8.6 俺たちは今日、出会わなかった

「おう、ガキ。そのカバンの中身は何だ? そこに荷物置いて、五歩下がんな」


 デイパックの中から盛大なくしゃみが聞こえてきたのだ、ボニーの疑問も警戒ももっともである。ローズマリーにしてみれば、それに応じる義務も義理もないのだが、


下手したてに出てるうちに言うこと聞けや、な?」


 相手が慣れた手付きで拳銃を抜き、その銃口を向けてきたとなれば話は別だ。少女の背筋に緊張が走り、その目は自分を狙う禍々しい鉄塊を追う。


「銃でも抜いたかい? まったく堪え性のないやつだね」


 誰のせいよ、とローズマリーは内心で愚痴をこぼす。

 救いなのは、現在の状況を招いた張本人・クロの囁きから動揺の類が感じられないことだろう。彼女には使い魔として、シドと共にいくつもの修羅場を切り抜けた経験があるはず。今はそれに頼るのがきっと、最善手だ。


「コトを荒立てたくないからなぁ。とりあえず、向こうの言うとおりにしようか」


 少女は渋面のまま、デイパックをその場に下ろして引き下がる。


「そうそう、おとなしくしてりゃ、痛くしねぇからよ」


 気味が悪いくらいの優しい口調でそう言い放ったボニーは、デイパックを目いっぱいの力で躊躇なく踏みつけた。まばたきや呼吸をするように自然で、なんの躊躇ちゅうちょも感じられないその所作は、ローズマリーに言葉を発するいとますら与えない。

 だが、デイパックは少し潰れたくらいで、むしろ靴跡のほうが目立つくらい。足に跳ね返る感触に違和感を覚えたか、ボニーも首を傾げている。


「一体なァに隠してやがんだぁ?」


 箱かカゴでも入っているとでも思ったのか、唇を汚らしく歪めたボニーは、今度はデイパックをあらためにかかる。ローズマリーは、その様子を無言で見ているだけだ。

 何の変哲もない、ただのキャンバス地のデイパック。もちろん、少女はその中身も、中身が何を仕組んだかも、だいたい予想がついている。

 そして、これから何を仕掛けるかも。

 

「痛っ……!」


 開け放たれたデイパックの荷室から音もなく飛び出した黒い影は、その勢いのまま鋭い爪を振るう。その速さは不用心なボニーの虚を突くには十分にすぎた。

 直後、ボニーはデイパックを手放し、顔を抑えて踞る。


「すべて計算通り、なんてね」

「クロちゃん!?」

「目は潰してない。下手に悲鳴を上げられて、余計な手勢を呼び込まれても面倒だ」


 身の丈より大きいデイパックを引きずって帰ってきたクロは、音もなくローズマリーの肩の上に飛び乗る。その所作こそいつもどおりだが、太くしたしっぽをブンブンと振り回し、あからさまに怒りを燃やしている。


「山寺のクソ和尚よろしく、ひとを足蹴にした報いは受けてもらったけどね……!」


 なぜ怒っているかはわかるが、クロのたとえ話が今ひとつ理解できないので、ローズマリーの同意はやや曖昧になりがちだ。


「て、め、ェ、らァァァァ!」


 心配して近寄ってきた取り巻きを振り解いたボニーは、傷だらけの顔を痛みにしかめながらも二人を捉えんと手を伸ばす。

 だが、血にまみれたその手は、虚しく宙を掻くばかり。重力を感じさせない軽さのステップで後ろに退いた少女の口元には、ほんの僅かに笑みが浮かんでいる。


「なァにボンヤリしてんだ、手伝えやコラァ!」


 激昂したボニーと、多少の冷静さを保った取り巻き達。大の大人が寄ってたかっても少女の影すら踏めずにいるのは、傍からみれば信じがたい光景ではある。でも、当人にしてみれば、これくらいは朝飯前だ。彼女の十八番である【加速】を使っている以上、同等の力を持たぬ者にでは触れることさえかなわない。


「のれんに腕押し、ぬかに釘、ってね」

日本ジパングの慣用句かな? わかるような、わからないような……」


 小声でささやくクロに、ローズマリーの緊張と余裕が入り混じった微笑みは、ボニーの逆鱗を根本からてっぺんまで逆撫でしたようだ。


「あァもう面倒臭ェ、チョロチョロすんなこのガキが!」


 拳銃ベレッタを構えたボニーを見て青ざめたのは、狙われた当人ではなくその取り巻きたちだった。


「ボニー、銃を下げろ! 相手は丸腰の素人だぞ?」

「そうっすよ、カタギさんに手ぇ出すのはまずいっすよ! 揉め事起こすなって、兄貴にもボスにも散々言われたじゃないっすか!」

「ンなの知ったことか、これ以上コケにされて黙ってろってのか、あァ!?」


 いがみ合うゴロツキ共をを見て、クロが疲れたようにため息をつく。


「もうそろそろカバンの中に引っ込んでのんびりしてようと思ってたんだけど、そうは問屋が下ろしてくれないみたいだね」


 いつものようにのんびりした口調で話しかけるクロだが、その目線はどこからそんなに集めてきたか不思議になるくらいに頭に血を上らせたボニーの右手に向けられている。


「オラ、てめェらも銃抜けってんだよダボが! 足ブチ抜きゃバカでも止まんだろ? 股から上さえ傷モンにしなけりゃ店に出せんだろうが! 頭使えよボンクラ共が!」

「落ち着けよ、ボニー。こんなところで下手な刃傷沙汰を起こしたら、お前今度こそ破門だぞ?」

「カタギに舐められっぱなしで引き下がるよりゃマシだろうがボケ! テメェらも覚悟決めて拳銃チャカ構えろや、それでもタマついてんのかコラァ!」

「そんなこと言っても、ボス直々に……っ!?」


 部下と思しき若者の諌めの言葉は最後まで続かず、場違いとも思える軽やかな銃声に取って代わられた。直後、ボニーに肩を撃ち抜かれた取り巻きの一人がもんどりうって倒れる。


「俺に指図すんなやボケが! ボスがどうしたってんだよ! 素人に舐められて無様に引き下がるマフィアがいるかってんだよ!」


 まだ流血沙汰に慣れているとはいえない、いつもに輪をかけて顔を白くした少女に、再び銃が向けられる。


「CC、ここはボクに任せて」

「うん、ありがとう」

「微動だにしないって約束しておくれよ」

「次はてめェの番だこのガキゃあ!」


 呪詛の言葉を喚き散らすボニーだったが、彼の持つ拳銃から弾丸が放たれることはなかったし、黒い【防壁】が発現することもなかった。


 両の太腿、両の肩、両の腕。

 それぞれ一箇所ずつ撃ち抜かれたボニーは、糸の切れた操り人形さながらにその場に倒れ伏す。


「押さえつけろ。トミーはマルコについててやれ。急いでブロンコの兄貴に連絡を」

「おい、テメェ、バーニー! 何勝手に仕切ってんだァコラァ!」

 

 取り巻きの中でも一番年嵩で、顔には大きな一文字の傷。

 バーニーと呼ばれた大男は静かに指示を下すと、銃を握ったままのボニーの右拳を容赦なく踏み潰した。濁点のついた「あ」とも「か」ともつかない叫び声が辺りに響くが、手早く噛まされた猿轡さるぐつわに全て吸い取られてゆく。

 その様子を直視していられるほどには、ローズマリーの神経は太く出来ていなかった。顔をしかめ、脂汗と血に顔を汚したボニーから目を逸らす。


「素人に拳銃チャカ向けた挙げ句、それを止めようとした仲間を撃った。日陰者には日陰者の、俺達には俺達のルールがある。それに背いたのだから、その落とし前は、きっちりつけてもらうぞ」


 血、そして聞くに堪えない怨嗟の言葉を撒き散らすボニーを連れて行かせると、大男は静かにローズマリーとクロに歩み寄り、小さく頭を下げる。


「済まなかったな、お嬢さん」

「……いえ」


 ローズマリーはやや無愛想に、警戒を解かぬまま返事を返す。肩に猫が乗っているのが滑稽だが、彼は特に気にしていない様子だ。


「ヤバい場に巻き込んじまってる以上、本当はこんなことを言えた義理ではないんだが、ここで見たことは、あんたの胸の内にしまっていてほしい」


 口調こそ穏やかだが、「喋ったら容赦しない」という言外のプレッシャーを隠す気は全く無いようだ。

 静かな威圧感に精一杯の虚勢で立ち向かいながら、ローズマリーは小さく頷く。そもそも、師匠を色街まで尾行してたらマフィアに絡まれましたなんて、黒猫以外の誰にも言えるはずがない。


「それと、こいつは忠告なんだが……ここはあんたみたいに育ちのいいお嬢さんが来るとこじゃねぇし、俺たちとも関わりを持つべきじゃねぇ。

 俺たちは今日、出会わなかった。いいな? わかったらとっととお家に帰んな。このままここにいたら、もっと面倒なことに巻き込まれるぜ」


 硬い表情のままのローズマリーに、クロは耳打ちする。


「シド君の追跡は一旦中止だ、君がどんなに速くてももう追えない。ここは言う通りに、退こう」


 クロが言うならば仕方がない、と諦めたローズマリーは、


「……ごきげんよう」


 クロがデイパックに潜り込むのを見届け、小さく言い残して静かにその場を後にしたのだった。

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