第34話

 天城は夏なら箱根の十国峠から伊豆スカイラインに入ってそのまま南下すれば良いが箱根の天気が怪しいとその道は使えなくなる。地図を出して顕さんとルートを検討する。

「伊東あたりからスカイラインに登って行く道はどうかしら?」

「この道、この地図だと白く書かれているから結構険しいと思うよ。天気が良ければワインディングロードで楽しいけどね」

 結局、国道百三十五号線を河津まで下り、川沿いに登って行くことにした。この道なら天気が悪くても整備されているから大丈夫だろうと言う事になった。登って行く途中に「河津七滝」や「浄蓮の滝」などを観光しながら行けるという魅力も後押しした。

 当日は雨や雪こそ降っていなかったが、晴れてもいなかった。天城も雪は降っていなかった。厚い雲が空を覆っていて、たまに雲が切れると太陽が少しだけ顔を覗かせる程度だった。わたし達は顕さんの家に向かい合流して厚木を目指す。厚木からは「小田原厚木道路」に入って小田原を目指す。初めての高速道路(本当は自動車専用道路)だったが、スムーズに走れた。顕さんが色々とサポートしてくれたお陰だと思う。その後は熱海に向けて百三十五号に入り、海に近い道を走る。その後は、車だと「熱海海岸道路」に入るのだが、わたしと顕さんはそのまま百三十五号を走る。小田原と熱海の間はかなり山道で、バイクだと楽しいが車だとキツイとのではと感じた。確か大学の講義で習ったが、江戸時代の旅の様子が書かれた紀行文でも小田原までは平坦な道だが、小田原から熱海まではかなり険しい道で、女子供ではキツイと書かれてあったと思い出した。その時のわたしは、東海道が熱海を通って無く、箱根に向かっているのは、熱海を経由しても、その後がかなりの山道なので、箱根を通った方が、未だ楽なのだと思ったのだ。

 熱海からはそのまま百三十五号を南下する。この道は家族で海水浴に来たこともあるし、中学の臨海学校でバスに乗って通ったこともあるので、楽しい道の印象がある。その印象はバイクで走っていても同じで、心が次第に弾んで来るのだ。

 伊東を通り過ぎて、河津から山に入って行く。もう河津桜はとっくに終わっていて葉桜となっている。だから観光客が少ないのは走るには幸いだった。「河津七滝」では駐車場にバイクを置いて歩きで滝を巡って見た。降りると、また登らなければならないのだが……。

 勿論、ループ橋も走った。途中の道の駅で、少し遅いお昼を食べる。その後も少し登り天城峠や川端康成関係の場所を見て、天城の旅館に到着した。旅館は川沿いにあり景色の良さが特色だった。宿の中居さんに

「お風呂は男女別の大浴場がありますが、下に降りると川沿いに露天風呂があります。ここは男女混浴となっております。目の前に滝も見れて結構人気でございます」

 そう説明してくれた。ああ混浴なんだ……判ってはいたが中居さんに説明されると、俄に現実感が湧いて来る。中居さんは説明をしてお茶を入れてくれると下がって行った。そっとポチ袋を渡す。

「ありがとうございます」

 そんなお礼を言ってくれた。二人だけになった。顕さんは早速宿の浴衣に着替えている。それを見て、わたしも着替える。

「夕食まで未だ時間があるからお風呂に行こうよ」

「うん。温泉だものね」

 わたしはこの時、普通の大浴場に行くのだと思っていたが、顕さんは

「どうせなら下の露天風呂に行かないか?」

 そんなことを言って来た。いきなりですか。

「露天風呂って混浴なんでしょ」

「そう言っていたね。大丈夫でしょ。他にもお客さんが入っているのだろうし」

 顕さんはわたしが考えているような事は頭の中に無いらしい。

「でも少し恥ずかしいな」

「そうか、嫌なら仕方ないけどね。でも、余り気にする必要はないと思うよ。自然の中って本当に気持ち良いから」

 顕さんは以前にも、混浴の露天風呂に入ったことがあるのだろうか?

「前に入ったことがあるの?」

「ああ、ここじゃないけどね。地方の仕事なんかでね」

 そうなのか、顕さんは旅の仕事が多かったのだ。わたしより沢山色々な温泉に泊まっているのだと思った。

「判った。一緒に入る」

 

 河原にある露天風呂に行くには、一階のフロントの脇にある出入り口から河原に降りて行く。崖に作られた石の階段だ。少し降りて行くと露天風呂が見えて来た。位置的には周りから見えない位置にある。この辺りの敷地は全てこの旅館のものなので、他からの人間は入って来ないのだそうだ。

 川の流れる音と滝の「ゴーッ」という音が聞こえて来た。緑の渓谷に囲まれた露天風呂は、わたしの目にはとても魅力的に見えた。

「キレイ!」

「ああこれほど美しいとは思わなかったな」

 下まで降りて行くと中年の夫婦らしい二人連れが石段を登るところだった。軽く会釈をする。

 小屋みたいな脱衣所で浴衣を脱ぐと顕さんはさっさと露天風呂に入って行く

「あ〜気持ち良いなぁ〜里菜も早く入ればいいよ」

 誰も居なくなったので顕さんが、そんな声を掛ける。本当はどうしょうか、バスタオルを持って来たのだが、そんな必要はなさそうだった。わたしも裸になると顕さんが入っている露天風呂に足をつける。程よい温かさを感じる。そのまま少しづつ体を湯に浸からせて行く。そんなわたしの動作を、顕さんはニコニコしながら眺めている。

 少し浅いので体を寝かせないと全身を浸からせることが出来ない。背を倒して頭を岩が枕になるようにして肩まで浸かった。気持ちの良さが全身を覆う。

「本当に気持ちいいわね」

「だろう。こうして自然の中に居ると何もかも忘れてしまいそうになるよ」

 顕さんは目を瞑って湯に身を任せていた。わたしは滝に見とれていた。そのままどれぐらい経っただろうか。突然に顕さんが

「ああ、ノボセて来た」

 そう言って露天風呂の横を流れている清流に飛び込んだのだ。そうしてスイスイと滝に向かって泳ぎ始めた。未だ四月だ。水だって冷たいはずだった。

「大丈夫? 水冷たいでしょう」

「平気だよ。そんなに長く泳いでないから」

 顕さんはそう言って露天風呂に帰って来た。どうやら水風呂の感覚だったみたいだ。

「火照った体に川の水が気持ちよかったよ」

 顕さんがそう言うのでわたしも足だけ川に漬けてみたが、かなり冷たいので泳ぐことは止めた。

「ああ、スマホを持って来るんだった。部屋に置いて来ちゃった」

「スマホで何をするの?」

「里菜が泳いているところを写真に撮ろうと思ってさ」

「裸で泳いているところ?」

「そう。記念にさ」

「趣味悪い! ヘンタイよそれ」

「そうかな。綺麗だと思うことを記録に残して置きたい、と思うのは自然な事なんじゃないかな」

 顕さんは急に真面目な顔をした。そして

「おいで」

 そう言ってわたしの手を掴んで軽く引き寄せた。わたしは顕さんに後ろから抱かれるような格好になり湯船に浸かることになった。その格好のまま、わたしは首を少し回して顕さんと口づけをする。誰も居ない自然の中の二人だった。

「帰るまでずっと二人だけだよ」

「うん」

 その言葉の意味は充分理解していた。

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