2-6.外科女医 笹山ゆみ Emergency Doctor 救命医
高層ビルでの火災。それが居住するマンションであれば直さら負傷者は多い。
まして今日は祭日だ。運が悪いとしか言いようがない。
ここの許容キャパはすでに超えていた。
火災現場からは一番近い救命センターであるがもう限界だ。一番辛いのがレッドタグで搬送され、処置台にあがる寸前でタグを切らなければいけない。最後の色ブラックタグに……なんの処置も出来ずに死亡確認しか出来ない……
かと言えば興奮状態でアドレナリンが自分の怪我の事を感じさせず暴れだす重傷者、アドレナリンの分泌が切れると一気にその症状は最悪の事態へと急降下する。
火災の場合負傷者の多くは火傷によりものだと思われがちだが、全身を多く熱傷している患者は思いのほか少ない。ほとんどが煙を吸い込んだ一酸化炭素中毒や一気に心臓に負担がかかり、心不全を起こしてしまうケースなど様々だ。
確かに深度の深い火傷を負った負傷者も多い。されど今すぐに命に関わる状態ではない患者が大半を占める。
今回救命に搬送されてきた負傷者数29名、うち死亡者5名……5名の命を救う事が出来なかった。なかには幼い子供もいた。
ようやく病院内がいつもの平常を取り戻したのは、夜9時を回っていた頃だった。
処置室で倒れ意識を失った優華。優華が寝ている病室の戸を静かに開ける。
「な―んだ、起きていたんだ」
私の顔を見てホット肩をなでおろし
「ごめんね。迷惑かけて……」
「いや、別にぃ。それより本当に落ち着いたみたいね。まぁ検査結果も問題ないし今日はゆっくりここで休むといいわ」
「そうね。そうするしかないみたい。だって帰る家がもうないんだもの」
「そっかぁ、あのマンション優華が済んでいたマンションだった。どうすんの? これから」
「どうもこうもないでしょ。マンションの管理会社からは何の連絡も来ないし、現場検証終わってからでないと何とも出来ないんだと思うんだけど。多分しばらく掛かるんじゃない?」
「そうかァ……」
「あのぉ……ゆみ、良かったらあなたの所にしばらくいさせてくれない?」
優華が私を名前で呼ぶのは本当に珍しい。正直ここ何年もなかった事だ。よっぽどのことがない限り彼女は私の事を名前で呼ばない。
「えっ!……」とは言ったものの、断るにはバツが悪い。特別優華がうちに来ることが嫌なわけではないんだが……自宅の惨状を思えば彼女は卒倒しかねない。
「まぁ……いいんだけど。うち物凄く散らかっているわよ」
「そんなの解ってる。歩佳先生からよく聞いているから、ソファーだけ貸してくれれば私そこで寝るから」
歩佳めぇ……優華に何でもかんでも話すんじゃねーよ。と言っても後の祭り。
「ま、いいかァ困った時はお互い様。荷物とかは?」
「何もないわ。家財道具全部、もう下着まで全部だめになっているんから、この身一つよ」
「あはは、確かに物凄い火災だったらしいから、それに奇跡的にあんたその程度で済んだんだもの、運がいいとしか言いようがないんでしょ」
「ほんとに……それじゃしばらくお世話になります大家様」
しおらしい優華は何となく身震いをさせる。
「今日はこれからあなたは?」
「あ、私、とりあえずこんな状態だし明日はオフだからまぁ朝まで居るつもり」
「そう、無理しないでね」
また身震いがする。優華のその優しい言葉は私には免疫がないみたいだ。
朝、優華の所に行くとすでに彼女は退院の手続きを済ませていた。
ロビーで待っていると言う伝言通り、彼女はロビーの椅子に腰かけて本を読んでいた。
「お待たせ優華、さっ行こうか」
「ええ」と一言いいスッと立ち上がる。何となく雰囲気はいつもの優華に戻っているような気がしてホッとした。
だが、それもつかの間、私の家の部屋のドアを開けた瞬間、彼女は卒倒した。
「豚小屋の方がまだましね」
今なんて言った? 豚小屋? まだまし?……おいおいそれはあまりにも言い過ぎだろうと、言えない私はもう笑うしかない。
「ははは、済まないねぇ汚くて」
「ええ、想像以上だわ。歩佳先生だいぶあなたに気を使って話してくれたのね」
最後の一撃を食らったかの様に私の胸は撃ち抜かれた。もうどうにでもなれ!
入るなり優華は座りもせずすぐに部屋の掃除に取り掛かる。
私の脱ぎ捨てた下着なんかも中途せずもう抱え込んでとりあえず洗濯機に、下着はネットに入れるという……私なんかめんどくさいからそのまま洗濯機にいつもポイなんだけど……やっぱり優華は性格的にそう言うところは几帳面だ。確かに彼女のオペの手順は一つの線を描いているかのように的確に順序だてられたオペを行う。まぁ、それが妥当であるかどうかは彼女、いわばその医師のやり方と言うものだろう。その性格がありありと出ている事は確かだ。
あっという間にリビングは片付いた。後は残るはキッチンだ。
でも私はほとんど自炊はしない。あると言えば……弁当の殻やビールの缶の山
優華は手際よく、それを分別して「はい、あなた、これごみに出してきて」
さながら良く出来た奥さんに朝、出勤時に旦那がごみ袋を手渡されるような感じだ。
私がごみ置き場から戻るころにはすでに掃除機の音がしていた。
全く持って、いい女房を手に入れたような感じがしてきた。て、私は男なのか?
朗が前に言ってていた優華の弱点。それは私だと……
それはわかる気がしていたけど、その意味は分からないでいた。本当の意味でも優華の気持ちがどこにあるのか、そして朗が言っていた優華の本当の姿ったって……
そのあと私は知るんだけど……
それもまた人生としては悪いものではないと思う自分が、良いのか悪いのか惰性に流される私の性分が悲鳴を上げる。あと少しで……
「優華、ありがとうございます」
すっかり見違えるように綺麗にかたずけられた私の部屋を眺め優華に深々と頭を下げる私。
「いいのよ。これからお世話になるんだし、これくらい。だって出ないと私暮らしていけないんですもの」
取り敢えずここは何を言われても致し方がない。
「優華シャワー先に浴びてきたいいよ」
「ありがとう、そうさせて頂くわ。それと下着あなたの貸してね」
「それじゃ新しいの確かあったから……」
「いいわよ洗濯してあるので私別にあなたのなら気にしない」
そう言いながらすでに下着を寝室の箪笥から取りに入って行った。その後何も言わずにシャワーを浴びる優華。
「はぁ――っ」なんだろうどっと疲れが出た。でもあなたのだったら気にしないって……まぁ私も別にいいんだけど。優華なら。
優華がシャワーから上がってすぐに私もシャワーを浴びた。流石に今日は汗臭さ満点だ。病院のシャワーを浴びることは出来たんだが、昨夜はシャワーを浴びるとそのまま寝てしまいそうな感じだったからそのままだった。下着も変えていない。ほどほど汗まみれで一日いると体がべたつく。シャワーの湯を浴びると生き返った気になる。ようやくホット一息付けている自分。ボディーソープとシャンプーの香りが私をリラックスモードに変えてくれる。
「あーさっぱりした」
シャワーから上がると優華は携帯で電話をしていた。彼女が唯一持ち出す事が出来たもの。スマホだけだった。それで何とかマンションの警備会社との連絡もつける事もできていた。
彼女の話の声からその警備会社? もしくは保険会社のどちらかである事は察しがついた。
そっとテーブルにビール缶を2つおいて私はプルタブを開け、ごくっと一気にのどにビールを流し込んだ。
電話が終わった後「マンションの警備会社から?」と訊くと
「ええ、私の部屋全焼なんだって。これから保険会社との話で保証の話になるみたい。時間はかかりそうね」
「だろうね。仕方ないでしょ……もうこうなったら」
優華も目の前に置かれたビールのプルタブを空け、一気に一缶を飲み干した。
「お、いけるねぇ……まだあるわよビールなら、もっと飲む?」
「ええ、もう飲んでないとやってられないでしょ」
「よし、それじゃ今日は飲もう!」午前中から盛り上げて私はどうすんだ。でも私もなんとなく飲みたい気分だったからいいかと二人でとことん飲んだ。
ピザをケータリングして、しまいには宅配寿司ま頼んで飲みあかした。
「ねぇ、ゆみぃ―。あなた意外と胸見た目よりあるんだぁ。ちょっときつめだけどサイズそれなりに合うんだけど」
「へっ、そうおぅ。私少しきつめのほうがいいからEにしてるんだけど、普通はFかなぁ。優華ちゃんF以上あるんでしょ」
「そんなにないわよFでぴったりよ。でも私は少しゆったり目が好みかなぁ」
「はぁ……そうですか。後でブラとかは買いに行かないとね。それと着るものも必要じゃない?」
「そうね、おいおいそろえていかないとね。なにせこの身一つしか今はないんだもの」
「そうだね」
この日から私と優華の二人のルームシェア生活が始まった。
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