2-13.外科女医 笹山ゆみ Emergency Doctor救命医

 突如に私の前からその姿を消し去った彼奴。梛木杜朗なぎとあきら


 朗はまた突如に私の前に現れた。純白のウエディングドレスをまとった患者と共に。

 挙式中急変し搬送された彼女の命は、あきらによって繋ぎ留められた。

 術後の経過も順調に推移している。何より、彼女の夫となる新郎のあの安堵した顔を見る事が出来たことが一番の救いだろう。


「ありがとうございます」深々と頭を下げ、礼を言う夫。

 そして目覚めた新婦から流れ落ちる涙に「助かって良かった」と思う自分が今ここにいると実感させてくれた。

 だが、私の心の中は今は複雑だ。


 あれから朗に今までどうしていたのかと問いただすも、彼奴は何も話してはくれなかった。


 ただ一言「アフリカにいた」


 ただそれだけだった。詳しい事は何も語らない。

 田辺部長から梛木杜朗なぎとあきらがこの病院に勤務することを告げられたのは次の日の昼頃だ。


 この大学病院と言う体質になじめず、この世界からその身を消し去った彼奴が何故また、自分が忌み嫌うこの体質体系の中にその身を投じようとしたのか? それは分からない。だが、一つ言える事は彼奴の背中は私が昔見ていた背中とは雰囲気が変わっていたと言う事だ。


 どことなく彼奴の背中は田辺部長や常見病院長のあの背中に似てきている様に感じる。


「梛木杜先生は心臓外科へ所属いたします」


 田辺部長は私に一言そう伝えただけだった。彼もまた朗に関してはあまり語らない。どういう経緯で朗がこの病院に来たのか、そして何故、朗はアフリカにいたのか? 私の頭の中はその事でいっぱいだった。


「笹山先生 今日は元気がないようね」


 奥村優華おくむらゆうか、私の後輩になるがここでは彼女の方がキャリアは長い。私はここにきて3年目。彼女はもう5年もここで救命と言う戦場でその身を投じている。


 だが、彼女も昔、研修医時代は同じ大学病院にいた事は事実。そして朗とも面識もある。なにせ私達3人は同じだ学を出て、そして同じ病院でレジテント期間を終えた中であるのだから。


「朗さん、戻って来たじゃない。良かったわね、ゆみ」


 ディスプレイモニターを見ながら優華は呟く様に言った。

 それに私は何も返事を返さなかった。


 そんな時、「よっ!」と口角を上げその白い歯をあらわにした彼奴が私達の前にその姿を現した。


「ふん!」と知らんぷりをする私。

「まったく、素直じゃないんだから」

 呆れるように優華は言う。


「ご無沙汰しています梛木杜先生」

「ああ、優華ちゃん。本当にご無沙汰だね、相変わらずそのクールな美貌を保ったままで僕は嬉しいよ。なぁ、ゆみ」と、私の肩に手をあてがった。


 その手を私は勢いよく払いのけた。「気軽に触らないでよ!」大きな声をあげてしまった。その場にいるスタッフ全員が私達の方を振り向く。


 しまった! そんな気ではなかったんだけど、つい声が大きくなってしまった。そんな私達を周りの目は何事かと言う感じで見つめていた。

 居た堪れなくなった私は、朗の手を掴みその場を逃げるように立ち去った。


 中庭のその隅。日は当たるが、建物が出っ張りその部分だけがぼっかりと穴が開いたように開けた場所。そこに私は朗を連れ出した。


「相変わらず、怒ると怖ぇーな、ゆみ」


 そんな事言う朗の目を私はじっと睨みつけた。


「そんなに怒んなよ。黙っていなくなったことは謝る。悪かった」


「なによ、たったそれだけ? 私にあんな短い置手紙一枚残して姿を消してしまうなんて、私がどれだけあんたの事を探し回ったか知ってんの? それに、今の今まで何の音さたも無しなんて……それなのに、朗は、朗は……」


 もう涙が溢れて過ぎて声が嗚咽でつまり言葉にならない。


 言いたいことは山ほどある。次から次えと頭の中に湧いて出てくる。だけど、胸の中がいっぱいいっぱいだった。


 朗はその背中を壁に寄りかけ、ポッケから煙草を出し咥え火を点けた。そして昔と同じように私の口にその煙草を咥えさせる。また新たに煙草に火を点け白い煙をふぅと吐き出した。


「すまんな、ゆみ。あの時は、ああするしかもう道がなかったんだよ。俺はあの時もう外科医としての道を閉ざされようとしていた。いや、自分で蒔いた事だから仕方がないのは確かだ。でもな、あの場所で俺のいる、いや俺自体の存在がもう拒絶されていた。周りからもそして自分自身からも」


「知っているよ。でもそれはあんたが自分で望んだ事だったんじゃないの?」


「ああ、そうだ。自分で望んだ結果が俺を追い込んだ。大学病院と言う体質の中で、全てがもう俺の中で拒否をし始めた。居場所がなくなっただけじゃない、もうメスを握る事さえ、俺は拒否をし始めていた。医者であることに、外科医である事に限界を感じていた。そんな時、親父の遺品からある一冊の本を見つけたんだ。古ぼけた本だった……」


 朗は言う。青い空に白い雲が浮かんでいる広い世界を見つめながら


 朗が父親の遺品から見つけた古ぼけた本。それは英語で書かれたある医者の人生を綴る自伝の様なものだった。ページを開きそのページの至る所に血のよな沁みが残されているのが目に入る。


 その本を自然と読み更ける様にその中に朗は入って行った。いや、その本が朗を惹き込んだのではない。朗自身が求めていたものがその本に記されていたのだと彼は言う。それは朗の父親が追い求めた医師としての姿を写し出していた。


 幼き時からいつも朗は父親のその医者としての姿を見ていた。小さな個人病院の開業医として、あの街に住む人たちを見守っているその姿を。だからかもしれない、研究や、症例だけにこだわるこの大学病院と言う体質に馴染めなかったのは。今思えば朗は本当の医者としての使命を見出したかったんだと。


 そして、その本の最後の空白のページに張り付けられていた写真。その空白に書かれた言葉。


 それは朗の父親が書いたものだった。



「医者は医者である前に人であれ」



 その言葉はあの時の朗に新たな道を開かせてくれた。


 そして、その時初めて知る父親の経歴。朗の父親は若き頃、「名もなき医療団体」に所属し、内乱紛争が過激化する戦地に医師として赴いていた事を。その写真に写る若き頃の父親の姿を朗は目にし、道に迷う自分に今、進むべく道を見たと言った。


 朗も私と同じように追う背中を見つめていたんだと。


 そして今あるすべてをメスで切り裂く様にして捨て去り、この日本から飛び立った。私にたった一枚の置手紙を残して……


 私は幼い頃、実の父親から訊いた話をその時思い出した。


「この町にはすごい腕を持った外科医がいる。彼はその全てを自分の為ではなく、病む人の為に注いだんだと」


 それが朗の父親の事なのかどうかは分からない。でも、私の実の父親もあの小さな個人病院の医師の姿を見つめ、敬意していた事はあの幼かったころの私も感じていた。


「俺もお前と同じように、親父の背中を追い求めていたんだ。でもその親父はもういない。追う背中も追えずにいた俺は、いや、その背中を追うために俺は医者をやっているんじゃない。親父が残してくれたあの言葉、あれは最後に俺に向けた言葉だったのかもしれない。若き頃の親父が自分の子が道に迷うことがあった時の為に……」


 その時私は気づかされた。


 私が追っていた背中を。私は朗の背中を追い求めていた、でもその陰にもう一つの背中を追い求めていた事を。


 私は幼き頃から、あの白衣を着た大きな私の実の父親の背中を、ずっと追い求めていたんだ。


 私も自分の背を壁にかけ、空を目にしながら自分のポケットから煙草を一本取り出し火を点けた。白い煙が目に沁みる。薄っすらと涙を浮かべながら朗のその手をそっと握り


「おかえり、朗」と呟いた。


 その後、私のピッチが鳴り出した。

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