詩人の広場 第二回 後編
後半、始まりまーす。
帆場蔵人
湿原工房・作 木漏陽考
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883028904/episodes/1177354054885819058
なにか囁きかける
なにか教えている
しとしとと雨の音
間欠に動くワイパーの音
砂利道がつくる揺れ
濡れたテントをのせた
うす暗い車内だった
溶けるような
やわらかい疲労に抱かれたからだは全身で
眠りへと流れこんでいく
眠りの水面で泡沫が弾ける
父と母が
会話しているのだ
地場産品のことや
景色のこと
私たちこどものことなどが
揺れた枝葉をつたって
フロントガラスにぶつかる雨滴の
リズムで
訥々とつとつと
母の口に灯される声
それに頷いたり
二三言葉をついだり
父はして
ワイパーが
まとめて拭うように沈黙へと
吸い込まれていく会話が
眠りの屋根を打っている
言葉らしきもの
ひどく
語りかけに似たリズム
おそらく
そんな気怠い帰宅路の
眠りのよそに聞く
会話に類似している
着替える手間を厭って
学ランのまま
犬を散歩させている
気まぐれに立ち止まり
辺りを嗅いではまた歩きだす犬
気まぐれに立ち止まっては
木立の枝葉のあわいで明滅する
陽射しにとらわれている私
犬が先へ行こうとする
綱が張り すこし緩めて
こちらを振り返る犬に
目を合わせ
歩きだす素振りを気取ると
また前に向きなおって歩きだす犬
歩く私
そしてまた明滅する
陽を見ている
るら
りら る
るら りら
るら り るら
りら るるら り
るりら り りら
るり ら
る りら り
り りら
りる
明滅する陽が言葉にみえる
しかし言語は解せない
る
り り
る ら ら
ら る
ら る ら り
り ら
ら る
り
り る る
ら ら
る
り る
る ら り
ら ら
陽はなにを語っているのか
る――…… る――……
る…… る――…… る……
る――…… る――……
る――……
る…… る――…… る――……
る――…… る……
。る
はたと足を止める
。る
日輪は枝葉のむこうで
。る
黙った
語っているのは
陽ではない
枝葉 ではない
そろりと歩きだし
る――…………
立ち止ま
。る
語っているのは
枝葉ではない
私 ではない
陽 ではない
陽を背にした木立のなかを歩行する
という生き物が囁いている
「……この子たちが大人になったとき
あの渓谷の滝に打たれて濡れたことを
思い出して懐かしいと思うことが
あるのかしら、――……」
「……うん、――……」
「……帰ったら洗濯機に入れるまえに
泥を落とさないと、――……」
「……、――……」
「……、――……」
「……、――……」
「……、――……」
囁いているのは
木漏陽
重ね合わせになった生き物
陽は 木立は 私は 生き物の器官
陽は陽 木立は木立 私は私 という個体
重ね合わせになっているのは
木漏陽ばかりではない
学ランを着たまま散歩する時間は
この犬があるため
赤いリード
学ランを着た私
その下の裸の私
陽が落ちるより早く
夜を支度する街灯
夜に向かって衣服を脱ぎはじめる街
遠くに見える小学校の
使われていないプラネタリウムの半球
下校のチャイム 小学生たちの
別れの挨拶 こどもたちの体格
この今という一時に起こる
あらゆる組合せの生き物
だれにともなく
なにをともなく
それらは銘々囁いている
私は私であったし
学ランを着た私であったし
リードを引く私であったし
犬を連れた私であったし
木立のそばを通る私であったし
日暮れ前の私であったし
木漏陽の囁く私であったし
やがて夜闇に包まれる私であったし
そうした
それぞれの生き物の重ね合わせのなか
それぞれの生き物の
重ね合わせを目の当たりに
している私であった
帆場蔵人
言葉と自分を取り巻く世界の在りようへの気づき、前回の言葉を覚える、との連続性がたしかに感じられる作品ですね。
しづき(失言工房)
るりらの配置には苦労しました。とりあえず言いたいのはそこだけw
帆場蔵人
視覚的効果、最初に眼がいきました。考えられた構造だ。
草月玲
まだあまり難しいことは言えないので……、
後半の「明滅する陽」を言葉に変換しようとする部分、「ことば」というプリズムを用いて本当に光が分散しているような感覚に襲われました。
初心者である私は普段言葉だけを見て「語感」などはスルーすることもあるのですが、このように視覚的に目立つものがあると、私のような読者も興味を惹かれると思います。こうした作品をきっかけに詩に興味を持つ方も少なくはないのはないでしょうか。(やはり目に留まりますよね)
オキノ ラク@文体定めていきたい
「私」という自我とほかの境界が溶けあっているような感じを受けました。
レイアウトに非常にこだわっていて、視覚的に本作の世界の雰囲気を訴えているところも感じました。「」を使ったくだりの表現がどこか遠く、「ここであるようなないようなところにある日常」を思わせます……と、私は思いました!
帆場蔵人
明滅する陽が言葉にみえる
しかし言語は解せない、
これが印象的ですね。
草月玲
言葉は単なる記号であり、伝える範囲にも限度がある。改めて実感しました。
オキノ ラク@文体定めていきたい
言葉による幻想がよく醸されていたとおもいました
帆場蔵人
世界が重層的に、レイヤーのようにひとつの巨大な構造となっていることが頭に浮かんで来ます。
帆場蔵人
この幼い頃の記憶ってたぶん、誰にでもあるんだけど普段、意識しないですよね。かなり曖昧だろうし。それを上手くほり起こして、違和感なく繋げていく。そこに生きてきたあらゆる私の瞬間が差し込まれていく、このカットの重なりが詩に厚みをもたらして、具体的な記憶は読み手の中で普遍に近くなります。
しづき(失言工房)
草月さんの感想は、木漏れ日の言葉に寄せた感じですかね。分かろうとしても分からない、その記号のゲームルールに参加していない、という感じかしら。
草月玲
実はそのー、お恥ずかしい話なんですが、実は私、未だにこの作品の主題のようなものを掴み切れてなくて(おそらくカチッとしたものではないと思うのですが)、もしありましたらどなたかご教授お願いできますでしょうか
・語っているのは
枝葉ではない
私 ではない
陽 ではない
陽を背にした木立のなかを歩行する
という生き物が囁いている
・この犬があるため
この二文に核のようなものがあるのかなと思っています。特に二つ目は、犬がいるではなく「ある」となっていますから、意図があるのだろうと思っています。ただ、そこまでなのです……
草月玲
でも確かに、前回の作品と同じ雰囲気を私は感じ取りました。
しづき(失言工房)
むしろ核をつかめない感じが作者の意図を逸脱してくれるので、私には一番興味があるところです。おっしゃる通り、そのへんは作者の意図はあります。
しづき(失言工房)
あんま喋ると節操ないな。
オキノ ラク@文体定めていきたい
私は詩を論理的に考えていない(文字の開き、視覚的効果、言葉選び、韻などで感じている)ので、みなさんの鋭い観察眼すごいなといつも思っております。
そしてこの詩は言葉選びと視覚的効果というところでかなり強いちからがあるな、と(話脱線してすみません)
しづき(失言工房)
逆にいうとその強いちからが解釈の多様さにとってしがらみであるところかな、と。
草月玲
いえいえ、ありがとうございます。たぶん核が掴めないのは最初の父母私の車内シーンや散歩シーンなど、多くの構成要素があると言うのと、抽象的な語り掛けとか文字列が多くて、どうしても考えるよりは「感じる」方が心地いいからでしょうか。見ていて不思議な感覚を持ったら、思考によってその幻想を破壊したくもないと思ったりもしたんです。
帆場蔵人
枝葉ではない
私 ではない
陽 ではない
囁いているのは
木漏陽
重ね合わせになった生き物
陽は 木立は 私は 生き物の器官
陽は陽 木立は木立 私は私 という個体
この辺りを素直に飲み込むなら木漏れ日が世界を物を露わにして、そこからさらに連なる記憶
帆場蔵人
ひとつの木漏れ日という現象が詩を記憶を連ねていく、、読み込みが足りないか。
帆場蔵人
思考によってぶち壊したくない、確かにそれはありますね。わからないけど、読んでて気持ちがいい作品ありますからね。
しづき(失言工房)
るりらの部分は思えば草野心平感あるかも?
オキノ ラク@文体定めていきたい
すみません、話の流れぶったぎりますが、もう23時になりそうなので私はここで離脱とさせていただきます!(返信は結構ですm(__)m)
しづき(失言工房)
おつかれさまです。ありがとうございました(返信する)。
帆場蔵人
生殖と冬眠?
あ、おきらくさんおつかれでした、って返信してしまうw
しづき(失言工房)
あるいはねりりしきるるする谷川俊太郎感?
草月玲
(お疲れ様です!)今調べたら、「生殖 Ⅰ」というものが出てきて……って既出ですね!
帆場蔵人
言葉の意味と意味で捉えられない、感慨や詩情の狭間で揺れている。
帆場蔵人
ねりりしきりりする、は初めてききました。あ、いや。選集て読んだか、、
二十億光年だ。
代表作なのになぜか、抜けていた。
火星人が
ねりりし、きりりし、はららしているか
地球人が
眠り起きて、働くに対応して描かれた詩句ですね。
しづき(失言工房)
異質なものに遭遇するとき、見る者のなかで秩序だてられた世界は再構築を迫られる。
帆場蔵人
でも語感でなんとなくわかってしまう。いつだったか、人間は頭と最後の文字で単語を判断する、というイギリスの研究をやってましたが、
あおぞら→あぞおら、みたいな。盛大に脱線しているw
草月玲
それを題材にした2chかなにかのコピペを見た記憶があります!
しづき(失言工房)
記号の順を勝手に既知のものに整えてしまう、ということですね。
帆場蔵人
そうです。長文でこれをしても人間の脳は既知の単語に均して読んでしまう。
草月玲
脳が勝手に修正をしてしまうのですから、詩や小説などを考察する際にはなおさら一語一語を大切にしていきたいです。
しづき(失言工房)
つまり日は日、木は木、私は私という既知の輪郭があるということです。
脱線した車両の下にレールをこしらえる。
帆場蔵人
その輪郭が曖昧になるとき、
人は認識の再構築を迫られる。そこに詩としての発見があるんだと思います。再解釈と言ってもいい。この詩はぼくにそれを確認させてくれます。
草月玲
ああ! では個人各々のこれまた個々の事象に対する認識に一度立てついて、その時に生じる思考が表現されているということでしょうか
草月玲
ゲシュタルト崩壊したらこういう事が行われているのか、少し気になります。今度試してみます…
帆場蔵人
冒頭の
囁きかけている
教えている
というのがそうなると象徴的かな。詩集を通して存在する距離というものとも関係しますよね。輪郭が個々に出来るという事は別たれるということだし。
しづき(失言工房)
ゲシュタルト崩壊といえば、鏡に映る自分に向かって「おまえは誰だ」と言いつづけると精神崩壊するってやつ試してみたい。精神崩壊しそうでできない。
帆場蔵人
あー、ありましたね。都市伝説的に語られてる。あれはマジに壊れそう。
帆場蔵人
しかし、詩の視覚的効果。湿原さんの作品では他にも形態詩を思わせる作品がありますよね。
帆場蔵人
あれって詩句との関係を上手く作るのにテクニックが必要で、今のところぼくは手を出してないんですが。ネットで色々、観ましたが湿原さんの作品はうまく噛み合っていてレベルが高いと思うんですね。
しづき(失言工房)
ひとつ打ち明け話をいえば、旅行帰りの場面と木漏れ日の場面を並べたのは、書いたその時の感性だけでやってます。なので論理的な繋がりがあるかは私にも不明です。たぶん、まどろみ感(輪郭、寝入りばな)が共通項といえましょうか。
この二つの場面を並べるのは高校のときに書いた小説なんかはいつもやってて、理由が「一方の話に詰まったときのための別の物語のほうを書ける」からですw
それがうまくいけば一本の話になるんですが、これはどうなのかよくわかりません。
草月玲
視覚的に意外性があるので、読者にも興味を持ってもらいやすい。そういった理由でも、もっと詩作スキルが上達したらチャレンジしてみたいとは思ってました。でもそうですね…詩との関係も考えなければならないと言うのは並大抵のことではないですよね。
帆場蔵人
ぼくはこれから湿原さんの詩に惹かれたわけですが。やはり絵画に興味があるのが関係しているんですか?
しづき(失言工房)
騒音譜のほうは完全に中身なしでやってますが、一応そうした遊びから出てきた技法を中身ある詩につかってる感じですかね。
あまりうまくいってる実感はあんがい薄いですが。
しづき(失言工房)
絵への関心は影響あるかもしれません。
しづき(失言工房)
モンドリアンとかのイメージかも。
しづき(失言工房)
デュシャンの階段降りる人とか。
帆場蔵人
カクヨム では月緒桜樹さんが形態詩、三角形の詩とかね、を沢山発表されてますね。階段詩は確かに有名。寺山修司もハート型の詩がありましたか。
しづき(失言工房)
あとは、高校のときに文字を引き伸ばしたり一部だけ小さくしたり、話したり重ねたりして絵の印象を与えるものを書いてましたね。
草月玲
モンドリアン! 何だかしっくりきますね。 詩も随分多方面の知識が要求されますね。そのうち音楽知識なんかも必要になってきますかね
帆場蔵人
そういう意味ではアート的なコンクリートポエトリーにも関係して来ますね。
しづき(失言工房)
作家名忘れますが「空間概念」という美術作品とか好きなんですよね。破壊衝動みたいな感じでしょうか。
ちなみに景色消去は何度も書いてる詩で、一応中身ありきの形ですね。
しづき(失言工房)
モンドリアンは好き加減が熱烈ではないんですが、きれいですよね。
ダダイストのおふざけおちょくりみたいなコラージュも好きなんですが。
帆場蔵人
ぼくは中身、と詩の型が情感として一致した作品はやはり好きですね。
草月さん、
たぶん、料理も仕事も凡ゆる経験が詩に作用すると思います。ナス料理のレシピ?を詩にしてた方もいますから
帆場蔵人
モンドリアン、後で調べてみます!
しづき(失言工房)
これも高校のとき、美術室で中身がなくなったり固まったりした絵の具チューブを大量に見つけて、それがめっちゃ面白くて持って帰ったことがあります(母に廃棄されました)
草月玲
そう言えば帆場さんも、いつか食に関する詩の企画を開催されてましたっけ?! 一度詩の固定観念に捕らわれないようなものも作ってみようかと思います!
草月玲
絵具、それだけあったらアッサンブラージュみたいなのできそうですね(笑)
帆場蔵人
カオスな光景って詩を感じますよね。
料理の詩はメアリー・ディキンソンだっけか
しづき(失言工房)
エミリー?
帆場蔵人
エミリーでした。
メアリーはイギリスの小説家だわ。
帆場蔵人
既存の詩をコラージュした作品を観たことがありますが、あれはあれでセンスが要りますよね。
しづき(失言工房)
根気がいりますよね。私は作れない。
帆場蔵人
Bレビですね。ステレオタイプさんの作品で、面白かったですね。しかし、ぼくにも無理。
しづき(失言工房)
こんど読んでみます。
帆場蔵人
あ、少し前に湿原さんとツイッターで連詩やりましたよね。あれ、草月さんたちも入ってもらって合作なんかも企画としては面白いですね。
しづき(失言工房)
ちなみに木漏れ日については過去ニコニコのブロマガにも書いてます。
http://ch.nicovideo.jp/shitsugen_kobo/blomaga/ar1002840 …
こちらも参考になるかと。
しづき(失言工房)
ですね、ああいうのはやりたいです。やや私は壊しぎみでしたが汗
草月玲
情報の嵐ですね(^^; 耐性の無い私はじっくりと呼んでいきます。(それと、そろそろ私は寝ようと思うのですが、もうすぐ終わりそうですかね?)
帆場蔵人
即興苦手なんですが、面白かったですよ。
帆場蔵人
おっと、もう0時になりますね。そろそろお開きとしましょうか。
しづき(失言工房)
そうですね。私も明日滑落死しないよう寝ないと。
帆場蔵人
洒落にならん(゚o゚;;
ではでは、今夜はこれにて。また纏めたらお知らせします。皆さん、ありがとうございました。
草月玲
滑落死……私は寝不足で死ぬとしたら轢死くらい…。了解です。本日はありがとうございました。毎回発見があるので、次回も楽しみにしています。
しづき(失言工房)
ありがとうございましたやっぱり会話のなかで出てくる解釈は面白いですね。
帆場蔵人
あ、ちなみにこちらの場は退屈な時は雑談など自由にしてください。で、50人までは招待可能なのでいずれはメンバーの拡張も考えています。すぐには無理だけど。では、皆さん良い夢を。
さて第二回の広場、いかがでしたでしょうか?
参加してみたいなぁ、と思われる方がおられましたら帆場か他の御三方にご連絡ください。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます