀義トウギのその行動に苛々していた。


「何故本気で来ない! 舐めているのか!!」

 人間の致命的な急所を避けて攻撃してくる刀義トウギに、睡蓮スイレンは納得がいかなかった。


「舐める? 舐めません。私には味覚が──」

「そういう意味じゃないから」

 刀義トウギ睡蓮スイレンの言葉に真面目に返答しようとして、少し離れた場所にいた眞子マコにツッコミを入れられる。

 刀義トウギは、着ていたツナギの上着部分を脱いで腰で巻いていた。

 ムッキムキの僧帽筋やら上腕二頭筋が露わになっている。ここに李子リコがいたらまた鼻血ものかもしれない。

 動いた事により体温度が上がった為、熱を逃がす為に脱いだのだ。


「相手をあなどって、手加減してるんじゃないかって事!」

「学習しました。舐めておりません。私は油断するということもありません。よって、常に本気です」

 眞子マコからの説明に刀義トウギはコクンと頷き、至極真面目な顔で睡蓮スイレンに返答した。

「ならなんでっ……」

 自分を殺そうとするなら絶対に見逃さないであろう隙に、刀義トウギは見向きもしなかった。

 その為フェイントが空振りすることもあり、思ったように攻撃が出来ない睡蓮スイレンは、フラストレーションを溜め込んでいっていた。

「私は子守ナニーオートマトンです。相手に致命傷を与えずに制圧する事が目的です。しかし貴女は強い為、なかなか制圧できません。それだけです」

 肩の可動範囲を確認し、自分の損傷具合を確かめた刀義トウギは、改めて睡蓮スイレンに向かって構えた。


「致命傷を与えず制圧だ……?」

 睡蓮スイレンの瞼がピクリと反応する。

 地面を抉るほど強く爪を立てた。

「それが舐めてるっていうんだッ……」

 途端、彼女の手足のグローブやブーツから蒸気が立ち上る。

 水蒸気が消える前に、その壁を突き破って睡蓮スイレンが突進してきた。

 刀義トウギは横に飛び避ける。

 が──

 それを読んでいた睡蓮スイレンに、ガッチリと左腕を掴まれてしまった。

「こうすれば! そんな甘い考えは吹き飛ぶだろうよ!」

 刀義トウギのぶっとい左腕を両手でホールドした睡蓮スイレンは、その腕を軸に脚を浮かせると、左肩に猛烈な蹴りを叩き込んだ。

 彼女の体重に振り回されて刀義トウギはバランスを崩すが、たたらを踏んで転ばないように堪える。


 しかし、それが彼女の狙いだった。

 刀義トウギの腕を掴んだまま、再度身体を浮かせた睡蓮スイレンは、今度は膝を彼の左肩へと叩き込む。


 ゴギンっと鈍い音がする。


「あっ……」

 突然制御を失った左腕。

 刀義トウギは肩関節が壊されたのだと気づく。

 自分の左腕を掴んだままの睡蓮スイレンに腕を伸ばしたが、空を掴んだだけだった。


 後ろに大きく飛びのいた睡蓮スイレンは手に──刀義トウギの左腕をぶら下げていた。


 関節部を壊されて引きちぎられた刀義トウギの左肩からは、擬似体液が滴っていた。


 彼は睡蓮スイレンを見て、それから自分の左肩へと視線を向けて首を傾げた。

「返していただけますか?」

 馬鹿正直に、右手を睡蓮スイレンに差し出す。


 睡蓮スイレンはギクリとした。

 手にした刀義トウギの左腕をボトリと地面に落とし身体を硬直させる。


「やめろ……」

 小刻みに震えつつ、差し出された刀義トウギの右手から目を離せなくなる。

「やめろッ……」

 次第に睡蓮スイレンの目の焦点が合わなくなる。

 地面に落ちた自分の腕を拾い上げようと、刀義トウギは右手を睡蓮スイレンの立つ地面へと伸ばす。

「私にっ……」

 もう少しで左腕に手が届く──

「私に触るなァ!!」

 拾い上げようと屈んでいた刀義トウギのこめかみに、睡蓮スイレンの左フックが炸裂する。


 横によろけた刀義トウギだが、左腕がない為そのまま地面にドスンと倒れこんだ。

 そこへ睡蓮スイレンが追撃しようとして──


「やめなさい!!」

 眞子マコの鋭い声が、睡蓮スイレンの手を止めさせた。


 我に帰った睡蓮スイレンは、慌てて刀義トウギから距離を取る。

 そして、先程から煩く何かを喚くインカムの声に気がついた。

睡蓮スイレン返事しろや! 目標捕獲。帰還だ帰還。遊んでないでさっさと戻れ! 睡蓮スイレン!』

 インカムから聞こえてきたのは、筋肉量を増やす事を生き甲斐にする脳筋男の声だった。

「ちっ……」

 睡蓮スイレンは舌打ちし、地面に転がる刀義トウギと、離れた場所に立つ眞子マコを見た。

 真っ直ぐに睡蓮スイレンを睨みつける眞子マコを、睡蓮スイレンは見ることができずに視線を逸らした。


「運が良かったなスクラップ。次は本当に廃棄ゴミにしてやるよ」

 そう刀義トウギに吐き捨てて、睡蓮スイレンは蒸気を噴き出させつつ、フワリとジャンプして水蒸気の向こうへと消えて行った。


 右手をついてなんとか立ち上がる刀義トウギ

 よろよろと歩き、落ちた自分の左腕を拾い上げた。

「大丈夫なの?」

 距離を取っていた眞子マコが、刀義トウギに走り寄ってきた。

「損傷率41.68%。かなり深刻なダメージですが、通常通りに稼働するだけなら問題ありません」

「いや、あるでしょ。腕取れてるんだよ?」

「中央処理装置及び記憶媒体部に、致命的な問題は今のところありません。腕は、関節部を直せれば再度繋ぐ事は可能だと思われます。ただし、その場合でも左腕の再稼働は難しいですが、右腕がありますので」

「何その無駄ポジティブ」

 眞子マコは呆れながら、ボロボロになった彼の体の砂を払い落とした。


 そこへ、トボトボとした足取りの加狩カガリ弘至ヒロシと、そんな彼の背中を支えた胡桃クルミ京子キョウコが歩いてきた。

胡桃クルミさん?! どうして……」

 眞子マコ京子キョウコの顔を見て驚く。

「健康の為に早朝散歩してたら、この先生に会ったんだよ」

 ふふっと笑ってそう言う京子キョウコだが、『早朝散歩』の部分が嘘である事は眞子マコにも分かった。

 ガッツリ外出用の着物を着込んでおり、肩には大きめの鞄を抱えていたからだ。

 恐らく、李子リコを助けに来たのだろう。

 容易にそれは想像ができた。

 しかし、分からない事が一つ。

「あれ? あの女性のオートマトンは?」

 いつも弘至ヒロシにベッタリくっついていた鈴蘭スズランがおらず、眞子マコは周囲を見渡す。

「ああ……ちょっとね……」

 弘至ヒロシは、唇を噛み締めて言葉を濁す。

「それに……李子リコは?」

 一緒に逃げた筈の妹の姿もない事を姉が言及すると、弘至ヒロシはギクリと肩を震わせた。


 鈴蘭スズランも相手に奪われ、李子リコも見失った。


 弘至ヒロシは教師として、姉である眞子マコに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「その……」

「それは私から後で説明するよ」

 弘至ヒロシの言葉を遮ったのは胡桃クルミ京子キョウコだった。

 ここまで来る道すがら、事情を聞いていたのだ。

「しかしまぁ……先生の話だけでは信じられなかったけど……」

 そう言いつつ、京子キョウコの視線は刀義トウギの腕へと注がれていた。

「……まさか本当に……」

 京子キョウコは二の句が告げずにいた。

 目の前に、本当に、未来から来た──しかも子守ナニーオートマトンが存在している。

 信じられない事だったが、信じずにはいられなかった。


 目の前の大男は、左腕をがれても平然としているのだから。


 長生きはするもんだね。


 京子キョウコはマジマジと刀義トウギの様子を見ていた。


「お姉ちゃん……」

 そこへ、加狩カガリ弘至ヒロシよりももっとトボトボした足取りで来たのは李子リコだった。

 四葉ヨツハに手を握られて引っ張られる形でなんとか前に進んで来たといった風体である。

李子リコ!」」

 眞子マコはその姿を見た途端駆け出す。

 刀義トウギも左腕をボトリと落として李子リコの側へと駆け寄った。

「大丈夫だった?」

「お怪我は?」

 2人が交互に李子リコに話しかける。

 四葉ヨツハから手を離した李子リコは、スカートの裾を握りしめて俯く。

津下ツゲくんが……」

 喉から絞り出したかのような掠れた声の李子リコ

 その様子を見て、刀義トウギは自然な動きで膝をついて腕を広げる。

 反射的に李子リコはその大きな身体に抱きついた。

津下ツゲ くんがさらわれちゃったよっ……!」

 今まで我慢していたのか、大粒の涙が李子リコの目から溢れ出した。


 李子リコの言葉に、その場にいた全員が身体を硬くした。

 李子リコの命を狙うような人物たちに捕らわれた真輔シンスケ

 何故攫さらったかも分からないが、無事でいられる保証もない。


「私のせいだ! 私のせいなんだよ!! どうしよう! 津下ツゲくんに何かあったら私ッ……」

 わんわんと泣き叫ぶ李子リコの背中を、大きな手で優しく優しく何度もさする刀義トウギ

「いえ。貴女のせいではありません。貴女のせいではないんです」

 低く落ち着いた声で李子リコを宥めた。


 自分の胸に顔を埋めて泣きじゃくる李子リコを、慈愛が含まれているかのような目で見下ろす刀義トウギ

 彼女が落ち着くまで、何度も何度も背中をさすった。

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