第23話

「二人会?」

 東向島の顕さんのおばあちゃんの家で、落語の動画を見ながら、コーヒーを飲んでいた時だった。突然顕さんがぼそっと呟いた。

「ああ、俺と馬富の二人会」

「いつもやってる三人の会とは別なの?」

「そう。だからお互いの出身地の地元でやろうと思うんだ」

「馬富さんは?」

「時間さえ都合つけばやりたいとさ」

「何時もの会とは何が違うの?」

 わたしの疑問に古琴亭小鮒こと顕さんは

「まず、一人二席づつやるんだ。それも一席は大ネタ。時間もたっぷりと取っておく」

 そう言ってブラックのコーヒーに口を付けた。

「三人の会だとどうしてもネタ降ろし中心になるからさ。それとは別に得意ネタで勝負するんだ」

「じゃあ対決なのね」

「そう思って貰って構わない」

 わたしはブラックのコーヒーにクリームを入れてスプーンで溶かした。そしてそれを口にした。温かく少しの苦味が口に広がる。でもクリームの濃厚さがそれを次第に消して行く。

「地元って、市民会館?」

「そう。今度は大ホール」

「大ホール! だってあそこ七百人は入るよ。埋まらないでしょう」

 市民会館の小ホールは三百人ほど。三年前の「三人の会」はそこでやったのだ。今度は倍以上入る大ホールなんて……それに仕草も大事な落語には向かないと思う。

「落語には大きすぎるでしょう」

 わたしの疑問は既に考えていたらしく

「全席売ろうとは思っていないよ。後ろの方は売らずに、空席のままにしておくつもりさ」

「時期は?」

「馬富のスケジュール次第だな」

 わたしは色々と考え始めていた。市民会館だから、使用料はそう高くない。特に市民の場合はかなり割引で借りられる。でも、小鮒さんは兎も角、馬富さんはテレビにでも出ていて名が売れている。きっとマスコミの取材も少しは来るだろう。そこで空席ばかり目立ったらとか考えてしまった。

「大丈夫だよ。何だかんだって言っても様になると思うよ」

 顕さんは全く心配してなさそうだった。

 結局、暮れも近い十一月の終わりにやる事になった。それより遅いと馬富さんのお正月のテレビの収録があるから時間の都合が取れないからだ。演目だが、馬富さんが「大工調べ」と「笠碁」。「大工調べ」はお白洲の場面までやるバージョンでこれはかなり長い。「笠碁」は二十五分前後の噺だが仕草や目線が重要な難しい噺だ。わたしは演目を聞いて馬富さんが本気だと直感した。両方とも簡単な噺ではない。敢えてそれを小鮒さんにぶつけて来るという事は本気だと言う事だと思った。

 対する小鮒さんは「鼠穴」と「芝浜」だった。こちらも半端ない噺だ。顕さんが普段から稽古してるのは知っていたけど、まさかこの会にぶつけて来るとは思わなかった。


 秋も段々深まって来て、バイクを切る風が冷たく感じるようになって来た。実は来週には新しいバイクがやって来る。新車ではない。わたしと顕さんが整備を頼んでいるお店のオジサンが

「新古でいい出物があるんだ。新車に比べてかなり安いからどう?」

 そう言われたのだ。何でも同じ系列のメーカーのお店に下取りしたバイクだそうで、距離も三千キロしか走っていないのだそうだ。それで安いのは、実はそのバイクが、モデルチェンジしたので旧車になってしまったのだそうだ。オーナーは新しい方が魅力的に思ったので下取りに出して新車を買ったのだそうだ。

 実は旧車はちょっと不人気で人気が上がらないのでメーカーも早々と見切りをつけたという事だった。

 でもバイクとしてはバランスが取れていて尖った部分が無いので走りやすいという事だった。

「里菜ちゃんに向いてるかもね」

 バイク屋さんのオジサンはそう言って勧めてくれた。だからこのバイクに乗るのもあと僅かなのだ。

 このバイクはわたしが十六になって、すぐに自動二輪の免許を取って父から譲られたものだった。それ以来高校の三年間を通学に使い、卒業してからも大学に通うのにも使っている。癖も悪い所も全て判っているので、自分の半身のように感じている。

 百二十五だから、道で一緒になる大型バイクより出足だって負けるけど、わたしには丁度良いと思っていた。けれども最近は調子が悪くなる事も多く、お店のオジサンは

「そろそろ寿命かな。部品も入らなくなって来たしね」

 そんな事を言っていた。

 それに、たまにだが顕さんの二百五十に乗せて貰うと、やはりいい感じなのだ。こればかりは仕方ない。最初は新しいバイクが来るのが待ち遠しかったが、ここの所はこのオンボロに妙な愛着が湧いて、毎日用も無いのに近所を走り回っている。

 バイクは良い! こうやって走ってると季節の移り変わりも一番早く感じるし、何より走る喜びを感じる事が出来る。バイクに乗っていて良かったと心の底から思うのだった。


 そして「二人会」が近づいて来た。顕さんはここの所毎日実家に帰って来ている。夜になると美咲公園で稽古をしている。わたしは、温かいコーヒを持って行ったり、軽い夜食も持って行ってあげている。コンテストでは負けてしまったけど、今度は「小鮒は良かったねぇ」と言われたい。今度の会はプロダクションが絡んでいるので雑用はスタッフがしてくれる。これは有難かった。噺の稽古に集中出来るからだ。そんな時に翠から電話が掛かって来た。

「どう小鮒さんの出来は?」

 翠はこちらの様子を探るような問いかけをした。

「順調よ。そっちは?」

「大丈夫! コンテストの時とは比べ物にならない完成度よ」

「それは楽しみね」

「それはそうと結納オメデトウ」

「ありがとう。晴れて婚約者となりました」

「すぐに子供が出来たりして」

「バカ、そんな訳無いじゃない。そこまでだらしなく無いわよ」

「冗談よ」

「里菜はどうするの?」

「わたしは後二年あるから」

「でも気持ちは固まっているのでしょう」

「今はね。でも将来変わる可能性もあるし」

「え、それどういう事?」

「わたしの存在が顕さんの為にならないと感じたら」

「そんな事考えないの! 判った?!」

 翠の大きな声がスマホから響くように聞こえる。

「判ったわ」

「じゃお互いに頑張ろうね」

 翠はそう言って通話を切った。わたしはスマホを置きながら、時計を見る。そろそろ顕さんが美咲公園で稽古を始める時刻だった。わたしは作っておいた、サンドイッチとコーヒーの入った保温の水筒を、ショルダーに入れてバイクを出した。夜の冷たい風が身を切って行く。でも美咲公園には顕さんが居ると思うとスロットルを捻る力も湧こうと言うものだった。

 やがて当日を迎えた。

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