あいまこ

暁瑞樹

第1話 邂逅

私の名前は、深海真琴ふかみ まこと。高校一年生。


飛び抜けて成績が良い訳でも、ずば抜けた才能を持っている訳でもないのだが、持ち前の物怖じしない性格のお蔭で、入学初日から男女問わず声を掛けて回り、友達だけはやたら多かった。


基本的に誰が相手でも物怖じせず声を掛ける私なのだが、入学してから今日までの間、一人だけ声を掛けていないクラスメイトがいる。


教室の一番後ろの窓際の席、まるで人形のように表情ひとつ変えず静かに佇む女生徒。名前は常夜愛梨とこよ あいり、私と同じ中学出身のだった。


同じ中学出身とは言え、クラスメイトになったのは今回が初めて、人伝ひとづてに話は聞いていたけれど、どうやら噂通りの人物らしい。


生徒達の間でまことしやかに噂される常夜愛梨の人物像は、次のようなものだった――。


彼女は、いつも一人だったと言う。

虐待いじめこそ受けていなかったが、誰も彼女に関わろうとはしなかった。


容姿、性格、経歴。

理由は色々とあったが、最も問題だったのは彼女とのコミュニケーション自体が容易ではない事。


何故なら、彼女は他人と話す事が出来なかった。


『話さない』ではなく『話せない』


厳密に言えば身体的に話す機能が損なわれている訳ではないのだが、彼女が10歳の時に巻き込まれた『ある事件』がきっかけで他人と話す事が精神的な問題で出来なくなったらしい。


そして、彼女には容姿的にも一般的な人とは違う点がいくつか存在していた。


現在、高校1年生である筈の彼女の外見はとても幼く、どう贔屓目に見たとしても小学生の域を出ない。

その上、長く伸ばした前髪で両目を完全に隠し表情を変える事も殆どなかった。


更に驚くべきは、彼女の実年齢が25歳だと言う噂。


先に挙げた『ある事件』以来、彼女は10年間に渡り『昏睡状態』だった。

昏睡状態だった10年間。そして、奇跡的に意識を取り戻し5年の歳月を経て現在に至るまで、彼女の身体は一切の成長をしなかったと言う。


幼い外見、難解な性格、異質な経歴。


他人と関わる事を徹底して避けて来た彼女の姿は、まるで『無表情』『無感動』『無関心』をかたどった置物のようだった。


昏睡状態から目覚めた彼女は失った時間を取り戻すべく、再び小学生からやり直す事になる。


昏睡状態の10年間、身体的な成長がなかった事がこの時ばかりは幸いした。

実年齢20歳であるにも関わらず、外見だけならば小学5年生として問題なく溶け込む事が出来た。


小学校に入ってすぐの頃は、他人との会話は出来なくとも表情で感情を表現し、最低限のコミュニケーションは取れていたと言う。

しかし、人間として最大のコミュニケーション手段である『会話』が出来ない事は、月日が経つにつれ彼女とその周囲の者との間に深い溝を作っていった。


中学、高校と進学するごとに彼女に関わろうとする者は少なくなり、また彼女自身も他人との関わりを持たないようになっていった。


彼女は常に孤独な闇の中に居る。

誰一人として、彼女に手を差し伸べようとする者は居なかっ――


「常夜さん」


――否。


昼休みを告げるチャイムが鳴り響く中、私は彼女の前に立ち声を掛けた。


「……」


その声に反応し、彼女は無言のまま顔を向ける。しかし、私を見ているその表情に変化は窺えなかった。


「お弁当、一緒に食べない?」


そう言いながら、弁当箱を持った手を彼女の前に突き出す。


「……」


当然のように、彼女は言葉を発しない。

首を縦に振る事も横に振る事もせず、ただ黙って目の前に立つ私を見上げていた。


「そう、わかったわ」


何の反応も示さない様子を見て、私は彼女に背を向ける。

自分の机に戻ろうと足を踏み出した時、ほんの少しであるが腕に抵抗を感じて視線を落とした。


「……」


言葉は発しない。表情も変わらない。ただ、私の服の袖口を彼女の小さな手がしっかりと握り締めていた。


「……お弁当、一緒に食べる?」


確認の意味を込めて、私は彼女に問い掛ける。


「……」


やはり、彼女は言葉を発しない。頷きもせず、首を横に振りもしない。それでも、私の服の袖口だけはしっかりと握って離さなかった。


「そう、わかったわ」


先程と同じ言葉を発し、私は空いている隣の席の机と椅子を引き寄せる。


「それじゃあ、一緒に食べましょうか」


「……」


ずっと掴んでいた袖口を離す代わりに、彼女は小さく頷いた。



「私、深海真琴って言うの。よろしくね、常夜さん」


「……」


「良かったらなんだけど、貴女とお友達になりたいの……どうかな?」


「……」


「いきなり何言ってんだコイツ……って思うかも知れないけど、本当はずっと話し掛ける機会チャンスを待ってたんだよ」


「……」


度重なる私の言葉にも、彼女は一切の反応を示さない。

ただ黙々と食事を続ける彼女に、私は早くも挫けそうになってしまった。


(中学で常夜さんと同じクラスだった娘から話は聞いてたけど、本当に表情ひとつ変えないのね……)


まるで、人の形をした置物に話し掛けてるようだと思いつつも、私は会話を続ける。


「あ、その卵焼き美味しそうだねー。常夜さんが作ったの?」


何気なく口をついて出た言葉に、黙々と食べ続けていた彼女の箸が急に止まった。


「……」


彼女は無言のまま、私の方へと顔を向ける。

長い前髪の奥に隠され見えない筈のその瞳に、私は自分の心の内を見透かされたような錯覚に陥った。


「あ、えっと……」


咄嗟に言葉が出ず、言い淀んだまま視線を泳がせる。


「……」


そんな私の目の前に、美味しそうな卵焼きが差し出された。


「……え?」


私は視線を前に向ける。

その視線の先には、震える手で卵焼きを差し出す彼女の姿があった。


「……」


「私にくれるの?」


「……」


彼女は何も答えない。真っ直ぐに私を見つめ、黙ったまま箸で掴んだ卵焼きを差し出す。


「じゃあ、いただきます♪」


そう言って、彼女の箸に掴まれた卵焼きを口に入れた。


――!


美味しい。とてつもなく美味しい。

その卵焼きは、今まで食べたどんな卵焼きよりも美味しかった。


「すっごく美味しいよ、この卵焼き!常夜さんって、料理が上手なんだね」


「……」


表情に変化こそなかったが、照れたように顔を背ける。

そして、何事もなかったかのように、また黙々とお弁当を食べ始めた。


お弁当を口に運ぶ彼女を見ながら、ふと思う。


(あ、そう言えば……)


「何気に間接キスだ、これ」


ついつい、思っていた事の続きが声に出た。


「――!?」


特に他意もなく呟いたその言葉に、常夜さんが初めての動揺を見せる。


「ご、ごめんね……別に嫌とかそう言うんじゃないんだよ?ただ、何となく思った事が声に出ちゃっただけだから……!」


「……」


箸を止め、俯き加減になった彼女の顔は心なしか赤みを帯びているような気がした。


(もしかして、この子って凄く初心うぶなんじゃない……!?)


彼女の可愛らしい反応に、私の嗜虐心が疼き出す。


(やばい、どうしよう……こんな気持ち生まれて初めてだわ)


ひょっとしたら、彼女には感情と言うものがないのではないか?


今日、話し掛けるまではそう思っていた。

だからこそなのだろう、彼女が見せる拙い感情の変化が愛おしく感じるのは――。


「……」


ずっと俯いたまま動かない彼女。


もっと彼女の反応が見たい。

いつしか、頭の中はその事でいっぱいになっていた。


「ねぇ、これからは常夜さんの事を名前で呼んでも良いかな?」


「――!!」


一瞬、ピクリと肩を震わせる。そして、ゆっくりと俯いた顔を上げ、私の方へと顔を向けた。


「どう、かな?」


長く伸ばした前髪のせいで、やはり彼女の表情は伺えない。


「……愛梨」


名前を呼ぶと、彼女の口元が少し動いたように見えた。


「貴女の顔、ちゃんと見せて……?」


私は畳み掛けるようにそう言い放ち、前髪をかきあげようと、彼女の方へゆっくり手を伸ばす。


……これは賭けだ。


もし、この手が振り払われるようであれば、もう二度と彼女は私に関わろうとはしないだろう。


「……」


彼女は黙したまま動かない、そして――。


ゆっくりと触れた私の指が彼女の前髪を優しくいた。


「うん……思った通り、すっごく可愛い❤」


梳いた前髪の下から、まだ幼さが残る愛らしい素顔が現れる。


「――っ」


私の言葉にどう反応して良いかわからず、彼女は恥ずかしそうに視線を逸らした――。

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