第26話

 小鮒さんがこれから演じる「鼠穴」という噺は、実は落とし噺ではなく、人情噺とされている。オチこそあるが笑いの少ないシリアスな噺だ。

 この噺を稽古していた時、小鮒さんはわたしに歴代の名人の録音を聴かせてくれた。その上で

「聴いて判ったと思うけど、それぞれ皆ストーリーは同じでも描き方が違う。焦点を当てている人物も違うし、聴いた感じも違うのが判ったと思う。この噺だけでは無いけど、噺をお客さんの前で演じるという事は誰のでも無い己だけの噺を演じなくてはならないんだ」

 そう言っていたのを思い出す。前に夢の噺と言ったが、内容は……。

 江戸の兄を頼って、越後から弟が職探しに来ました。兄は、商いの元にと銭をくれたが、開けてみると三文しか入っていないません。

 余りの事に馬鹿にするなと、一旦は腹を立てますが、

「地面を掘っても三文は出てこねえ」

 そう思い留まり、これでさんだらぼっちを買ってサシを作って売り、その利益で草鞋を作り、昼も夜も働き詰めで、十年後には店を構えるまでになりました。

 三文の礼を言うために兄の元を訪れ、十年前の事を言うと、実は

「お前の性根に甘さがあったから試したのだ。腹を立てて文句の一つでも言って来れば、まともな資金を出してやろうと思っていた」

 と訳を知り、二人で苦労話で盛り上がり、その晩は泊まることになりました。

 深夜、店が火事だとの知らせで慌てて帰ると、店が焼けています。せめて蔵が残ってくれればと念じていたが、鼠穴から火が入ってすっかり焼けてしまいました。

 また兄にお金を借りに行きますが、今度は相手にしてくれません。

「やはり兄は人の皮を被った鬼だ」

 一文なしになった自分に、娘のお花が

「あたいを吉原に売って金を作れ」

 という。涙を流しながら金を借りたが、家に帰る途中掏摸にあって、持ち金をすっかり取られてしまいました。

 途方に暮れて木の枝に帯をかけて自殺しようとすると

「武、武、うなされてどうした」

 火事もその後の事も全て夢だったのです

「あ、夢か、おらぁ蔵の鼠穴が気になって」

「無理もねえ、夢は土蔵(五臓)の疲れだ」


 昔は夢は内臓(五臓)の疲れで見ると思われていたそうで、そのオチなのだが、今の人にはピンと来ない。

 小鮒さんは出囃子が終わると下げていた顔を上げた

「え~今日の二人会もわたしのこの噺で終わりでございます。もう少しの辛抱でございますのでどうか最後までお付き合いを願います」

 そう言って噺に入って言った。まずマクラで夢の話をすると、ゆっくりと本編に入って行く。

 弟が田舎の財産を食いつぶしてしまい江戸で成功してる兄の所にやって来たシーンだ

「兄さんどうかここで俺を使ってくれねえか?」

「なに、人に使われるなら自分で商売をやってみねえか」

「え、商売……そりゃあ、やりてえけど元手が」

「その気があるなら、俺が貸してやるからどうだ」

「ありがてえ」

 最初の兄弟の会話のシーンを無難に演じる。そして、貸してくれたと思った金子の包を開けて、三文しか入ってなかった時の感情の表し方も見事で、ここがちゃんとしないと、この後に鬼神のごとく働く動機が生まれて来ないと、小鮒さんは言っていた。

 わたしは高座の袖から客席を見る。皆、小鮒さんの高座に釘付けになっている。わたしも稽古の時より出来が良いと感じた。

「武、あの時におまえに五両、十両の金を貸すのはわけなかったが、そうすれば景気付けに酒をのんでしまいかねない。だからわざと三文貸し、腹を立てて一分にでも増やしてして持ってきたら今度は五十両でも貸してやろうと思った」

 兄が弟に本心を語るシーンでは、会場に何とも言えない空気が漂っていた。兄の本心を知って安堵した空気だと感じた。

 翠が楽屋から出て来てわたしの隣で見ている

「凄い出来だね。小鮒さん精進したんだね」

「精進というより、何か自分の個性を出そうとしたみたいよ」

「個性かぁ。難しいよね」

 確かに、ベテランになって味が出て来れば別だが、若手の内は中々個性を出せないものらしい。

「今夜は泊まって行け」

「でも俺の店の蔵は鼠穴のあるボロ蔵だから火事が心配で」

「もし、おめえの家が焼けたら、俺の身代を全部譲ってやる」

 そう言われて弟は兄の家に泊まる事になる。ここも微かな不安を残しながら噺を進める。ここの不安がこの後の展開に重要になるのだ。

 気が付けば翠の隣で馬富さんも聴いていた。

「ウチの一門はこの噺やらないけど、気になる噺だからね」

 そう、かっては六代目圓生が得意にし、そして立川談志が演じて絶賛を浴びたという。シリアスな噺なので本来は二つ目クラスがやる噺では無いという。でも今日の小鮒さんは、わたしの目から見ても、贔屓目という要素を除いても、かなりの出来だと判る。

 やがて噺は火事が起き、弟が店に帰ると目の前で次々と蔵が焼け落ちて行くシーンとなった。皆、固唾をのんで噺に入っている。

 焼けた後、次々と商売をやるが、どれも上手く行かず、兄の所に行くと

「元の身代ならともかく、今のおめえに五十両なんてとんでもねえ」

 そう言って追い返されてしまう。やはり兄は人の皮を被った鬼だと思い、店を後にする。この後、娘が身を売って作ってくれた五十両を、掏摸に取られてしまい、絶望して身を投げる所で目を覚ます。ここで客席が安堵感で包まれた。殆の人が筋を知っているのにも関わらずにだ。

「夢は五臓の疲れよ」

 サゲを言って頭を下げると、今日一番の拍手が沸き起こった。わたしも拍手をする。翠も馬富さんも手を叩いている。

「悔しいけどいい出来だったよ。顕がこれ程なら、俺も頑張らないと」

 馬富さんはそう言って翠の肩を抱いた。

「お疲れ様!」

 緞帳が下がって高座の袖に戻って来た小鮒さんに声を掛ける。

「ありがとう。何とか出来たよ」

「顕、良かったよ」

「小鮒さん凄かった」

 馬富さんも翠も出来を褒めた。

 こうして「二人会」は大成功に終わった。でも、その後があったのだ。

 翌日の某夕刊に小さくではあるがこの「二人会」の記事が載ったのだ

『注目の若手二人』

 と題された記事で、内容は次世代を担う若手の代表に躍り出る二人の出来だったと言う事だった。

 この記事が少し話題になり、小鮒さんは噺家として注目を浴び少しずつ売れて行くのだった。

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