十七 あざみ

 その日の夜は少し寝苦しくて、寝床に入っても、なかなか寝付けなかった。

 秋を迎えたとはいえ、まだ蒸すような暑さが続く日もあった。少し夜風に当たろうと身を起こした時、障子に浮かび上がった人影を目にして思わずぎょっとした。

 誰。と問わずともわかっている。

 寝床から這い出すと、そろりと障子を開いた。硝子戸越しにあの人と対面する。

 どうしたのだろう。同じ日に二度も姿を現すなんて珍しい。

 硝子戸を引き開けると、突然何かを突きつけられた。

「っ、何?」

 なにやら草の束のようだ。恐る恐る手を伸ばすと、ちくりと手のひらに痛みが走る。

「……これは?」

 あの人の手の中から落ちてきたものを拾い上げる。

 ふさふさとした花びらは紫色。葉や茎には細かい棘がある。痛くないように指先でそっと拾い上げる。

「あざみ?」

 野山に咲いているあざみだった。

 きれいだが棘のせいで、いつも摘むのをためらってしまう。なのに彼は、素手のままであざみの花を握り締めているではないか。

「手、棘が……早く離さないと……」

 怪我をしてしまう。

 けれど彼の手は、しっかりとあざみの束を握り締めたまま。受け取れと言わんばかりに、わたしの目の前に突きつける。

「もしかして、わたしに?」

 彼は静かに頷いた。

「でも」

 嬉しいと思うよりも、先に戸惑いを感じてしまう。

 どうしてこの人が、わたしに花を?

 目の前に突きつけられた花束を、手を伸ばすことも、触れることも出来ずにいた。

 沈黙の中、静かな虫の声だけ鳴り響く。やがて、彼は諦めたかのように腕を下ろしてしまった。

 途端にあざみの花が、彼の手からばらばらとこぼれ落ちてゆく。

「あ……」

 どうしよう。

 後悔の念が一気に押し寄せる。慌ててあざみを拾い集めようとするけれど、やっぱり棘が怖くてなかなか手が出せない。

「あの花が見つからなかった」

 あの花?

 頭上から落ちてきた低い声は、どこか途方に暮れた響きを含んでいた。思わず顔を上げると、一瞬視線がぶつかる。

「……邪魔をしたな」

 笑ったのだろうか。あの人はかすかに唇を歪めると、ゆっくりと背を向け夜闇の中へ身を投じた。

 もしかして……。

 誰もいなくなった庭先で、一人ぼんやりと考えた。

 わたしの持っていた花。

 恐らく葛木さんがくれた押し花の花。

 青みがかったきれいな紫色の都忘れ。

 見つからないから、同じ色をしたあざみを摘んできてくれたのだろう。

 でも、どうして?

 どうして、あの花を見つけようとしてくれたの?

 どうして?

 理由を聞きたかった。でも、きっと何も言わないだろうということも、わかっていた。

 その晩から、あの人はしばらく姿を見せてはくれなかった。

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