初めましての君に恋をする
白野廉
私と、アナタ
クラスの女の子たちにまた明日、と告げて足早に教室を出た。肩にかけるサブバッグには今日の授業で配られたプリント達が透明なファイルに仕舞われている。別に、このプリントの束は私の物では無い。今から会いに行く人の物だ。
私が通う高校から徒歩二十分程度の所にある少し大きな病院が、私の目的地だ。顔見知りになった受付の看護師さんに面会をお願いし、バッチを着けて通い慣れた病室へと向かう。
辿り着いた一人部屋の病室の前で、軽く身なりを整えて深呼吸を一つ。三度のノックと共に声を掛ける。
「こんにちは。私、雪宮美咲。入ってもいいかしら」
「どうぞ~」
ふんわりとした雰囲気の高一男子にしては少し高めの声が返ってきて、留守じゃ無かった事に少しだけ安心する。スライド式のドアをそっと開けて中に入ると、ベッドの上で本を読む彼の姿が見えた。
「初めまして。ボクは志渡観月。よろしくね」
「えぇ。初めまして、よろしく」
彼、志渡観月くんは、同じクラスの男の子だ。ぴょんぴょんと跳ねる薄茶色の髪と同色の瞳を持つ彼は、ゴールデンウィークに家族旅行に出かけ、そして、事故に遭った。彼の両親は他界、彼も重傷を負った。一週間後には今の病院に移され、若さゆえか傷の回復は順調だったが、ここで一つの問題が発覚した。彼の脳は、起きてから寝るまでの一日分しか記憶を残せなくなってしまったのだ。とは言っても、事故に遭う前を忘れている訳でも無いようで、お医者さんは精神的なものだと判断し、ひと先ず怪我が治るまでは現状維持となった。
ゴールデンウィーク後の席替えで、彼の分として空けられた席と隣同士になったのは、丁度その事が分かった時だったと思う。私の両親はこの病院で薬剤師又は看護師として働いており、席替えで席も隣同士になり、尚且つ帰宅部。押し付けるというと言いすぎだが、プリント類を届けて欲しいと頼まれるに足るには十分すぎる理由だ。
担任教師にまでお願いされてしまっては断れないもので、一度だけならと引き受け、病室で彼と数十分会話して、そして、私は。
恋に落ちたのだ。
夕日に照らされた彼の顔が可愛く思えた、なんて。最近の少女漫画でも無さそうな程にベタな展開だったと思う。
それ以来私は彼にプリントを届けるために、ほぼ毎日病院に通うようになった。訪れるたびに交わす「初めまして」も、彼の考えを聞いてからは全く苦に思わなくなった。
その日一日を生きて得た記憶は、当時起きていた自分だけの物だから。毎日その日限りの大事なモノだと考え、大切にしたい。
そう言ってへにゃりと笑った彼に、またしても恋に落ちた。
彼は自身で、記憶を思い出せない事への対応を色々と試行錯誤しており、特に力を入れているのが毎日の記録らしい。つまるところ日記だ。先生や看護師さんの顔と名前が覚えられない、と落ち込んでいた彼に、先生方の似顔絵と名前を最初のページに書き足した日記帳をプレゼントしてみたら、すごく喜ばれた。この時ばかりは小さい頃からの自分の趣味が絵描きだった事に感謝したものだ。
お見舞いに行き始めて一月が経った頃には怪我も大分良くなり、彼は少しずつ体を動かすようになった。リハビリをする姿は見られたくないだろうと思い、絶対に見に行くことは無いが、彼はしっかりと快調に向かっている。
西日が強く差し込むようになり、カーテンを閉めようかと思い立ち顔を上げた時、ずっと本を読んでいた彼がこちらを見た。
「美咲さんは、好きな男の子とか居ないの?」
「……あぁ、この本。友達が貸してくれたのよ」
今私が読んでいた本が恋愛小説だから聞いてきたのだろう。それにしても心臓に悪いが。
「ボクは美咲さんの事を聞いてるの」
お互いに聞き役になる事が多いタイプだ。だから彼に、こうやって追及されるとは思ってもいなかった。
「……そうね。居るわ」
「居るんだ……どんな人?」
少し考えたら別に隠している訳でも無く、やましい何かがある訳でも無い。ならば言ってしまっても構わないのではないか。
「……縁側で猫と一緒にまったりするのが似合いそうな、和やかなおばあちゃんみたいな人。でも今はすごく頑張ってる。私は少しでも応援したいけど、高校生が出来る事なんて限られているから、ちょっと悔しい。……ねぇ志渡くん。私、あなたの力になれているかしら」
一瞬の硬直の後、彼は顔を真っ赤にして自分を指さす。一つ頷けば、顔に手を当ててうつむいてしまった。段々と私まで恥ずかしくなってきて、カーテンを閉めるために立ち上がる。カーテンに触れたところで、彼が口を開いた。
「……ボクも」
彼の方を振り返って見れば、赤みの引かない顔でこちらを真っすぐに見ていた。
「ボクも、あなたの事が好きだよ」
カーテンはまだ閉めない。
「君が来てくれるその度に、ボクは初めて恋に落ちるんだ。他の日のボクが羨ましく思えたりする。でも、今日のボクは少し特別だね」
まさかそんな風に思ってくれているとは知らなかった。だけど、特別だ、と。柔らかい笑顔になる彼を見て、嘘だとは思わなかった。
「お付き合い、してくれるかしら」
カーテンを閉めて、病室の電気を付ける。
「いつか、あなたが私の告白を思い出せたら。返事が欲しいわ」
「……うん。ボク、絶対に覚えていてみせるよ。そして、君にもう一度告白する」
「「約束」」
何ヶ月経とうとも、私はこの約束を忘れない。
初めましての君に恋をする 白野廉 @shiranovel
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