2-14.外科女医 笹山ゆみ Emergency Doctor救命医
人の命は儚くそして美しいものだと感じる。
どんなに生きようともがき苦しんでも、その命を保つことが出来ないとき人は何を考え、そして何を想うのか
繋ぎ留められる命。繋ぎ留められない命。その境界線は……
「22歳男性、自動車の追突事故です。JCS30(刺激に対してかろうじて反応するくらいの意識レベル)バイタル110-70、心拍70。受け入れの要請をいたします」
一本のホットラインが救命処置室に響き渡る。
受話器を持つ
その瞬間、処置室の動きは一変する。
必要な機材と、輸液を準備する看護師たち。
「外傷はないようだ。まずはエコーの準備だけは怠るな」ER部長の
「はい」と返す声にその躰は自然と動きだし、機材のセットを迅速に行う。
「歩佳先生動き良くなったんじゃない?」
「そうかぁ?」
「まだまだ、これからだよ」
「あら、厳しいのね。それは指導医としての意見? それとも姉としての意見?」
「私は現場では私情は挟まないのは、あなたがよく知っているんじゃなくて」
「ふふふ、私情ね。そうねあなたは感情は高ぶるけど、私情は持ち込まないわよね」
そう言いながら、一冊の雑誌をディスクの上に置いた。その雑誌の表紙には若い男性モデルの写真がでかでかと乗っていた。
「ハイハイ、私はどんな時でもクールなあなたとは違います。さて、私達も向かいますか」
少し呆れた感じで? なぜ私が呆れなければならないのか、そんな事はどうでもいいよもう……朗とまた出逢えた。朗がまた私の所に戻ってきてくれた。それだけで私はなんだか満たされたような気持に変わっていた。
朗がアフリカで何をしていたのか、どんな事をしていたのかなんてもうどうでもよくなっていた。今私の目の前にまた私が追う背中が戻って来た事に……いいえ、もう今は彼の背中を追う事は無い。私はもう朗の背中ではなく彼本人の正面と向き合っていたい。
そう、もう彼の背中は追わない。追う必要もなくなった。だから正面から付き合いたい。それが今の私の想いだ。
搬入口に向かうと救急車のサイレンの音が耳に入って来た。
所定の場所で車両が停止し、後部ハッチを開ける。
いつもの見慣れたその車内。ストレッチャーが引きだされ、そのまま患者を処置室へ搬送する。その時必ず患者に対し呼びかけをする。
「分かりますか? 病院に着きました」だがこの患者の反応は鈍い。
処置室に入り、処置台へと患者を「いち、に、さん」の掛け声と共に移動させた。
その時私の耳に「ガシャン」と言う音が入る。
優華が、手にしていた器具を落としたのだ。
その優華の顔を見ると一瞬にして血の気が引いているのが分かる。今までどんな時でもその冷静さを崩さない、あの優華の顔が一変していた。
そして優華は口にする
「
患者の名は
笹西部長が優華に聞く「この患者、お前の知り合いか?」
動揺する優華の声が上ずっていた。こんな優華を見るのは初めてだ。
「……わ、私の弟です」
「弟? お前に弟がいたのか」
「ええ、年は離れていますけど実の弟です」
「そうか、解った奥村お前は下がっていろ」動揺しきっている優華のその姿を目にして笹西部長は優華に手を出す事を止めさせた。
それは正しい判断だったと思う。あの優華があそこまで冷静さを失っているもし、治療に入れば医療事故を起こしえない。
近親者であればあるほど、その私情は思わずとも介入してしまうものだ。
しかしこの患者、どこかで見たことがある様な気がする。そんな気に捕らわれている時、歩佳が一言漏らす。
「この人今人気のモデル、奥村涼さんじゃない?」
その言葉にそうか! さっき優華が手にしていた雑誌の……その時心電図モニターからあの高らかなピロロ、ピロロと言う警告音が聴こえて来た。
「VFです」看護師が声をあげる。
「まずい! 除細動の準備。リドカイン投与」すぐに除細動機がセットされ、チャージされる。
「チャージ完了!」
「離れて」パドルを患者の胸にあてる。ドンと言う軽い音が聞こえてくる。即座にモニターをみるが、依然その波形は小刻みに波打っている。
「モジュールを上げて!」
キーンと言う低周波音の様な音がかすかに耳に入る。そして、再度パドルを患者の胸に押し当てる。
ドン。と言う鈍い音が響く。モニタを再度見る……しかし大きく跳ね上がる波形の後、そのなみは平たんな一本の線しか現れなかった。
「フラットです」
「ラインもう一本増やして、アドレナリン投与。歩佳先生ファイバー挿管できる?」
患者の自発呼吸はすでに「ごうごう」と喉の奥を詰まらせたような音に変わっていた。
「ファイバー挿管? やります」きっぱりとしかも迷いなく歩佳は応えた。すぐさま口元からファイバーを挿入し挿管チューブを挿入した。
「ふん、いつの間に……腕上げやがって」その様子を見ながら患者の胸を押し込むように心マをする。
1分間におよそ100回のプレス。肋骨の一本や二本折れたって構いはしない。そんな勢いで心マを繰り返す。
「戻って来い! 優華の弟なんだろ。こんなところでくたばってんじゃねーぞ」
声には出す事は無い、でも私の心が叫んでいた。
成す
額から汗がにじみ出る。肩がはずれたかの様な痛みを感じさせる。それでも私は止めなかった。止めてしまえば、それはこの患者の、優華の弟の死を意味する。3分、そして5分。本当に長い時間を掛けているかのように感じる。
あと1分……それが限界か! いや、まだあきらめるな!
その時、心電図モニターが一瞬ピクンと反応した。それを笹西部長は見逃さなかった。
「笹山、心マ止めろ!」笹西部長が声を出す。その声に私の躰は反応するようにその動きを止めた。
ピー、一本の線が数秒流れた後、ピッ、ピッ、と規則正しい音と共に波形が戻って来た。
「良かった……」戻って来た。
一気に私の躰に脱力感が襲い掛かる。でも、これで終わったわけではない。まだ重篤な状態である事には変わりはない。彼の意識は搬送された時よりも悪化している。
彼の心臓はまた鼓動を再開した。すぐに瞳孔の確認をする。
その瞳は正常な大きさよりも一回りほど小さく見えた。
「脳外にコンサルを……」この兆候は脳に異常がある。すぐに脳外に連絡をさせた。
患者の頭部に外傷はない。強く頭をぶつけたと言う感じではない様だ。しかし、確かに脳内において何か異常をきたしている事は確かな事だ。何とか彼の心臓は安定して動いている。腹部のエコーを取り内出血がないかを探る。幸い、内出血の様な影は見当たらなかった。
そして、救命のこの扉を開けて入室した医師。そう救命へのコンサルに応えてくれたのは、あの
彼女は現在もこの病院では旧姓の石見下を名乗っている。現在はあの外科総合部長、
「どんな具合?」
来るなり患者の瞳孔を確認する。何一つ卒なくと言うべきだろうか? 彼女のその動きには隙が無い。
「んー、瞳孔縮小1.5位ね。脳ヘルニアが進行している、とりあえず処置をしましょう。CTは?」
彼女の問いに「まだです。先程心停止から復帰したばかりです」私がそう答えると
「そう、意識は回復していない、バイタルは安定しだした。ならばここで処置をします。まずは頭部エコーを」
準備されたエコー画像を見つめるそのブローブの動きは滑らかな動きだ。
「あった! やっぱり出血している。うん、これなら何とかドレナージ出来そうね。開頭しますメスください。頭骨ドリル」
その判断と行動指示は的確かつ迅速だった。
あっと言う間に患者の頭部から溜まった血液が流れ出て来た。それと同時に患者の意識が回復しだし始めた。
「出血の圧迫が取れたから時間は稼げる。後はCTで原因を突き止めてオペ適応範囲かどうかを見極めましょう」
「分かりました」すぐにCT室に移動し、その画像を彼女、石見下医師と見つめる。
「そこ止めて」彼女の一言で技師は画像を止めた。
「やっぱり、脳腫がある。その脳腫から出血したみたいね。これなら今オペすれば後遺症も残らずに取り除くことが出来るでしょう」
「本当ですか?」優華が悲痛な声で石見下医師に問う。
「ええ、大丈夫よ。この患者さんあなたと何か関係が……」
「弟です」優華は小さな声で一言、呟く様に返す。
「そう、弟さんなの。オペは私が行います。よろしくて?」
石見下医師は画像を見ながら目をそらすことなく優華に問う。
「はい、宜しくお願いいたします。どうか、涼をお願いいたします」
「分かった。それじゃちょっと連絡しなくちゃ」
自分のピッチを取り出し、電話を掛ける。その姿は医師であり、そして母親としての優しい顔つきだった。
そう彼女、石見下理津子医師は我が子の母親でもあるのだから……
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