第7話
小鮒さんは唐揚げをつまんで口に入れた。そして噛み締めていると
「この唐揚げは臭くないね」
そんなことを口にした。
「ブロイラーの安い鶏肉だと脂が臭いのがあるからね」
わたしはこの時ほど材料選びで良かったと思ったことはなかった。
「うん無名だけど一応地鶏なんだ」
「やはりね。美味しいもの」
「沢山あるから食べてね」
「ありがとう」
今日の唐揚げの出来は我ながら良い出来だと思った。これなら誰にでも食べさせること出来ると密かに思っていたのだ。だから小鮒さんから褒められてとても嬉しかった。
『小鮒さんていい人なんだな』
そんな感情が芽生え始めていた。
「食べたら展望台に行ってみようよ」
そうなのだ。斉所山は展望が良いのが有名だった。確か遠足で来た時も展望台に行った記憶があった。
「有名ですものね」
食後、一休みすると目と鼻の先の展望台に向かった。
「うわ〜本当にいい景色!」
展望台からは遠くの山や海以外にもわたしの住んでる街が一望出来た。
「家見えるかな?」
そんなことを言うと真に受けた小鮒さんが
「どのへん?」
そう訊いて来るので
「冗談ですよ。見えるはずがないですよ」
そう言うと
「双眼鏡持って来れば良かったなぁ」
そんな事を言って残念がるので
「それは次にしましょう」
思わず口にしてしまった。聴いた瞬間、小鮒さんは少し驚いた表情をしていたが直ぐにニコッとして
「そうだね。次は忘れないでおこう」
そう言って景色を眺めていた。
それから付近を少しブラブラして帰ることになった。やはりわたしが先で小鮒さんが後になった。下りは登りより軽快でバイクを倒すのが楽しくなって来た。古い言葉だと「人車一体」とでも言うのだろうか、それともこんなファンライドでは言い過ぎだろうか。そんなことを考えて下って行く。ヘアピンで速度を落としてカーブを曲がりながら後ろを確認すると小鮒さんも楽しそうにライディングしていた。何故判るのかと言うとその走りぷりで何となく判るのだ。理屈ではないと思った。
登って来た時と同じようにやはり途中で休憩することにする。これはブレーキやタイヤを冷やす目的もあるからだ。下り始める時に小鮒さんが、そう言っていた。
「下りのが上手いんじゃない」
「そんなことないですよ。でも楽しそうに感じました」
「判った? 楽しいよね」
やはりそうだった。わたしの目も満更でもない。
休憩後に再び走り出す。下って来ると何だか黒い雲が出て来ていた。家に帰るまで降り出さないと良いと思った。
完全に下って国道に出る実咲公園まで、あと少しの所で突然大雨は降って来た。後ろからホーンが短く二回鳴った。緊急の合図だ。公園の入口でバイクを停めた。すぐに小鮒さんが隣に停まって
「家がこの近くだから、雨が止むまで休んで行くと良いよ」
そう言ってくれたが、いきなり初対面の女子が押しかけるのも問題じゃないかと頭を過る。
「大丈夫、今は多分誰もいないから」
その時『それなら良いか』と思ったのも事実だった。走り出した小鮒さんの後を追う。
小鮒さんの家は本当にすぐ近くで三分とかからなかった。ちゃんと屋根のついた車庫もあり、そこにバイクを並んで停めた。小鮒さんが玄関を開けてくれて
「さ、中に入って、体が濡れているから少なくとも雨にかからないところが良いよ」
それもそうなのでありがたく入らせて貰う。小鮒さんの家は近代的だが旧家らしく結構立派で由緒ありげだった。
玄関先でも良かったのだが、小鮒さんが上がるように勧めてくれた。案内された先は居間のようだった。ソファーに座るように促される。すると小鮒さんが乾いたタオルを持って来てくれて
「頭や濡れているところを拭いた方が良いよ」
そう言ってくれたヘルメットを被っていたので頭は濡れていなかったがそれ以外の顔などはずぶ濡れだった。上着は撥水性の生地のパーカーを着ていたが下にも雨が染みていた。
「あ、脱いで拭くなら部屋を締め切って出て行くから」
「大丈夫です。パーカーの下はそれほどじゃ無いと思うから」
下の薄手のトレーナーは思ったほど濡れていなかった。それは早く小鮒さんの家に入ったからだと思う。
借りたタオルで丁寧に顔や手足を拭いて行く。気がつくと小鮒さんがコーヒーを出してくれていた。コーヒーの香りが鼻を突いた。
「ありがとうございます」
「飲んだらいいよ。結構体が冷えていると思うよ」
小鮒さんが言ってくれたことは事実でコーヒーを口にしてみると自分が思ったより疲れていると感じた。
「走るのに夢中だったけど意外と体が疲れていたんだなと」
「そうでしょう。最初は感覚が判らないから無理してしまうのだけど、思ったより体は緊張するからね」
わたしは、そこまで考えが及ぶ小鮒さんが頼もしく思えた。ソフアーの上に体育座りになって両手でコーヒーカップを持ちながら色々な話をした。殆どがバイク関係の話で、それはわたしにとってとても有意義なことだった。
楽しい笑い声が止む。気がつくと小鮒さんの顔が目の前にあった。目が真剣だった。何故かわたしは目を瞑る。唇に柔らかい感触を感じる。小鮒さんの唇だと判った。唇ってこんなに柔らかいんだと実感する。一旦それが離れる。わたしは目を開けて小鮒さんを見つめる。小鮒さんはそっとわたしを抱きしめ
「いい?」
黙って頷くわたし
もう一度柔らかい感触が襲う。今度はそれが口の中にも及んだ。ああ、口づけってこんなにも官能的だったのかと思った。どうりで恋人は皆やりたがるんだと理解出来た。
この時心臓は鐘の鳴るように早く打って、自分の体だけど自分では無いように感じた。小鮒さんの両腕がわたしを強く抱きしめる。唇が離れ
「ちゃんと付き合ってくれないかな? まだやっとふたつ目になった、しがない噺家だけど、かならず上手くなってみせるから」
え、それって交際の申し込み? わたしに?
「わたしでいいの?」
「里菜ちゃんなくては駄目なんだ。正直言うとね。実咲公園でバイクが故障してるのを見て直してあげた時に素敵な子だと感じたんだ」
小鮒さんは何を言っているのだろう。わたしなんか一度も男子に告白されたことすら無い女子なのに。
「本当にわたし?」
もう一度確かめると
「ああ、里菜ちゃんと交際したいんだ」
わたしは小鮒さんの胸に顔を埋めて今度はわたしが小鮒さんを抱きしめる。そして返事の代わりに今度はわたしから口づけをした。一番濃厚な感じがした。
「ありがとう!」
「宜しくお願い致します」
こうしてわたしと小鮒さんは交際することになった。
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