十八 縁談
それからというもの、葛木さんからは頻繁に手紙が届くようになった。
最初はどうとも思わなかったけれど、いつの間にか手紙が届くのを心待ちにしている自分に気が付いた。
手紙の内容は他愛もないことばかり綴られているけれど、自分の知らない世界に触れているようで楽しかった。
三度に一度の割合で、葛木さんの手紙にはちょっとした贈り物が同封されている。
雑誌の切り抜きや、活動写真のチラシ、絵葉書とか。
わたしがそんな子供騙しで喜んでいる頃、郡司の家と葛木さんの家との間で、ある話が急流のような速さで進んでいるとは夢にも思っていなかった。
山の木々が赤や黄色に染まり、海から吹く風もすっかり冷たくなった。
庭の木々の葉を落とし、縁側から見る光景も寂しいものに変わっていた。
掃き集めた落ち葉で焚き火をしよう。
いつになく庭の手入れに専念していると、普段なら滅多に離れに顔を出さない彰子さんが姿を現した。
「おはようございます」
古めかしい柄の着物と、きりりとひっつめた白髪交じりの髪。
きれいな人だけれども、どこか冷たい印象を拭えない。
「由比さん。少しお時間よろしいかしら」
よろしいかしら、と言いつつも、わたしの都合など関係ない。仕方がなく手を止める。
「はい」
素直に返事をすると、彰子さんの目が穏やかな形に細くなる。
切れ長の目は、やっぱり正平さんに似ていると思った。
竹箒を庭の片隅において、わたしは彰子さんの後に続いた。
一体これから何が起こるというのだろう。急に不安になってきた。
母屋の敷居を跨ぐのは久しぶりだ。余所の家の匂いがするのも変わらない。
無言のまま客間に入ると、すでに上座には父が座っていた。
わたしは床に膝を付いて一礼すると、膝を客間へとすべらせて下座に着いた。
父と彰子さんが目の前に並んでいると、目のやり場に困ってしまう。俯いて、膝に置いた自分の手ばかりを眺めながら、二人が話を切り出すのを待った。
父が口を開いたのは、お茶を運んできた妙さんが去ってからだった。
「お前の嫁入りが決まったぞ」
え?
突然何を言い出すのだろうと思っていると、今度は彰子さんが口を開いた。
「お式は葛木さんのご実家で挙げるそうですよ。あの方は次男坊だから、お住まいは東京だそうよ。舅も小姑ともいなくて気楽でいいでしょう」
嫁入り? 葛木さん?
一体この人たちは何を言い出すのだろう。
戸惑うわたしを置き去りにして、二人は話を進めてゆく。
「式はお正月明けにしましょうと言うお話です」
「あなたの身の上を聞いても、構わないといってくださっているのよ」
「あちらの家で恥ずかしくないよう花嫁修業を明日からでも始めないといけませんね」
寡黙な父に代わって、彰子さんが次々と言葉を並べる。
彰子さんだって、けしてお喋りな方ではない。なのに今日はどうしたというのだろう。人が変わったかのように、ぺらぺらと時折笑いを交えながら縁談話を続ける。
この人は誰?
いつも冷静で、笑顔も滅多に見せない彰子さん。
この饒舌な女の人は誰?
今すぐここから逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。でも実際にはそんな真似などできなしなかった。
頭の上を通り過ぎる自分の縁談。まるで他人事のようだ。いつから葛木さんとの間で、こんな話が持ち上がったのか知るよしもない。知ったところで、わたしにはどうにもならない。
結婚なんて家同士がするものだ。わたしの意志など関係ない。
聞くところによると、どうやら葛木さんは、わたしをひと目で気に入ってくれたらしい。どこを気に入ったのかは知らないけれど、正平さんがそう言っていたという話だ。
本当にわけがわからなかった。狐につままれたというのは、こういうことをいうのだろう。
葛木さんは、いい人だと思う。でも、好きかどうかなどという気持ちは沸いてこない。
顔も知らない、どんな人かもわからない相手の元へ嫁に行くよりは、ずっとましだとは思う。だからと言って、本人が知らないところで勝手に話を進められて面白いわけがない。
でも困ったことに、わたしには嫌だと言う権利はない。
――そうか。
わかってしまった。二人は早くわたしを追い出したいんだ。だからこんなに、この縁談に乗り気なんだ。
「このお話、進めてもいいでしょう?」
進めても言いも何も、わたしの意志など関係なしに進めるつもりのくせに。
膝を、爪が白くなるくらい強く握り締める。
ここで怒鳴ってやったら、どんな顔をするだろう?
きっと二人とも、びっくりするだろう。もしかしたら彰子さんは腰を抜かすかもしれない。
想像しただけで胸が空くような気がした。
だから、もういいや。
「はい……よろしくお願い致します」
父と彰子さんの顔を見もせずに、ごつんと座卓に額をぶつけるほど頭を下げた。
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