第3話

袁市さんと馬富さん二人が続けて演じたので二十分ほどの休憩となった。この休憩を「仲入り」と言うらしい。何だか落語の世界って特殊な言葉ばかりだと思う。どうして休憩では行けないのかしら?

「ねえ、一緒についてきてくれない?」

「え、どこへ?」

「楽屋!」

「まだ終わってないじゃない」

「終わったわよ馬富さんは」

 わたしは翠のこのような考えに半分呆れ、半分感心してしまった。

「でも……覚えてくれているかなぁ」

「大丈夫だよ。里菜は結構イケルから」

 何かイケルのだろうか? 突っ込もうとしたが止めた。

「判ったわよ」

 翠を伴って楽屋を訪れた。こんな事なら何か持って来れば良かったと思った。

「ごめんください。小鮒さんいらっしゃいますか?」

 楽屋には暖簾が掛かっていて如何にも噺家の楽屋ぽかった。

「は~い。いますよ」

 声と共に奥から黒紋付姿の小鮒さんが現れた

「ああ、涌井さん」

「あの節はありがとうございました。今日は厚かましくも押しかけました」

「ありがとう! さっき高座から見えたから来てくれたんだと思っていたんだ」

 わたしと小鮒さんが会話をしてるので奥から馬富さんが出て来た

「あれあれ、もしかしてあなたが小鮒が言っていた方ですか! いやね。この前からこいつ自慢していましてね」

 楽しそうな馬富さんの言い方で二人の仲が良いのが判る

「よせよ」

「いいじゃん!」

 そんなやり取りをしていたので、わたしは

「今日は友だちも連れて来たんです」

 そう言って翠を前に出した

「初めまして新井翠と申します。先程のみかんの噺とても良かったです。馬富さんの噺、もっと聴きたいと思いました」

 翠はここぞとばかりに自分をアピールした

「ええ、そうなの! 嬉しいなぁ」

 翠と馬富さんは楽屋の中に入ってふたりだけで話始めた。

「これからなのにすみません。楽しみに聴かせて頂きます」

 顔を合わせたらもっと何か言おうと思っていたけど、口から出た言葉はこれだけだった。でも小鮒さんは

「うん。精一杯頑張るから終わったら感想聴かせて欲しいな」

 その言葉に黙って頷いた。

 先に席に帰った。後から翠が帰って来て

「黙って帰っちゃうなんて酷いじゃない」

 言葉ではそんな事を言うが表情は嬉しそうだった。

「何か良いことでもあった?」

「えへへ、逢う約束しちゃった」

「へえ~やるじゃん」

「まあね」

「彼女いないんだ?」

「そうだって」

 翠の嬉しそうな態度を見ていると彼女がこの後の小鮒さんの噺が耳に入って来ないだろうとは簡単に想像出来た。

 休憩が終わって太鼓が鳴り出し、出囃子が鳴り出した。何と言う出囃子だか判らないが、それぞれが違う出囃子だとは判る。

 その出囃子に乗って小鮒さんが出て来た。座布団に座って扇子を前に置いて頭を下げた。拍手が鳴り止んだ。

「え~本日の落語会もわたしが最後でございます。もう一席ですので、どうぞお付き合いを願います。夏となりますと色々な催しがあります。昔から有名なのが浅草の浅草寺の『四万六千日』でございます。これは、この日にお参りをすれば四万六千日お参りをしただけのご利益があるというものでございます。今では『鬼灯市』として有名ですね」

 何の噺だか判らないが浅草の噺らしかった。浅草は何回か行ったことがある。頭の中で浅草の模様を思い出していた。

「昔から若旦那というのは遊び人と相場が決まっておりまして」

 どうやら噺に入ったようだった。噺は若旦那が遊びが過ぎて勘当されてしまったので、馴染みの船宿で船頭になろうとする噺だった。

「教える方も、これぐらいで良いだろう。教わる方もこれだけ覚えれば何とかなるだろうと甘い考えで物事が進んでしまいます。やがて浅草は四万六千日を迎えます」

 ここで先程のマクラが生きて来た。なるほどと感心をしてしまった。

 やがてお参りをする二人連れが登場してこの若旦那の船頭の船に乗ることになる。そこからが爆笑のドタバタが始まるのだ。これは本当に可笑しかった。

小鮒さんの噺は、わたしにとって明治の東京に心を遊ばせてくれるものだった。帰りの寄付は多めに入れようと決めた。

 サゲを言うとかなりの拍手が起こった見渡すと八割ほどの客席が埋まっていた。わたしはそれを気がつかないほど噺に夢中になっていたのだ。

 楽屋を訪れてわたしは小鮒さんと、翠は馬富さんとLINEを交換した。今度一緒にツーリングに行く約束をした。それを聞いた翠は

「やっぱり小鮒さんが目当てだったのでしょう」

 そんな事を言ったが目当てだった訳じゃない。自然な流れだった。わたしの中で何かがすこしづつ変わろうとしていた。

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