7.6 この調査の責任者は私です

 翌朝、支度を済ませた三人と一匹は、早朝からハンディアに乗り込んだ。

 本来は魔法を使えない人間に魔法を与え、「魔法使いもどき」に仕立て上げる。そんな方法が果たして存在するのか、医療と人体の専門家から話をきき、資料を集めなければいけない。

 ハンディアに二つしかない玄関口の一つ、ケーブルカーの駅構内の小さな待合室で、一行は朝のブリーフィングにいそししんでいた。


手筈てはずは昨日のうちに話したとおりですわ。今日の研究機関の見学と担当研究者との意見交換は、私とムナカタ君で担当します」


 エマを筆頭にお偉方が並ぶかもしれねーな、と想像したシドは軽く嘆息する。警察との打ち合わせもそうだが、堅苦しい空気に包まれて仕事をするのは少々苦手だ。

 難しい顔をしてみせるシドだが、両頬にひっかき傷をこさえているとあって、いささか締まりがない。


「蔵書庫での文献調査はCCさんにおまかせします。よろしくお願いしますね」


 大人二人がちらりとローズマリーの方を見やるが、今朝の少女は無愛想を通り越して仏頂面だ。


「……CC、聞いてるか?」

「ええ、もちろん。私は蔵書庫で調べ物、その間にお二人はデート、もとい研究所の見学」

「あのねぇ」

「冗談ですよ、先生」


 そうは言うものの、ローズマリーの眼も口も一切微笑っていない。ここまで聞き分けのない、子供っぽい振る舞いをするのは珍しいが、責任の一端は大人組にもある。

 夜更けまでああでもないこうでもないと議論を交わしたあと、カレンは結局部屋に戻らなかったのだ。一人用のベッドをカレンに占拠されたシドは、いつものようにソファで夜を明かすはめになる。

 一夜明けて、朝。

 同室にいたはずなのに姿が見えない淑女、起きてくる様子のない師匠を訝しんだローズマリーは、すっかり支度を済ませてシドの部屋を訪れた。

 その時の大人たちの対応はあまりにも迂闊うかつだった。

 少女を出迎えたのは、よりによってカレン。しかもいささか着崩れたしどけない姿とあっては、誤解されるのも無理はない。

 まさかまでだらしないのか、とご立腹のローズマリーは、ソファでのんきに寝息をたてているシドに、なんのためらいもなく黒猫をけしかけた。ほっぺたのひっかき傷はそのときにできたものである。

 以降、二人の間でがあったという誤解が解けないまま、一行はこうしてハンディアに来ている。


「お二人も大人ですから、私は特に何も言いません。与えられた仕事はきちんと果たしてみせます。蔵書庫で再生医療の研究成果を調べればいいんですよね?」


 カレンはいつものように穏やかに微笑んでおり、ローズマリーの機嫌の悪さをどう捉えているのか今ひとつ読み取れない。少女の気持ちはそばに置いといて、とにかく調査で一定の成果を上げてくれればそれでいい、と完全に頭を切り替えているのかもしれない。


「わかっていらっしゃるなら結構。著者、題名、目的と結論、掲載誌だけ抜き書きしてもらえればよろしいですわ」

「本当にそれだけで足りますか?」

「専門家が参考にするような文章を、医学の素人である私たちが読んだところで理解できるはずもありませんわ。まずはこのハンディアで、何ができて何ができないのか、それを把握する必要があります。そのための文献調査ですわ」

「ボクはCCについていればいいよね、お嬢様」


 ローズマリーの足元、あくび混じりに問いかけるクロに対しても、カレンは丁寧に答える。


「それで結構ですわ。ご主人のこと、ちゃんと手伝ってあげてくださいね」

「飼い主は俺なんだけどな」

「ああ、そうでしたわね」


 悪意なくクスクスと微笑うカレンに、シドは苦い顔をする。


「ムナカタ君はいかがかしら? 質問はなくって?」

「特になし。とっとと終わらせようぜ」


 飼い猫と揃ってあくびをするシドに、例によって真面目な表情のローズマリー。シドがひっかき傷を負っていることを除けば、カレンの知っているいつもの二人と変わらない。


「ではみなさん、参りましょう。良き一日になるとよろしいですわね」




 下手に期待しすぎない、というのは、シドなりの哲学の一つだ。

 考えを一捻りしたり、一見遠回りに見えるやり方で挑んだりしないと解決できない問題が、世の中には意外と多い。それならば、自分の期待や予想が外れてへこむなんて時間の無駄、当たるも八卦当たらぬも八卦くらいの気持ちでいたほうがいい。仕事に対して、心を整えた状態でいるための気構えである。

 それを教えてくれたのはほかでもない、相棒の黒猫だ。誰も信じてくれないから人前では言わないけれど、彼自身は、大事なことの大半は猫から教わったと思っている。

 そんな調子だから、自分達が立てた仮説が想像以上に的外れだったと知ったからとて、取り立てて肩を落とすこともない。がっかりしないと言ったら嘘だが、それを長いこと引きずらない心の準備ができているだけだ。

 一方、内心では相応に気合が入っていたのか、ローズマリーやカレンは少々落胆した面持ちを隠せずにいた。

 早めの夕食後のミーティング、淑女の顔には滅多にお目にかかれない失望が、少女の瞳には焦燥が、それぞれ浮かんでいる。


「先生はずいぶん呑気ですね」

「そんなに最初からうまくいくようなら、こんな僻地にわざわざ出向かんでも『魔法使いもどき』の真実に迫ってただろうからな」

「ずいぶん乱暴に言ってくれますわね……」


 ローズマリー達のちょっと咎めるような一言を、シドはさらりと受け流す。


「くじ引きと一緒だよ。当たればラッキー、当たらなけりゃ次を引くだけだ」

「……忘れかけてましたけど、あなたはいつも、そうでしたわね」

「ひとまず今日の成果について話をしたいんだが……二人とも早いとこ立ち直ってくれ、腑抜けてる暇はないんだぜ」

「私は問題ありませんわ」

「右に同じです」


 普段から今ひとつやる気のないシドに言われてしまってはかたなしだ。カレンはいつもどおり穏やかに、ローズマリーは隣の淑女に張り合うようにそれぞれ応える。


「じゃあまずは、カレンから」


 カレンが広げたメモはコピー用紙一枚だけ。それ以外に必要なものは頭に全て入っているとばかりに、淀みなく、淡々と、柔らかい声で説明し始める。

 カレンとシドが二人で出向いたのは『再生医療研究棟』と称される建物だった。

 魔法を使うためには、三種類の魔導器官――魔力を生み出す「魔力生成器官」、魔力を体の各部へ伝達する「魔導回路」、魔力を変換して物理現象として発言させる「魔力変換機構」――すべてが身体に備わっていなければならない。

 だが、シド達が相手取った「魔法使いもどき」たちは、少なくとも魔導回路は持っていなかった。


「魔導回路を新たに作り出して、身体に移植する方法があれば、と期待したのですけれど」

「その様子では、あまり芳しくはなかったご様子ですね?」

「まったくそのとおりですわ。そもそも、再生医療自体がようやく実用の緒についた、といってもいいくらいだそうです。培養がうまくいき始めたのも皮膚とか角膜どまりで、ヒトの器官を代替したり、欠損した部位を補うというのは、まだ夢物語だと」

「技術的に超えなければならないハードルは、まだ相当高いって話だったな?」

「そういうことですわ。一般的な器官ですらその段階なので、魔導器官の培養にはまだ未知数な点が多すぎると」

 

 ローズマリーの膝で居心地良さそうに丸くなって話を聞いていたクロだったが、わかりやすく肩を落としたカレンに代わる形で、ふいに口を開く。


「……再生医療とやら、本当に実用化されると思うかい?」

「クロスケさんのおっしゃっていることが、少々わかりかねるのですが?」

「そいつが進む先にあるものって、結構とんでもないもののようにボクには思えるんだけど、どうだい?」

「作り方によっては、生命を作り出せる、とでもいいたいのか?」


 シドの言葉に、黒猫が小さくうなずく。この中にいる誰よりも、彼と彼女は付き合いが長いから、感性はともかく、思考の過程はなんとなく似てくるらしい。


「人工的に作り出された、適切に機能する器官を組み合わせでできてる『人間』と、母親のお腹から生まれてくる『人間』。それのどこに差があるってんだい?」


 クロが澄まし顔でとんでもないことを言い出すものだから、カレンが珍しく強い口調で反論する。


「そんなこと、神がお許しにならないでしょう。人工的に生命を作るなんて、教会も黙ったままではいないはずですわ」

「でもね、お嬢様。ここハンディアの連中はどうだか知らないけど、『神の思し召しなんざ関係ない』って研究者も、それなりの数いるのは事実だぜ? それどころか、我先にと争ってその先駆者になりたがるんじゃないかな?」

「クロスケの出した例は極端かもしれないが、可能性は否定できない。誰も挑戦したことのない領域に、最初の一歩を踏み出したがるのは、研究者のさがだからな。

 つーか、クロスケ。あんまり変な話持ち出して、話を脱線させるなよ」


 たしなめられた黒猫は「ごめんごめん」と舌を出すばかり、反省の色なんてあったもんじゃない。

 女三人寄ればかしましい、とはよく言ったものだ。話が脱線しそうになる気配を察知して軌道修正するのも、シドの大事なお役目だ。もっとも、それがうまくいくかどうかこそ神の思し召し次第なのだが。


「いずれにせよ、『再生医療研究棟』で見聞きしたものは消去法の道具にしかなってねーのが現実だ。魔導器官なんて培養はおろか、移植なんて話は影も形もない」

「生体移植自体がそもそも難しいそうですわ。事前に適合するか検査が必要で、移植後にきちんと定着して機能するかも危ういと」

「……魔導器官の培養自体がそもそも不可能、できても移植するのが難しいし、体に適合するかはそれこそ神様の言うとおり」


 静かな声で、どこか歌うような節回しでつぶやきながらひとしきりメモを取って、顎に手を当てて考え込むローズマリー。その所作は、カレンから見てもシドによく似ている。


「CCも文献を調べてくれたと思うけど、たぶん、似たようなもんだったんじゃないか?」


 大人二人でローズマリーから渡されたリストを斜め読みしたところ、昼間に聞いた話を裏付ける研究結果ばかりのようだ。魔導器官の培養・複製を試みたがうまく行かなかった、ということ以上の話は出てこない。


「詳細はともかく、あいつら嘘は言ってないみたいだな。CC、この手の論文は、まだ相当数あるのか?」


 はい、と静かにうなずくメイド服の少女だったが、少々げんなりした様子なのは明らかだ。


「司書さんの話では、古いものだと世紀前の文献もあるそうです。うまくいかないなりに細々と研究を続けていたみたいですが、今日見た限りではあまり芳しい成果ではないようですね。そこまで調べようとすると、とても時間が足りません」

「やっぱウルスラも連れてきたほうが良かったんじゃないか?」

「この調査の責任者は私です。私が少数精鋭で挑むと決めた以上、あなたと言えども口を挟まれたくはなくってよ、ムナカタ君」


 さいですか、とシドは肩をすくめる。一見柔和だが、芯の一本通った強情さこそ、カレンの本質である。こうと決めたら梃子てこでも動かない。


「いずれにせよ、今日と同じ方法ではらちが明きませんわね。再生医療の線から攻めるのはあまり得策でもなさそうですし、少しやり方を変えましょう」

「まあ、お嬢様がそうおっしゃるなら、俺たちはそれに従いますけどね」


 よろしい、とつぶやいたカレンは、まっすぐ二人を見すえると翌日の調査について話しはじめた。

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