アインと黒い鳥



 ―――死んだ。

 死に際に大変な約束を残して。


 彼は、真っ白な空間にいた。

 床も天井も壁も無い。そこにあるのは一冊のノートと、一人の少女だけ。


 一瞬、生前に出会った彼女と見紛う銀の頭髪は腰まであり、同じく銀色をした瞳は無機質ながらも人間味を帯びる。歳は、彼女より幾らか上――十代をそろそろ終える程か。

 服装は―――メイド服、というモノだろうか。図書室やデータベースに残っていた資料からしてこれは古代日本人が勝手に想像した『理想上のメイド服』という架空の存在らしい。


 萌える。らしい。

 自分は従者だ、という意思表示の様なものか。


 「ようこそ、内面空間へ」

 紡がれた声は凛と空気を揺らす。


 「何処だ、ここ」

 文字通り何もない世界を見渡し、男は問う。

 「つか誰だお前」


 その問に、銀の少女はにっこりと笑う。

 「私はPrototype-E07S3KK1-A1N-FNRL……」

 「…………は?」

 「アインとでも呼んでください」

 

 「私はあなたが活動停止状態、すなわち内面空間で過ごす間のパートナーとして生み出されました。何もないところでは人の精神は長く持ちません――そこであなたが読んだ文献や映像資料をコピーする空間と、それを管理する私という……思考体が、あなたの『世界を戻す能力』に付随しているのです」

 淡々と語る彼女は、物憂げな顔をつくる。これが機械の模倣だと?


 「………つまり?」

 「あなたが未来改変に失敗してから人類滅亡までの間は、ずっとここに居ることになりますね―――二人っきりで♡」

 「……―――はぁ」

 プログラムが冗談を言うのかと感心する。

 そしてよく現状を垣間見た末、出た言葉は――


 「これをあの子に任せなくてよかった。長い闘いになりそうだ」

 純粋な安堵だった。

 ほっと息を付き床とも認識し辛い地に腰を下ろすと、ノートが目に入った。こんなもの読んだ覚えはないが?と目で訴えかける。


 「それは初回特典……ですかね?」

 「お前―――緊張感ねぇのな」

 そっと手に取り開けると、走り書きで埋め尽くされたページが出てきた。恐らくはあの青年のノートか。

 世界線がどういうモノかという推論や、毒素の内容物、人工知能の知りえた限りの全貌やら―――


 博士が遺せる全てが、そこにあった。

 実際に読むと、少し吐き気を覚える。本当に受け入れてしまったんだ、この死ぬことも許されない永遠の悪あがきを。


 そういえば人類を救うとかどうでもよかったんだ。あの子が不幸になることが妙に許せなかっただけだったんだ。

 ―――後悔はないが。


 ふと、一番最後のページを開いてみる。そこにあったのは今までの汚い字ではなく、一つの絵だった。



 あかと白の美しい鳥。かつては日本の空を飛んでいたとされる、トキだ。

 絵はいびつで、それでいて元気がよい。描いた者の年齢が知れる。


 あの子が、描いたのか。

 声にならない呟きに、苦笑いを一つ零す。この鳥の写真を見つけ、見せてやったのは彼自身だ。


 「トキアイビス……か」


 自由を求めもがいた少女は―――美しく舞う鳥に理想を重ねていたのかもしれない。大きなものを受け取ってしまったな、と軽い嘆息を一つ。



 「なぁアイン」

 「何でしょうご主人様♡」

 「………。まぁその……なんだ―――」


 何処か恥ずかしそうに。その男は明後日の方向を見上げた。



 「これからよろしくな」




 ■■■



 「こっちの言葉にも慣れてきたかよ」

 「えぇ、お陰様で」


 「じゃあそろそろ教えてくれないか。名前とか、昔のこととか。、とかな」

 初老の腹の出っ張った金髪の男。頭頂が禿げ上がっており、手はゴツゴツとしていて、労働者としての風格を持つその男が聞いてきた。


 「名前は……」

 思い出せない……。やはりあれから、生前の記憶が幾つか抜けている。能力の代償か、事故か、故意か。どちらにせよ名乗る名前がない。


 「―――――お前は一体誰なんだァって訊いてんだ」


 ――彼女は、トキに憧れていたな。鳥の名前を名乗ってみるのもよいかもしれない。どうせ無い名だ、好きに付けるさ。


 ………。


 灰に侵された戦場で生まれ、硝煙と毒をすすって育ち、コロニーに拾われ警備隊として何となく生きてきたことは、覚えている。

 ――俺は何か?


 俺は………何でもない。


 「何者にも成れなかった哀れな鳥だ」


 嗚呼哀れだ。故郷である世界そのものが無かったことにされ。そこで交した約束も、結局は『誰か』の正義感で出来た技術で、『誰か』の身代わりに人類を救う、だ?

 実際に巻き戻して感じた虚無感。この世界のことは分かってきた。

 時代は第一次世界大戦前後。日本国は無く、似たような大賀島帝国という国が極東にあるらしい。コルアナ合衆国はさしずめアメリカだろう。

 よく似た、しかし少しずれた世界。確かに未来もまた別の方向へ進むのだろう。だが結局戦争だ。こっから先に待つのは戦争しかない。


 後悔こそ無いが、戦う理由もない。


 俺に政治は向いていないだろう。読み書きも碌にできない。科学者?預言者?有識者として世間に警告する?現実的ではない。

 どうあがいても直接、『いつか人類に仇成す人工知能の卵』を見つけ出して叩くしか方法が見当たらない。


 「んあ?詩的な回答だな。なんだァ“無者の鳥ライバー・フィルヴィレーゼ”でも読んだのか?」

 「はい?」

 「どっかの言い伝えであっただろ、何者にも成れなかった黒い鳥のお話……」


 その話は知らないが、似たような奴がいるんだな。鳥だが。


 「真っ黒な鳥は同族もいなくて…自分が何者か悩んだ挙句、白い鳥の巣を守る為に誰も見てないのに悪い獣と戦うっていう、まぁいわゆるお伽話とぎばなしだよ」



 ―――知るはずがない。

 生まれて(二度目)このかた本はこの家にあるものしか読んでいない。その本が置いていないなら知る筈がない。



 ――だが。少しだけ、そんな生き方も悪くないかなって、そう思えた。



 「……それでいい。今日から俺は………黒い鳥ライバーだ」






■■■



 それから、と余年。戦い続けた。


 日本、賀島を含むいくつかのパターンを繰り返す世界。

 時には日本が第二次世界大戦に勝利し、巨大単一強豪帝国となり最悪の結果に。

 時には賀島が戦後立ち直れずに最悪の結果に。


 何度となく繰り返す中で―――アイビスに出会った。


 まさしくあの時の少女だ。



 脳殻が遺物で出来ているから―――彼女だけは世界がリセットされるたびに置いていかれ、記憶は消されまた一から人生を歩んでいた。

 自覚は無いだろうが、それは魂の幽閉に他ならない。


 輪廻転生があるのかは知らんが、消え去ることすら許されず。

 そして何故か必然的に戦場に引き寄せられる。


 兵士として、傭兵として、人質として、ジャーナリストとして、看護団体として、必ず闘いに巻き込まれた。運命という必然があるなら呪ってやると何度も思った。


 おそらくこれは『変数』の問題なのだろう。『運』などという曖昧なものは存在せず、すべては目に見えない無数の変数で決まっているとしたら。

 俺やアイビスといった世界を乱す変数は必然的に激動の中心へ惹きつけられる。俺ら自体が『異常な変数』故に。



 思い出したくも無いが―――彼女が、に巻き込まれたこともあった。

 俺の目の前で頭を吹き飛ばされたこともあった。


 身体も記憶もリセットされているとはいえ、許せなかった。それを行った屑共も、守れなかった自分自身も。


 何もかもを消し去ったこともあった―――


 それからは早期行動を心掛け、軍内部である程度の自由意思を持てる地位を確立。そしてアイビスを意地でも見つけ出すという手法に変えた。


 これも運命的必然なのかは知らないが、俺が名づけなくても彼女は『白朱の鳥アイビス』と呼ばれ、俺は『黒の鳥ライバー』と呼ばれた。



 とにかく最終的に人類を滅ぼす人工知能をぶっ壊して、そんでもって俺の脳殻にある世界を巻き戻す機構を壊せば―――アイビスは初めて解放される。

 運命からも、かつて背負った呪縛からも。



 超機存在エクス・マキナ、人類を救い、管理し、果ては滅ぼす人工知能は、俺という巻き戻しスイッチに気が付いていた。

 何度も繰り返す内、歪んだ存在である俺に影響されたものが、アイビス同様次の世界へ持ち越しされることがあったんだ。それがまた異界遺物として痕跡を残し、超機存在エクス・マキナは俺にたどり着いた。


 人類に敵対する前の超機存在エクス・マキナはいわゆる救世主的存在だ。


 幾度となく世界を捻じ曲げ、邪魔してきたであろう黒い鳥は、奴らからすれば人類の天敵に見えたのかもしれない。



 前回の人生では、奴らは既にこの脳殻に備わった能力を『消す力』を手に入れていた。俺が奴らを止める手立てを見いだせずに死亡したことにより、引き分けで終わったがな。




 そしてつい十一日前。

 黒木の仕込んだ超機存在エクス・マキナ特製『微生物兵器マイクロヴェア』が血液を通じて脳内へ侵入。


 巻き戻し機構は



 ―――つまり、二度とやり直しは利かない状況である。



■■■



大賢洋/北方海域/某所

賀島帝国軍旧式輸送機『不知火しらぬい』/機内



 隊員達は唖然としていた。輸送機は既に着陸しているが―――誰一人その場を動けない。長く共に戦った者にすら異質と言わせる異常の具現化、ライバーという男の過去を聞かされ。

 世界と彼がたどってきた気の遠くなるような道のりは、想いを馳せるのすらはばかられる巨大なうねり。


 「俺自身を止めることは既に黒木がやってくれた。あとは超機存在エクス・マキナの量子コンピューターを壊すだけだ」

 たたみかけるように詰め込まれた新事実を呑みこめないまま、ただ茫然と立ち尽くす彼らを見て、隊長は苦笑いする。


 「大丈夫か?お前ら」

 「あんたなァ……そういったことはもっと前から、少しずつ教えてくれや……理解する前に受け入れなきゃならんものが多すぎる」


 溜息と共に吐き捨てられたセリフに、なおも笑みを深めるライバー。

 「じゃあこれからやることだけでも簡単に説明するぞ。超機存在エクス・マキナが技術的特異点を超えられたのは世界遺物を活用したからだ。今ある中枢の『脳』を壊してしまえば―――復活の余地はねぇ」


 両手を広げ、大げさにアクションを取る。

 「Do or Die殺るか殺られるかだ!奴らをぶっ殺してHappy Ever After。引き分けはもう無いぜ」


 唸るように考え込む一同の中、荒井が挙手。怪訝そうな表情を浮かべる。

 「でも……その異界……オーパーツとやらは、壊せないんでしょう?」

 「あぁそうだとも。少なくとも『この世界のもの』では、な―――」

 ライバーは変わらず楽しそうに口端を持ち上げ。ぶら下がった、貨物室扉カーゴドアのスイッチを押す。


 旧式ながら戦車数台は詰めるであろう大きな貨物室の、機尾側にある巨大な扉がゆっくりと降りる。


 扉が開くと、外には銀世界が広がっていた。純白に染め上げられた、命を感じさせない極寒の地。降りしきる雪と荒れ模様の大賢洋が、さらに厳しさを演出する。

 滑走路として整備された平たい土地と、奥にはかつて人工物があった名残だけが残される。


 「そういえば何処向かってたか聞いてなかったねーぇ」

 「ここは………」



 「ようそこ。最終決戦の地、グレンノース島へ!」

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