第12話

 顕さんはわたしの姿を見て嬉しそうに

「綺麗だよ。よく似合ってる」

 そう誉めてくれた。正直言って家の食事会に招かれただけなのだから、普段着の延長でも良いはずだった。でもわたしの場合普段着の延長はパンツがほとんどだ。スカートもあるけど自分ではイマイチ似合っていないと思っているから今日着て

行くのは論外だと思った。だからさり気なくお洒落をして見たので顕さんが「綺麗」と言ってくれた事がお世辞でも嬉しかった。だってお世辞でも好きな人に「綺麗」と言われれば嬉しいじゃない。

 顕さんはわたしの家族に挨拶をして

「遅くならないうちに送って来ます」

 と言って家の外に出た。そこにはガンメタルグレーのセダンが停まっていた。この車はわたしも知っている。結構人気のあるスポーツセダンで、運動能力が優れている車種だった。どうしてそんな事を知っているのかと言うと、実は父親がこの次に買いたい車種だからだ。この前の家の車の車検の時にディラーのセールスマンが持って来たパンフレットを穴の開くほど眺めていたからだ。父親もバイクに乗っていたほどだからこの手の車が好きなのだ。

「車持っていたんだ」

「いいや親父のだよ。売れない二つ目が車なんか持てる訳無いじゃない」

「そっか。でもこの車凄いんでしょ」

「知ってるの?」

「うん。実はこの前父がパンフレット眺めていたんだ」

「そうか、俺もこの車は好きだけどね。さ、乗って!」

 顕さんはそう言って助手席のドアを開けてくれた。内装は明るい茶系で纏められていて、如何にも走りたくなる感じだった。でも意外に助手席のシートは乗り心地が良く、体全体を包んでくれる感じだった。

 顕さんがエンジンを掛けて静かに走り出した。路地から広い道に出て加速して行く。何時も通ってる道だけど、こうして車に乗って眺めていると違う景色に見えて来るから不思議だ。そして顕さんはバイクと同じように車の運転も上手だった。

「運転上手いね」

 わたしの言葉に少し驚いたようで

「そうかい。普通だよ。山道でも行かないと本当は判らないよ」

 そんな事を言って笑っていた。実はエナメルのバックの中に小さく折り畳んだエプロンが入っている。何か手伝う事があれば積極的にやるつもりだった。ただ良い子ばかりしているつもりは無かった。

 二人のドライブはすぐに終わる。そりゃそうだよね。わたしの家と顕さんの家はバイクだって十分もあれば着いてしまう。車だってさほど違いはない。

 車はそのまま顕さんの家の車庫に入って停まった。

「さあ着いたよ」

 わたしは自分でドアを開けようとしたら顕さんが先に開けてくれた。そんなことまでして貰うと正直悪いと思ってしまう。

「ありがとう。大丈夫だから」

「そうか、何か緊張してる感じに見えたからさ」

 それは正直あったと思う。判らないような素振りをしていたのだけど、判ってしまったのかと思った。

 玄関を開けるとお母さんが出迎えてくれた。

「こんにちは。今日はお招き預かりありがとうございます」

 そう言って頭を下げ、母から手渡すように言われていた菓子折りを出す。

「つまらないものですが」

 すると顕さんのお母さんは

「いらっしゃい。あら、気を使わせて御免菜なさいね。今日は何も無いけど沢山食べて行って下さいね」

 そう言ってくれたので安心した。そうしたら

「はじめまして。顕の妹の鈴(れい)です」

 下げた頭の上から声がした。そう言えば顕さんには高校生の妹が居ると教わっていた。顔を上げると顕さんに似た背の高い女子が立っていた。

「涌井里菜です。よろしくお願いします」

 そう返事をすると顕さんが

「今年高校生になったんだ」

「どこの高校なの?」

 正直やはり気になった。すると顕さんが

「東高校と言いたいけど実は里菜ちゃんと同じ実咲高校なんだ」

「ええじゃあ後輩?」

 驚いたわたしに鈴ちゃんは

「そうなんです。先輩よろしくお願いします。実は三年生の女子にバイク通学してる人が居るって聞いて凄く興味があったんです」

 そうだとは露ほども思っていなかった。

「里菜先輩って学内じゃ結構有名人ですよ。そんな人が兄と交際してるなんてとても嬉しいです」

 そう言えばバイク通学してる生徒は結構居るけど女子はわたしだけだった。

「じゃあ鈴ちゃんもバイクで来たら? お兄ちゃんの二百五十で」

「そう考えて、兄にバイクを貸してくれるように頼んだんです。

「この家からなら歩いたって十分ほどだろう。って言ってやったんだよ。まあ毎日エンジンに火をを入れるのよ良いけどさ」

「免許は?」

「実は今教習所に通ってるんです」

「取ったら何処か行こうか?」

「そうですね」

 そんな事を言っていたら顕さんのお母さんが

「ほらほら、早く上がって貰いなさい」

 そう言われてしまったので靴を脱がせて貰った。

 リビングがダイニングと一体となってとても広くなっていて、そこのテーブルに色々な料理が並んでいた。

「凄い」

 思わず驚きが口から漏れる

「お母さん。今日は張り切っていたからね」

 鈴ちゃんがそう教えてくれる。顕さんは

「さ、座って」

 そう言って椅子を引いてくれた。有り難く座らせて貰う。わたしが座るとお母さん、顕さん、鈴ちゃんが座り最後にお父さんが奥の部屋から出て来た。

「父です」

 顕さんがそう紹介してくれるとお父さんは

「修一です。趣味はドライブです。車道楽でしてね」

 そう言って笑った。その顔に少し顕さんの面影を感じた。顕さんと鈴ちゃんはどちらかと言うとお母さん似だと思うけど、お父さんの仕草に顕さんを感じることがあった。まあこれは逆なんだけどね。

 お父さんとお母さんがビールで、その他の三人はジンジャエールで乾杯をした。

 楽しくて暖かい食事会だった。勿論わたしも持参したエプロンを付けて後片ずけを手伝った。

 終わってお礼を言って帰路につく。時間は未だそれほど遅くない。車の中で顕さんは

「明日から二つ目昇進のお祝いで浅草の寄席に出るんだ。馬富と交代だから十日間のうち半分だけどね」

 連雀亭みたいな二つ目専用の小屋じゃなくてちゃんとした寄席に出るのは結構大変らしい。それぐらいは、わたしも判って来たところだ。

「一回ぐらいは見に行っても良い?」

「ああ、来て欲しいな。俺の名前を言えば入れるようにしておくよ」

 噺家さんの身内などが見に来ると所謂「顔パス」で入れるとは聞いていたが

「ううんいいの。ちゃんとお金払って聴きたいから」

 顕さんから教えて貰ったので知っているけど、噺家はお客が一人入ったら幾らと決まっていて、人数によって貰えるギャラが違って来るそうだ。この寄席で貰えるギャラのことを「割り」と呼ぶそうだ。でもとても少なくて満員でも数千円ほどらしい。真打の噺家さんでもそれほど違いは無いそうだ。でもそれでも噺家さんが寄席に出たがるのは寄席は修業の場だと思っているからだと言う。この前の三人の落語会などは、所謂ファンが来るが、寄席は全くそのような事は無いので、アウェーの環境なのだと言う。その環境で笑いを取る事こそが修業に繋がるのだと顕さんは教えてくれた。

「だからなるべくお客の前でやりたいんだ」

 いつか、そう言って真剣な目をした。その表情に少しドキドキしたっけ。

 家に到着しても正直降りたくなかった。このまま何処かに連れて行って欲しかった。そう考えていたら

「妹の奴、さっき片づけている時に何て言ったと思う?」

 何だろう? 何か変な事言われたのかな。

「わからない」

「妹の奴ね『お兄ちゃんには勿体ないぐらいの素敵な人だね。わたしも好きになっちゃった』って」

 素敵? わたしが……まさか初めて言われた。頭がぼうっとなっていたら、顕さんに抱きしめられた。

「このままずっとこうしていたい」

 その言葉に返事をしようとしたら口を塞がれた。お互いの気持ちが絡み合う。わたしもこのまま車を降りたくなかった。顕さんが車のエンジンを止めると静寂になった。窓の外には上弦の月が輝いていた。その月明かりに照らされて浮かび上がった顕さんの表情がとても愛おしく感じる。

 わたし達は暫くそのままで居た。

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