第37話
顕さんに自分の想いを告げてしまった。でも、わたしは本当に噺家の女将さんになれるのだろうか? 結城顕の妻ならなれると思うというより一生懸命やれば、なれる気がする。でも、女将さんになんてなれるのだろうか? そんなことを考えていた。そして、ふと気がつく。
「ねえ、福太郎さんの噺聴かなくても良いの?」
高座では福太郎さんが「菊江の仏壇」をやっているはずだった。客席には入れなくても楽屋から聴くことが出来るはずだった。
「そうか、戻ろうか……でも、ここに居ても良いけどね」
「どうして? 他の人の高座を聴かなくても良いの?」
この会は出来の悪さが続けば交代させられるのだ。今日の高座で一番出来が悪かったらとりあえず次回は予備に回されるのだ。それだけは避けたいと思っているはずだった。だから福太郎さんの「菊江の仏壇」を聴かないという、消極的な考えが理解出来なかった。
「福太郎の奴にはこの噺は難しいと思うよ」
福太郎さんは協会は違うがほぼ同じ時期に入門しており広く考えれば同期なのだ。
「難しいの? なら何故そんな噺をやったの?」
「それはきっと、安全策を嫌ったんだろうね。得意な噺だけを選んでやっていたら、芸の伸びは期待出来ない。だから今は出来なくても挑戦する事に意義があるのだと思う。でも普通は自分の会でやってみるものだけどね」
顕さんはそう言って福太郎さんの考えを推理してくれた。
「この会で演じる事で更に自分を追い込んだのだと思う」
「そうなんだ……」
「でもそれは、今日ここに出ているメンバーは皆、表にこそ出さないけど胸にしまってると思うよ」
そうなのだ。それは、わたしだって判っていたはずだった。顕さんの安全を願うばかりに、安全策な方向に考えが行ってしまってる事に気がついた。
「楽屋に戻ろうか」
顕さんはそう言って、わたしの手を取って歩き出した。わたしも一緒に行く。楽屋では翠が馬富さんの着物を畳んでいた。彼女はこんな事もする。わたしは多分やらないかも知れない。真打になれば前座さんが手伝ってくれるし、ある意味、部外者であるわたしが、やる事では無い気がするからだ。
菊江の仏壇という噺は東京でもたまに「白ざつま」という演題で演じられる。わたしも上方の米朝師や色々な師匠の録音や映像で聴いたことがあるが、余り後味の良い噺ではない。この噺の筋は……。
ある大店の旦那ですが、奉公人にはろくなものも食わせないほどケチなくせに、信心だけには金を使うというお方。
その反動か、せがれの若旦那は、お花という貞淑な新妻がいるというのに、外に菊江という芸者を囲い、ほとんど家に居つかない。そのせいか、気を病んだお花は重病になり、実家に帰ってしまう。
そのお花がいよいよ危ないという知らせが来たので、旦那は若だんなを見舞いに行かせようとし、今までの不始末をさんざんに攻めるが、若旦那は
「わたいの女道楽は大旦那の信心と変われへんもんでっせ」
と全く反省の色すらも見せない。おまけに番頭が、もしお花がその場で死にでもしたら、若だんなが矢面に立たされて責められると意見され、
嫌々ながらも、自分が出かけていく。
本当は、これは番頭の策略で、ケチなだんながいないうちに、たまには奉公人一同にうまいものでもくわしてやり、気晴らしにぱっと騒ごうということ。
若旦那は、親父にまんまと嫌な役を押しつけたので、早速、菊江のところに行こうとすると番頭が止めます。
「大旦那を嫁の病気の見舞いにやっておいて、若旦那をそのすきに囲い物のところへ行かせたと知れたら、あたしの立場がありません、どうせなら、相手は芸者で三味線のひとつもやれるんだから、家に呼びなさい」
若旦那は、それもご趣向だと賛成して、店ではのめや歌えのドンチャン騒ぎが始まる。そこへ丁稚の定吉が菊江を引っ張ってくるが、夕方、髪を洗っている最中に呼びに来られたので、散らし髪に白薩摩の単衣という、幽霊のような様子。
菊江の三味線で場が盛り上がったころ、突然だんなが戻ってきたので、一同大あわて。取りあえず、菊江を、この間、旦那が二百円という大金を出して作らせた、馬鹿でかい仏壇に隠す。
何も知らない旦那は帰って来て、
「とうとうお花はダメだったと言い、かわいそうに、せがれのような不実な奴でも生涯連れ添う夫と思えば、一目会うまでは死に切れずにいたものを、会いに来たのが親父とわかって、にわかにがっくりしてそのままだ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
と、唱えます。そして番頭が止めるのも聞かず、例の仏壇の扉をパッと開けたとたん、白薩摩でザンバラ髪の女が目に入る。
「それを見ろ、言わないこっちゃない。お花や、せがれも私も出家してわびるから、どうか浮かんどくれ消えておくれ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
すると仏壇の中の菊江が
「旦那様、私も消えとうございます」
とサゲる噺だが、後味が悪い。正直、数多ある落語の噺の中でも一、二を争うほど嫌いな噺だ。同じ女として許せない部分が余りにも多いと思う。それはわたしが女として未熟だからなのか? それとも時代がそうだったのか? 今のわたしには出せない結論だ。
楽屋で見るモニターの福太郎さんは噺の後半に入っていた。
「……どうか消えておくれ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
「旦那様、わたしも消えとうございます」
サゲが決まって拍手の中、福太郎さんが降りて来た。
「あ〜イマイチだったなぁ」
汗を拭きながら着物を脱いで行く、すると仲の良い萩太郎さんが
「あの噺をやるなんて、まさかと思ったよ」
そう言って半分感心していた
「結構な大看板だって、成功してるとは言い難いからね
また、そうも付け加えていた。その言葉に福太郎さんは
「まあ、今からやらないとね。将来出来ないかも知れないし、東京で上方落語をやるには、いつかは避けて通れない道でもあるしね」
やはり顕さんの言った通りだった。わたしは見方が甘いと思った。今のままでは噺家の女将さんには、なれないと思った。
仲入りになり顕さんが着替えを始めた。段々結城顕から古琴亭小鮒に変わって行く。わたしも翠ではないが手伝う。今日の着物は、濃紺で一見、無地の織物に見えるが実はかなり細かい縞が入っている。今日は酔っ払いの噺でしかも、恐らく職人の家庭なのでこの着物にしたそうだ。
「似合ってるわね」
思ったよりも柄と色が似合っていた。このまま噺の主人公になれそうだった。気がつくと段々さんの出囃子が流れていた。寄席に出ない立山流の段々さんは今日のメンバーには仲の良い人は居ない感じだった。楽屋の隅に一人で居たが、出番の前に馬富さんが声を掛けて何か話していた。今日のメンバーでは、彼が一番入門が浅い。
段々さんは皆に軽く会釈をして「勉強させて戴きます」と言って高座に出て行った。噺家は高座に出る時は「お先に勉強させて戴きます」と言って高座に出て行き、降りて来ると「お先に勉強させて戴きました」と言うのが慣例となっている。今までわたしが書かなかったが、小鮒さんも馬富さんも何時も言っている。
「段々もまた難しい噺を選んだよな」
福太郎さんがモニターを見ながら言う。
「ああ、亡き大師匠の得意ネタだけどな」
萩太郎さんがそれを返すと今度は小鮒さんが
「ウチの大師匠の師匠が得意中の得意にしていた噺だけどね。確か直に教わったんだよね」
大師匠の師匠は何と言うのだろう? 大大師匠とでも言うのだろうか?
「どうしても比べられるよね」
今度は馬富さんが言う
師匠や一門の先輩が得意にしていたなら、今日のメンバーは皆そうではないかと思った。
段々さんのやる「黄金餅」という噺は……。
下谷の山崎町の裏長屋に、薬を買うのも嫌だというケチの”西念”という乞食坊主が住んで居た。
隣に住む金山寺味噌を売る”金兵衛”が、身体を壊して寝ている西念を見舞い、食べたいという餡ころ餅を買ってやるが、食べる所を見られたく無いので家に帰れと言う。
帰って壁から覗くと、西念があんこを出して、そこに貯めた二分金や一分金を詰め込んで、一つずつ全部、丸飲みしてしまう。そしてその後、急に苦しみだしてそのまま死んでしまった。金兵衛は飲み込んだ金を取り出したく工夫をするが出来ず。焼き場で骨揚げ時に、金を取り出してしまおうと考える。
長屋一同で、漬け物ダルに納め、貧乏仲間なもので夜の内に、葬列を出す。そしてこの後の道中付の口上がこの噺の注目点なのだ。
「下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違(すじかい)御門から大通り出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀(ほんしろがね)町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日本橋を渡りまして、通(とおり)四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新(あたらし)橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉(いいくら)六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た。みんな疲れたが、私もくたびれた」
ここを段々さんの大師匠は一回言った後で現代の道に置き換えて更に続けたのだ。これは当時としては革新的で一気に彼の名を高めたと言って良いそうだ。これも小鮒さんからの受け売りだけどね。
何とか麻布絶口釜無村の木蓮寺へ着き、木蓮寺で、葬儀の値段を値切り、焼き場の切手と、中途半端なお経を上げて貰い、仲間には「新橋に夜通しやっている所があるから、そこで飲って、自分で金を払って帰ってくれ」
と言い、帰してしまう。
その後、桐ヶ谷の焼き場に一人で担いで持って来て、朝一番で焼いて、腹は生焼けにしてくれと脅かしながら頼み、新橋で朝まで時間を潰してから、桐ヶ谷まで戻り、遺言だから俺一人で骨揚げするからと言い、持ってきたアジ切り包丁で、切り開き金だけを奪い取って、骨はそのまま、焼き場の金も払わず出て行ってしまう。その金で、目黒に餅屋を開いてたいそう繁盛したという。江戸の名物「黄金餅」の由来でございます。とサゲる噺だ。
段々さんは大師匠の現代版はやらなかったが、見事な口上を聴かせてくれた。そして黄金餅の由来を言い終えると頭をサゲて拍手を貰って降りて来た。同時に小鮒さんの「外記猿」が鳴り出す。小鮒さんは挨拶をしてからわたしを見詰めて静かに頷いて高座に出て行った。いよいよ小鮒さんのトリの高座が始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます