第21話

 本選が「みんなの広場ホール」という所で行われた。ここは某放送局の公開スタジオで、凡そ三百名の観客が入る事が出来る。その模様は録画され一週間後に全国放送される。当然、それまでには結果は判っている。

 というより、関係者や落語ファンの間では、瞬く間に伝わってしまう。当然、その結果はわたしや顕さんの耳にも入った。

「東京で行われたのに優勝は桂文杏だってさ」

 賢さんは通話を切るとわたしに、少し無念そうな顔をして言った。

 

 夕方、仕事が終わって一緒に向島のおばあちゃんの家に向かっていた顕さんのスマホが鳴った。顕さんはスマホの画面を一瞥してから電話に出た。

「もしもし。ああ、俺だよ。どうした……そうか、賢のヤツ駄目だったか」

 少し会場の模様や雰囲気を聴いて通話を切った。そして電車に乗る。

 電車が東向島の駅に到着して、ホームに降りて顕さんの後を付いて行く、ここのホームは狭いので並んで歩くには狭すぎたからだ。

 改札を抜けると並んで歩く。顕さんは、わたしが追いつくのを待って

「凄かったらしいよ」

「その桂文杏さんが?」

「そうだって」

「何やったの?」

「紙屑屋。向こうだと『浮かれの屑より』と言うけどね。内容は同じさ」

 わたしは「紙屑屋」という噺をちゃんと聴いたことが無い。顕さんの持っていた音源で聴いただけだ。だから、その噺の基準が良く判らない。

「何処が凄かったんだろう?」

 わたしは、馬富さんが「大工調べ」を本選前に聴かせてくれたので、どのぐらいの水準なのか少しは判っているつもりだった。

「噺の中に出て来る歌舞音曲の全ての水準がとんでもなかったそうだ」

「芝居とか浪曲とか、講談なんかのこと?」

「そうさ。電話の小船の話じゃ全部本職の師匠の所に稽古に行ったそうだ」

 小船というのは弟弟子の名前でコンテストの前座をやっていた。顕さんの言葉を聴いて、わたしは自分の甘さを悟った。恐らく顕さんも同じ気持ちだったのだろう。表情で判る。顕さんの心の中まで感じることが出来る。

 明日は十一時半から連雀亭で「ワンコイン寄席」に出て、出番は浅いが浅草の夜席に出る事になっている。わたしも、お昼前に講義があるから夜席が終わってから合流する予定だった。

 おばあちゃんの家の格子戸を開けて家の中に入る。おばあちゃんは、今日は静岡で着物の着付けの講習会があって、それに呼ばれている。おばあちゃんは着付けの先生でもあるのだ。わたしも着付けを教えて貰っている。来年の成人式には、自分で着たいと思っているからだ。それに将来のことだけど、もし噺家の女将さんになれば、着物ぐらい着られないと様にならない。

 居間のソファーに座り、考え事をしてる顕さんに、勝手知ったる家だから、コーヒーを入れてテーブルに置く

「ありがとう」

 そう言って一口だけ口を付けた。

「来週になれば本選の模様は放送されるから録画して何回も見よう。それからさ。全ては」

 やはり顕さんは、わたしが思っていた通りの人だった。

「おいで」

 顕さんが手招きをする。わたしはソファーに座ってる顕さんの膝の上に、後ろ向きに滑り込む。背中越しに顕さんの体温を感じる。

 態勢が落ち着くと顕さんは両腕で、わたしを後ろから抱きしめ、背中に顔を着けた。

「暫く。しばらくこのままで居させて」

 顕さんの気持ちが判ったわたしは、返事の代わりに顕さんの手の甲を優しく撫でるのだった。


 翌週。わたしは顕さんと自分の部屋で録画されたコンテストの本選の模様を見ていた。

 最初に立川談々さんで「幇間腹」だった。少し緊張していたのが判った。これでは多分駄目だろうと感じた。ちゃんと出来ればかなりの人だろうと言う事は判った。次が西からで笑艶亭笠松さんで「天王寺詣り」だった。長い噺を上手く纏めていたが、一門に伝わる大ネタだそうだが、コンテスト向きでは無いのではないか。そんな気がした。

 そして三番目が馬富さんだった。

「いよいよね」

「ああ、どの程度だったのかな」

 出囃子に乗って馬富さんが出て来た。座布団に座りお辞儀をして噺に入る。マクラものんびりとはやって居られない。すぐに噺に入った。出来は良さそうだ。与太郎の下りも上出来だと感じた。

「いい出来だったと感じたけど、どう?」

 素人のわたしが感じた事とプロの目で見た顕さんでは違うかも知れない。

「ああ、悪くなかった。期待出来る出来だったと思う」

 そうなのだ。その馬富さんの出来を消してしまった文杏さんの出来が楽しみだった。

 四番目が文杏さんだった。座ってお辞儀をすると、ゆっくりと噺に入って行く。余裕があるのだ。コンテストで話してるというよりも、自分の芸を皆にきちんと聴いて欲しいという感じを受けた。

「凄い……ここまでとは……」

 素人のわたしから見ても素晴らしい出来で、これなら仕方ないと納得させられた。

「馬富の奴、相手が悪かったな」

 そうなのだ。事実、その後、最後に出て来た三圓亭遊五楼さんの「紙入れ」が霞んでしまったぐらいだった。

 実は翠は当日会場に居たそうで、当日の夜に電話が掛かって来て、半分悔しがり、もう半分は諦めの口調だった。負けず嫌いの翠をも、納得させてしまうほど素晴らしい出来だったのだ。

「紙屑屋」のあらすじは、

 道楽のし過ぎで勘当され、出入り先の棟梁のところへ居候している若旦那。 まったく働かずに遊んでばかりいるため、居候先の評判はすこぶる悪い。とうとうかみさんと口論になり、困った棟梁は若旦那にどこかへ奉公に行くことを薦めた。

「奉公に精を出せば、それが大旦那様の耳に届いて勘当が許されますから」

 若旦那が行かされた先は町内の紙屑屋。早速いろいろとアドバイスを受け、主が出かけている間に紙の仕分けをやらされる事になった。

「エート……白紙は、白紙。反古は、反古。陳皮は陳皮」

 早速仕事をやり始めるが、道楽していた頃の癖が抜けずに大声で歌いだしてしまいなかなか捗らない。挙句の果てには、誰かが書いたラブレターを見つけて夢中になって読み出してしまった。

 主に怒られ一度は正気に戻って仕事を続けるが、今度は都々逸の底本を見つけて唸り出してしまう。

 また正気に戻って仕事を続けるが、今度は義太夫の底本を見つけ、役者になった気分で芝居の真似事を始めてしまった。そこへ主が現れて

「何をやっているんですか? まったく、貴方は人間の屑ですねぇ」

そう云われて若旦那は

「屑? 今選り分けているところです」

 そう落とすのだが、文杏さんは義太夫、浪曲、芝居、と三つに絞り込み完璧にこなしたのだった。

「来年こそ、ここに出る。そして優勝する」

 顕さんが画面を見ながら静かに決意を口にする

「うん。わたしの出来る限りの応援をするから頑張ってね」

「ありがとう。俺は幸せ者だ。里菜が傍に居てくれるから」

 顕さんは、そう言って抱き締めてくれたのだった。

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